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稲富博士のスコッチノート

第44章 スマッグリング(Smuggling)の話 その2.スマッグラーの足跡を訪ねて

リベット川の上流:ブレーズ・オブ・グレンリベットは、スペイ川にそそぐアン(Avon)川の支流のリベット川周辺地域である。四方を山に囲まれたこの遠隔の地で密造されたウイスキーは、その品質の高さで知られた。

18世紀から19世紀にかけてスコッチ・ウイスキーの密造はピークを迎える。密造はスコットランド中どこでも日常茶飯事として行われていたのだが、多くが語られてきたのが、ハイランド、中でもスペイサイド・リベット渓谷のスマッグリングである。かっての密造の中心地、リベット川最上流地域のブレ-ズ・オブ・グレンリベット(Braes* of Glenlivet)で行われた“スマッグラーの足跡を訪ねるツアー"に参加した。

スマッグラーの谷へ

ブレーヴァール蒸溜所:1973年にシーグラム社によって建設された。2002年以降休止していたが、スコッチウイスキーの好況で今年7月から操業を再開する。

ブレーズ・オブ・グレンリベットは、交通の発達した現在でもまさに隔絶の地で、スペイサイドのクレゲラヒーから車で一時間以上を要する。クレゲラヒーからダフタン(Dufftown)へ、ダフタンの時計塔を右へとりB9009号線を10分程度行くと広大なグレンリベット・エステートへ入る。ここは英国王室の所領で、その面積230平方kmは大阪市全域の面積をやや上回る広さである。めざすブレーズ・オブ・グレンリベットはこの所領にある。

ダフタンを出てから、30分程でB9008号線に入り、グレンリベット蒸溜所をリベット川の向こうに見ながら更に十数分、「チャップルタン(Chappletown)へ」という小さな標識を見逃さないで左に曲がり、上下左右に曲折する道を10分程行くと10軒もあろうかというまことに小さな村落のチャップルタンにつく。この村にある蒸溜所がブレーヴァール(Braeval)で、ここがツアーの出発点である。

ツアー

アラン・ウィンチェスター氏(左)とデーブ・ブルーム氏:ウィンチェスター氏はツアーの解説を担当、ウイスキー・ライターのデーブ・ブルーム氏は取材で参加。スコッチ・ウイスキーの基礎をつくったスマッグラーに乾杯。

ツアーへの参加者一行は20数名。大半がイングランドやヨーロッパから来たウイスキーマニアで、皆ウイスキーの知識が豊富である。道案内はエステートのレンジャーである。

道は荒野をリベット川の最上流部に向って歩く。天候は曇り。雨でないのが大助かりだが、遮るもののない荒野を吹く強風には難儀する。200年前にはリベット渓谷のこの辺りだけで200以上の密造所があったというが、この地の隔絶さはスマッグラーには取締を逃れるのにもってこいであった。周りの丘は牧畜に使われていたが、牧畜農家は取締官一行がやってくるのを見つけるとすぐに警戒を発してスマッグラーに知らせた。何しろウイスキーの密造なくしてこの地方の生活は成り立たなかったので、スマッグラーは村の英雄であった。

かなりの昇りを歩く事1時間半、リベット川の最上流近くのまさに荒涼無人の谷に着く。スマッグラーはこのような渓谷の奥の人目につきにくいところにボシー(Bothy)といわれる仮小屋を作りウイスキーを密造した。スコッチの密造を描いた絵としてもっとも有名なものに、第17章で紹介したエドウィン・ランヅィア卿(Sir Edwin Landseer)の“ハイランドのウイスキーの密造所(Illicit Whisky Still in the Highland)"がある。当時の密造小屋でのウイスキーつくりを描いたもので、ウイスキーつくりの様子はよく分かるが、密造一家の服装は綺麗で、当時のイングランド人がハイランドにもっていたイメージで美化されている。実際に現地へ来て見ると、密造者の生活はとてもこのようなロマンティックなものではなかったと想像される。

この辺りで小休止し手持ちの昼食をとる。ツアーの解説役のウィンチェスター氏から極上のシングル・モルトが振舞われたが、この雰囲気で飲むのはストレートに限る。ぐっと口にほおりこむと味は又格別、冷えた体を芯から温めてくれる。ウィンチェスター氏はバランタインやシーバスの全モルト蒸溜所の統括マネジャーで、現在のモルト・ウイスキーの生産の最高権威者であるが、スマッグラーの歴史にも詳しい。

密造ウイスキーつくり

スマッグラーはどのようにしてウイスキーをつくったか、1部推論もいれて考察してみる。

原料

ベアー:ハイランドの山間のように、地味が薄くて寒冷多雨な気候条件でも生育し、短期間で収穫できる品種であった。ベアーの穀皮は厚く粒は固く、アルコールの収量は通常の大麦に比べて25%も低かったが、ベアーからつくったウイスキーの品質は良く高値で売れたといわれる。

ピート層:表層部はヘザーに覆われているが、その下は褐色のピート層である。このようなピート層はいたるところに見られ、燃料にするには夏季に掘り出して乾燥しておく。ウイスキーつくりや家庭での燃料はすべてピートでまかなわれた。

原料に主に使われた大麦は、第34章の「オークニーとスキャパ蒸溜所を訪ねて」でも触れたベアー(Bere)という種類である。この大麦が収穫されるのは秋の9月であるが、収穫後1-2ヶ月は休眠期で発芽しないので作業が始まるのは 10月以降である。まず大麦を布袋に入れ近くを流れる小川に2-3日浸けて水分を吸収させる。空気を巻き込んで流れる急流は酸素を多く含んでいるので発芽には好都合である。水分を吸わせた大麦は土間に広げ、1週間から10日かけて発芽させ、発芽が終了すると乾燥する。乾燥には周辺で豊富に採れるピートを燻煙した。

