北ハイランド東岸:ハイランドの首都インバネスから英国本土の東北端のジョン・オグローツ(John o'Groats)まで190km、車で約4時間の距離である。近年世界中を旅している日本人だが、人影疎らなこの地方を訪れる人は流石に少ない。
ハイランドの首都インバネスから北、英国本土の北端までの東海岸には、現在操業中のモルト蒸溜所が7蒸溜所あり、ノーザン・モルト(Northern Malt 或いは North Highland Malt)と呼ばれている。
スコットランドの最北部、3方を海に囲まれた地域は、行政区上の「ハイランド地域(Highland Region)」の北半分を占める広大は地域である。「ハイランド地域」は面積2万5千平方キロ余、英国本土の約3分の1を占めるが、人口は僅か20万人にすぎない。人口密度は1平方キロ当り8人で(グラスゴー市は約3800人)、先進国には例を見ない広大な自然が広がっているが、これはこの地域が極端な過疎地域であることも意味している。
ダンロビン(Dunrobin)城:インバネスの北約80kmにあり、スコットランドで最も壮麗な城の1つである。スコットランドでも古い貴族、歴代サザーランド(Sutherland)家の居城。部屋数190、ヨーロッパ風の庭園で有名である。
バッドビー(Badbea)の村跡:北海に面した断崖絶壁の上のこの急峻な荒地は絶えず強風が吹き、‘子供はロープで縛っておかないと吹き飛ばされた'という。18世紀後半の‘ハイランド・クリアランス'で村を追われた人々が強制的に移住させられ、過酷な生活を強いられた。村ではウイスキーも密造されたという。
1746年のカロードンでの戦いの後、時の英国政府は‘今後このような反乱は絶対に起こさせない'とジャコバイト* を徹底的に摘発した。捜索と処刑は何週間にも亘り、政府軍兵士への命令は、‘助命嘆願は無視せよ'であった。実際はジャコバイトであるかどうか分からないまま多数の老若男女が殺戮されたので、その時の政府軍総指揮官のカンバーランド公爵は後に‘ブッチャー(殺し屋)'と呼ばれるようになった。
スコットランドのハイランダーの災難はこれで終らなかった。1780年代から60年以上続いた社会、経済上の大変動ハイランド・クリアランス(ハイランド一掃)は、スコットランド、とりわけハイランドの社会、経済システムと文化を根底から破壊することになった。スコットランドの西方の島々を含むハイランドで、それまで独自のクラン(Clan, 氏族)制度の元、農業を中心に生活していた人々が何十万人も村から追われたのである。この事件の直接の誘引は、‘人間を一掃し、羊を入れたほうが儲かる' であり、追い出されたハイランダー達の苦難をよそに、領主は巨万の富を蓄積し大きな館を建てた。インバネスの北約80kmにあるダンロビン城はその壮麗さで有名であるが、18世紀後半から19世紀前半にかけてこの地方の領主だったサザーランド公爵とその夫人エリザベスは呵責ないハイランド・クリアランスで歴史に悪名を残す事になった。
しかしながら、ハイランド・クリアランスの背景には社会、経済、政治、人種・文化、気象変化に亘る非常に複雑な要因が絡み合っていたのである。社会的、経済的要因としては、人口増加が圧力になっていたこと、農業の不振が続き、飢饉が多発したので何らかの解決が必要だったこと、当時始まった産業革命と市場の拡大でウールの需要が急拡大し羊毛に対する需要が高まっていたという事が挙げられている。その意味ではハイランドへの羊の導入は‘産業と農業改革'の一面があったのは確かであった。政治的側面は、当時の為政者に戦闘的なジャコバイト運動の基盤であったハイランドのクラン制度を‘完全且つ恒久的に'破壊してしまいたいという意図があったし、人種や文化的側面ではケルト人とその文化への偏見も無視できず、‘異人種排斥運動の先駆け'とも言われるのである。
ハイランドの村々から追われた人々は何処へ行ったか?当初は海岸沿いにいくつかの町や新しくつくられた入植地へ移住させられ、当時興りつつあった新産業-鰊漁、海藻採取などの漁業、煉瓦、繊維、蒸溜所などの工場で働いた。ハイランド・クリアランスの目的の1つは、このような産業に羊の導入で生活を失ったハイランダーを安価な労働力として投入することであったと言われており、人々は極端に安い賃金、過酷な条件で働かざるをえなかった。しかしながら、これらの産業の多くは長続きせず、人々は究極の移住先、米大陸やオーストラリア、ニュージーランド等へ去っていった。蒸溜所で働けた人々はまだしも幸運だった。
ブローラ(Brora)蒸溜所:以前はクラインリッシュ(Clynelish)蒸溜所といわれた。ブローラの町の郊外にあるこの蒸溜所は1819年に建てられ、一時はハイランド・クリアランスで村を追われた人達の受け皿になった。クラインリッシュ蒸溜所はこの蒸溜所の隣に1968年に新設され、ブローラ蒸溜所1983年から閉鎖されている。
インバネス北方には7つのモルト蒸溜所が操業している。南から順に名前と操業を始めた年を挙げると、グレン・オード(Glen Ord、1838年)、ティーニニッヒ(Teaninich、1817年)、ダルモア(Dalmore、1839年)、グレンモランジー(Glenmorangie、1843年)、バルブレアー(Balblair、1790年)、クラインリッシュ(Clynelish-旧 Clynelish、後にBroraと改名、1819年)、プルトニー(Pultney、1826年)である。スペイサイドの多くの蒸溜所が19世紀終わり近くのウイスキー・ブームの時に建設されたのに比べると、北ハイランドの蒸溜所はそれよりずっと古い歴史を持っていることが分かる。ローランドから遠く、密造の歴史が長かった背景があるが、ハイランド・クリアランスの受け皿として機能したことも事実である。
