スキャパ蒸溜所:蒸溜所は南にスキャパ・フローを見下ろす風光明媚な崖の上に立つこじんまりした蒸溜所である。“シングルモルト用の蒸溜所として宝石のような蒸溜所にしたい"-モルト蒸溜所総括マネージャー:ウインチェスター氏談。
スキャパ蒸溜所と水車:1885年に操業を開始した当時、渇水に備えて蒸気エンジンも備えていたが、普段はこの水車が全ての動力を生み出した。
スコットランド北方のオークニー本島で蒸溜されるスキャパ・シングル・モルトは日本人が好きなシングル・モルトである。その軽く、微妙に蜂蜜、オレンジ、キャラメルなどを思わせる甘い香り、スムースな口当たり、それでいてしっかりした美味しさと後味が楽しめるので男性にも女性にも受けが良い。昨年までバランタインのマスター・ブレンダーだったロバート・ヒックス氏のブレンド・セミナーでは参加者全員がチームに分かれて自分達のブレンドをしたが、スキャパ・モルトの人気は高くどのテーブルでも配付されている原酒サンプルの中で最初に無くなるのがスキャパであった。
スキャパ蒸溜所はしばらく操業していなかったが、昨年からの改装も終了して今年から蒸溜を再開したので訪問することにした。
創建当時の貯蔵庫:当時の貯蔵庫の屋根は低かった。2棟が残っていて今は空き樽の置場に使われている。
蒸溜所の前から見るスキャパ・フロー:2つの大戦では大都市や工業地帯から遠くはなれたこの海がドラマの舞台になった。第1次大戦の時、スキャパ蒸溜所は謎の火災を起こしたが、この湾に停泊していた英国海軍の水兵がボートで急行して鎮火してくれた。
蒸溜所は州都カークウォールの南3kmにある。オークニーは古くからスコットランドの島々のなかでももっとも農業が盛んで、前回ご紹介したように古い時代から大麦が栽培されていた。19世紀初頭には正式に免許をもった蒸溜所は州都カークウォールだけで数軒あり、すこし離れた村々では自家用の蒸溜は生活の1部であった。スコッチ・ウイスキーの産業化に伴ってオークニ-で18世紀終わりから3つの蒸溜所が建設された。スキャパ蒸溜所はその最後、1885年の 10月から操業を始めている。
アルフレッド・バーナード* がスキャパ蒸溜所を訪問したのはその直後の1887年である。当時最新の蒸溜所を見たバーナードは、「小さいながら英国内全ての蒸溜所の中で最も完璧な蒸溜所」と記述している。全ての蒸溜所がそうであったように、製麦、仕込み、醗酵、蒸溜、貯蔵と全ての機能を持ち、動力は主に水車に頼ったがバック・アップの蒸気エンジンを備えていた。蒸溜釜の容量は初溜が約5klで再溜が4kl、現在の約3分の1の大きさであった。蒸溜の熱源には既に蒸気を使用していたが、ほとんどの蒸溜所が直火から蒸気に切替えたのは1960年前後なのでスキャパは極めて先進的であった。麦芽の乾燥にはコークスとピートも使用していたので、当時のスキャパ・シングル・モルトは現在のものより相当スモ-キーであったと思われる。
スキャパ蒸溜所は、スキャパ・フロー(湾)を見下ろす崖の上にたっている。澄みきった海の色は北の海特有の深いブルーで今の平穏からは想像できないが、第 1次と第2次大戦では戦争に深く関わった。オークニ-のすぐ北は北海と大西洋を結ぶ戦略的に重要な海域であったことと、4方を島で囲まれたスキャパ・フローは英国海軍の艦艇の停泊地としては絶好の条件をそなえていたからである。
第1次大戦の時は、ここに停泊している英海軍を狙ってドイツのU-ボートがしばしば侵入を試み、英軍に沈没させられている。大戦終末の時である。降伏したドイツ・カイゼル海軍の艦艇74隻はここに集められ、ベルサイユで行なわれていた和平交渉の帰結を待っていた。ドイツの艦艇をどうするかをめぐって連合国の意見の不一致で交渉は遅々として進まず、自軍の艦隊が無傷で連合国側に渡ることを恐れたドイツ海軍提督ロイターは自沈を命令、41隻が沈没した。スキャパ湾は‘ドイツ海軍の墓場'と言われている。
第2次世界大戦の1939年10月のことである。スキャパ・フローの東の海峡は船を沈め、丸太材を立て、ネットを張ってドイツ海軍のU-ボートの侵入に備えていたが、夜半満潮を利して侵入したU-47の魚雷攻撃で戦艦ロイヤル・オークが沈没、800人以上の戦死者を出す悲劇もあった。
スキャパ蒸溜所の蒸溜釜:奥の再溜釜は通常の形だが、手前の初溜釜は変わった形のローモンド・スティル である。S字型に曲がったライン・アームには溜分から重い成分を除くピュ-リファイヤーがつけれている。
改装なった現在のスキャパ蒸溜所もこじんまりした蒸溜所である。1仕込当り使用する麦芽は2.8トン、乾燥のときにピートを使用していないノン・ピーテッド・モルトである。これから出来る麦汁量は13.4kl、醗酵は3-4日の長時間醗酵で、もろみのアルコール分は8-8.5%になる。蒸溜釜は初溜、再溜各1基、現在の初溜釜は、今は伝説となったローモンド・スティルで1970年代にバランタインの他の蒸溜所から移設された。現存する唯一のローモンド・スティルである。