麦芽は保存しておいて、いよいよウイスキーの密造を開始するときに粉砕する。小規模な場合は手回しの石臼で粉砕したが、粉砕は非常に労力を必要とするので、規模が大きくなってくると水車で石臼を駆動する集落のミル(製粉小屋)で粉砕麦芽にして密造小屋に持ち込んだ。

仕込み

いよいよ密造の開始である。仕込みには60度以上の温水が必要なので、蒸溜釜か又は別の湯沸かしでまず湯を沸かす。仕込み桶は古樽の底にヒースの小枝を敷詰めたもので,そこに温水を入れ粉砕麦芽を加える。この時の温水の温度が極めて大事であるが、勿論温度計などなく親指(thumb)を突っ込んで判断した。大まかな測定を意味するRule of thumbである。麦芽を加えると全体をよく掻き混ぜて粥状にして1時間程度置いてから底近くの栓を抜いて麦汁を抜き取る。桶の底に敷かれたヒースの小枝と大量のベアーの粕が濾層になって澄んだ麦汁が採れたと思われる。抜き取った麦汁は発酵用の桶に移す。

醗酵

醗酵には酵母が必要であるが、どのような酵母を使用したかよく分からない。ベルギー・ビールのような野生酵母による自然醗酵説と、パンをつくるときのドウ(dough)を加えたという説、白樺の小枝を醗酵中の麦汁に浸して、ピートの煙りで乾燥したものは多数の酵母が付着しており、保存性がよいのでこれを使ったという説がある。一度醗酵がはじまると次回はそのもろみの一部を継ぎ足して行けばよい。仕込の容器類は洗浄されることもなかったので雑菌塗れで不潔そのもの、もろみも酸敗に近かったのでアルコールは2-3%にまでしか達しなかっただろう。尚、現在のモルト・ウイスキーもろみの度数は7-8%である。

蒸溜

醗酵の終った薄いもろみはポットで蒸溜した。釜にもろみを入れ、ピートを燃料にして蒸溜した。ローランドのウイスキー業者が発熱量の高い石炭を使い、高速で蒸溜したのに対して、発熱量の低いピートを燃料としたスマッグラーは、ゆっくりとしか蒸溜できなかった。薄いもろみをゆっくりと蒸溜した事がハイランド・モルトの品質を高めたといわれている。蒸発してくるウイスキーの蒸気は、樽に沈めた蛇管式のクーラーを谷川から引いた水で冷却して溜液を回収した。もろみの低いアルコール度数から考えると、2回蒸溜ではアルコール分は30度前後にしかならず、高度数のものをつくるには3回蒸溜が必要だったかと思われる。

密造は主に秋から冬にかけて行われた。リベット渓谷の冬は雪の中で、出来たウイスキーを町へ運ぶのは困難、ウイスキーは樽にいれて極秘の隠し場所においておくが、この間にウイスキーは熟成し美味しくなった。スマッグラーが熟成効果を発見したと言われるのはこの事に由来する。

取締り

密造用の蒸溜釜:時代も下って1888年3月に、ダフタン近くのグラースの村で摘発された。持ち主の‘ゴーシェン'スミスは名だたるスマッグラーであったが、この時すでに82才。所有物は僅かの土地と牛1頭だけの極貧にあり、1000ポンド近くの罰金はとても払えなかった。(Courtesy Glenfarclus Distillery)

スマッグラーがいくら過疎の地で隠れて密造しても、ゲージャー(gauger)といわれた徴税官の摘発はあり、スマッグラーとゲージャーとの知恵を絞った駆引きは多くの逸話をのこした。そのいくつかをご紹介する。

*スマッグラーの蒸溜道具の中でもっとも高価だったのは蒸溜釜と蛇管である。密造の取締り策の1つとして、密造を発見しゲージャーに報告すると報奨金が出たのだが、スマッグラーは自分の蒸溜釜や蛇官が磨耗してくると、密造小屋の発見者になりすましてゲージャーに報告、ちゃっかり報奨金をせしめてその金で新品を購入した。

*運悪く密造を見つかり、刑務所に入れられたスマッグラーがあまりにしょんぼりしているので刑務官が心配して声をかけた。

刑務官:
“おいお前、元気が無いがどうした。何か希望があったら言ってみろ"
スマッグラー:
“そいつはありがたい。では、ちょっくらウイスキーでもつくらせてくれるかな"

こうなると、もうスマッグラーのDNAの問題であるが、ジョークではなく似たような実話もあったという。夜になると刑務官はあるスマッグラーの獄舎の鍵をそっと空けておくのだそうだ。密かに抜け出したスマッグラーは密造小屋にもどり一晩中ウイスキーつくりをして夜明け前には刑務所に戻る。刑務官には特上の密造ウイスキーを持参したのはいうまでもない。

約4時間半のツアーはリベット渓谷の上流周辺を一周してチャップルタンの村に戻り終了した。

1. The Original Scotch. Michael Brander, Hutchison & Co LTD, 1974.
2. Tales of Whisky and Smuggling. Stuart McHardy, Lochar Publishing, 1991.
3. The Secret Still. Gavin D. Smith, Berlinn Limited, 2002.
4. Spirit of Speyside Whisky Festival
5. Glenlivet Estate - About The Crown Estate
6. Braeval:Speyside distillery (Braes of Glenlivet) : Scotland:Whisky and Distilleries

*Braeはスコットランド英語で、丘、山の中腹の意である