ダルモア(Dalmore)蒸溜所の蒸溜釜:手前の再溜釜はネック部が2重になっていてその間を水が流れ、蒸発してきたスピリッツを液化して釜へ還流する。
グレンモランジー(Glenmorangie)蒸溜所の再溜釜:初溜、再溜共このように背が高く、軽くファインなスピリッツが蒸溜される。スワン・ネックまで立ち昇ったスピリッツは、‘天国に近いところまで昇ったウイスキー‘という。
プルトニー(Poultney)蒸溜所の初溜釜:あんこ型力士のようにずんぐり・むっくり型で、スマートとは言えないが、味のあるウイスキーを蒸溜する。 出来たスピリッツは素晴らしく、ウイスキーの不思議を語る。
ノーザン・モルトの中から、変わった形の蒸溜釜をもち、これらの形や蒸溜のやり方が品質の特性によく表れている3蒸溜所を紹介します。
ダルモア蒸溜所
インバネス北、車で30分、テインに向う途上クロマティー湾の海辺リにある。スタンダードの12年物は、ソフトな口当たり、中庸のボディーだが、フルーティー、麦芽様、スパイス様など複雑な香味があり、長い後味が楽しめる。ダルモアのポット・スティルのうち再溜釜は、ネックの外側に水が流れるジャケットが取り付けられていて、重い溜分は釜へ還流する。75%という高い度数で採取される本溜液は極めてクリーンである。
グレンモランジー蒸溜所
インバネスの北、車で約40分のところ歴史の古い町テイン(Tain)郊外にある。ご存じグレンモランジーのシングル・モルトは世界的な人気モルトである。ベスト・セラーの10年物は、花様の甘い香りにスパイス様のアクセントやフレッシュ感があり、軽めでスムースな味わいはシングル・モルトに慣れていない人にも受入れ易い。製法の特徴は、他の蒸溜所に比べてやや硬度の高い水を仕込みに使用していることと、何と言ってもスコットランドで一番背が高く(5m以上)、首の細いポット・スティルを使用して蒸溜時の還流を効かせ、又再溜の時の本溜採取範囲を狭くしてクリーンなスピリッツを取っていることにある。
プルトニー蒸溜所
英国本土最北の蒸溜所で、ウイック(Wick)の街中にある。ウイックは18世紀終わり頃から鰊漁の基地として繁栄し、盛時の19世紀後半には1万数千人が鰊産業に従事していた。これらの人々の需要に答える為にビール工場と蒸溜所が建てられたが、その蒸溜所がプルトニー蒸溜所である。スパイス様、塩味にバニラの甘味が上手くマッチし、しっかりした味わいのあるモルトである。そのウイスキーを生出す初溜釜は、ちょん切られたスワン・ネック、横からでているライン・アーム、丸く巨大なバルジ、となんとも奇妙な形のポット・スティルである。中古で購入した釜が、そのままでは建物に入らなかったのでこのように改造したという大胆な逸話がある。
ダンカンスビー(Duncansby)の奇岩:英国本土の最北、東部の小さな村、ジョン・オグロート(John o`Groat)村から東へ車で数分の海岸にある。辺りは海鳥の大生息地でもあり、一見の価値がある。
ウイックまで来たので、英国本土の最北端東部のジョン・オグロートまで足を伸ばした。ここからはオークニー(Oakney)諸島がすぐ近くに見える。オークニー島にはスキャパ(Scapa)とハイランド・パーク(Highland Park)の2つのモルト蒸溜所が、さらに北方のシェトランド島には最近ブラックウッド(Blackwood)蒸溜所がつくられた。最後に、近くの切り立った海岸と尖塔のような奇岩で有名なダンカンスビー岬に立ち寄った。夏の好天の日だったが、海、空、断崖はモノトーンでほの暗く、北スコットランドの厳しい歴史を象徴しているかのようであった。
1. The Highland Clearances. John Prebble, Penguin Books Ltd., 1969
2. Dunrobin Castle. Ed. Lord Strathnaver, Heritage House Group Limited, 2003
3. The Making of Scotch Whisky. Michael S. Moss and John R. Hume, James and James, Edinburgh, 2000.
4. Encyclopedia of Scotland, Eds. John Keay and Julia Keay. Harper Collins Publishers 2000.
5. BBC -History: The Cultural Impact of the Highland Clearances. Ross Noble.
6. The Highland Clearances
7. The Highland Clearances: stories of Scottish ancestry
8. The Edinburgh Malt Whisky Tour: Distilleries - Scotland
* ジャコバイト(Jacobite)の蜂起:(1689-1746年)。イングランドとスコットランドの王室の統合後も、スコットランドのスチュワート王朝の復活を画して英国政府と抗争を続けた一派。歴代スチュワート王の名前がジェームス(James)だったので、そのラテン名のJacobus(ヤコブ)に由来する。