ハイランド・パーク蒸溜所のキルン:現在蒸溜所内で自家製麦しているところは5ヶ所だけになったが、ハイランド・パークではフロア-・モルティングを残しておりこのキルンでスモ-キーの効いた麦芽を生産している。
ストロムネス蒸溜所のシングルモルト“O O"の瓶:蒸溜所は1940年に取り壊され面影も留めないが、博物館にはこの瓶と木箱が残されていた。中味の入った“O O"は1992年のオークションで22万円の値がついたという。
ローモンド・スティルは1950年代に当時バランタインの技術担当役員だったカニンガム氏によって一つの蒸溜所で何種類かのモルトを生産する方法として開発された。蒸溜釜のネックの部分を円筒形にし、内部にウイスキーの蒸気の還流率を調整するため角度を変更出来る棚を3段設け、スワン・ネックからコンデンサーに渡るライン・アーム(Lyne Arm)も角度の変更が可能であった。実験用の釜がダンバートンのグレイン蒸溜所内にあったインバーリーヴェン(Inverleven)モルト蒸溜所に設置され、その結果を踏まえて初溜、再溜各1対のローモンド・スティルがグレンバーギーとミルトンダフ蒸溜所に設置された。ローモンド・スティルで蒸溜されたモルトはそれぞれ“グレンクレイグ(Glencraig)"、“モストウィー(Mosstowie)"と命名され既存のモルトとは別のモルトとして扱われた。
ローモンド・スティルのその後であるが、1980年代初頭で役目を終る。いくつか技術的な問題があったのに加えて、グレンバーギーとミルトンダフの需要が大きく増加したのが主因であった。ローモンド・スティルは従来型の蒸溜釜に置きかえられ、その1つはスキャパに移設された。スキャパ蒸溜所のローモンド・スティルは、オリジナルローモンド・スティルのネックの棚は取り外されているが、現在もスキャパのエレガントなフレーバーを造り続けている。
蒸溜の技術によってモルトの品質をコントロールしようとしたカニンガム氏の夢と挑戦は消えたのだろうか。ポット蒸溜のどのような要素がウイスキーの品質に影響を与えているかまだ充分は分っていない。還流率以外の要素も非常に大きいからである。ローモンド・スティルのようにネック部分に精溜用の棚を設けたポット蒸溜釜をモルトの蒸溜に使用している蒸溜所は現在でも存在するし、今後蒸溜とフレーバーに関する知見が増えれば進化した形のローモンド・スティルが蘇る可能性はあるのではないだろうか。
19世紀終わり頃にはオークニーには3つの蒸溜所があった。スキャパ以外で現在も操業している蒸溜所はオークニーで最も古いハイランド・パーク(Highland Park)蒸溜所で、スキャパ蒸溜所のご近所である。現在でもフロア-式の製麦を行っていて、オークニー産のピートを使って麦芽を乾燥している。フレーバーのスタイルはスキャパと対称的に“ピーティー、スモ-キー、レーズンのような重い甘さ、麦芽様"等重厚で味はドライである。
もう1つ、フェリーが発着するストロムネス(Stromness)には1928年まで操業した蒸溜所があったが1940年には取り壊された。跡地には公営住宅が建てられていて今は面影もないが、その住宅のすぐ前の博物館に残されている数枚の写真と製品のシングルモルトの瓶が往時をしのばせてくれる。
1. Scapa Distillery. Yesterday Today. Ballantine's Co. Ltd.
2. Scotch Whisky Distillers of Today. Scapa Distillery, Orkney. Ross Wilson, Wine and Spirit Trade Record, December 1965.
3. The Whisky Distilleries of the United Kingdom. Alfred Barnard, The Centenary Edition, Mainstream Publishing, Edinburgh, 1987
4. Scotch Missed. Brian Townsend, Neil Wilson Publishing, Glasgow, 1993
5. Scapa Distillery : UISGE!
6. Lomond stills and the oil enigma : Celtic Malts
7. Scapa Flow Scuttling of the German High Seas Fleet : World War 1 Naval History
*アルフレッド・バーナード (Alfred Barnard)。19世紀後半に活躍したワイン・スピリッツ・ジャーナリスト。業界紙のHarper's Weekly Gazette誌の依嘱を受け、1885年から2年間をかけて英国(スコットランド、イングランドとアイルランド)の全ての蒸溜所を訪問。1887年に出版された“The Whisky Distilleries of the United Kingdom"は蒸溜酒の産業記録として大きな価値がある。