キルマリッドのブレンダー室のヒスロップさん
サンディー・ヒスロップさん(Mr. Sandy Hyslop)、バランタイン(Ballantine)第5代目のマスター・ブレンダーである。8月終わりから一週間来日し、東京、名古屋、大阪、横浜で「不朽の名品-バランタイン17年ブレンデッド・ウイスキー」のセミナーを行った。初来日である。マスター・ブレンダーは、品質に関わる生産の管理に非常に多忙な日々を送っているのでなかなか時間がとれなかったが、今回特に時間を工面してこのセミナーの為にやってきた。
キルマリッドのブレンダー室のヒスロップさん
サンディー・ヒスロップさん(Mr. Sandy Hyslop)、バランタイン(Ballantine)第5代目のマスター・ブレンダーである。8月終わりから一週間来日し、東京、名古屋、大阪、横浜で「不朽の名品-バランタイン17年ブレンデッド・ウイスキー」のセミナーを行った。初来日である。マスター・ブレンダーは、品質に関わる生産の管理に非常に多忙な日々を送っているのでなかなか時間がとれなかったが、今回特に時間を工面してこのセミナーの為にやってきた。
セミナー会場風景:ホテルの会場は多くのバーテンダーさん方を得90分以上のセミナー中は熱心に聴講、テースティング、ブレンド実習に励んだ
セミナーは2部から構成されていた。第1部は、バランタインはブレンドの持つ核心的な価値を品質の継承(Continuity)においているが、その価値の継承が如何に行われているかを原酒・製品のノージングとパワーポイントを行いながら説明、第2部は実際にブレンドの実習作業を通じてブレンダーの仕事を経験していただくという趣旨である。
東京と大阪は250名、名古屋と横浜も150名を越える参加者があり又多くの若手バーテンダーさんの参加が多かったので活気に溢れたイベントであった。
第一部 ノージング
ノージングとブレンド実習用キット:参加者一人一人にノージング用に8種のウイスキー、パンフレット、お土産のクエークが、一テーブルに一セットのブレンド用のウイスキーと器具が用意された
スコットランドとその中のウイスキー生産地域の説明の後、ブレンダーの仕事を理解する一助として、バランタイン・ブレンデッド・ウイスキーを構成するモルトやグレーン・ウイスキーのノージング(Nosing)が行われた。
用意されたウイスキーは8種、全て度数は約20度に調整されている。これはブレンダーが品質をチェックする時のアルコール度数で、この度数でウイスキーのフレーバーがもっともよく分かる。ノージングに供された8種のウイスキーとその特性は下記のとおりである。
原酒のノージングをリードするサンディー・ヒスロップさん:香りをよく嗅ぎ分けるには鼻をぐっとグラスに入れてしっかりと嗅ぐこと、だそうだ。
このノージングで、芳醇で重厚なモルト・ウイスキーとクリーンで軽快なグレーン・ウイスキーの違い、熟成の効果、バランタインのブレンドに使われるキー・モルトの特性が理解できた。
ヒスロップさんはよく、“バランタイン17年にとってもっとも大事な事は何か"という質問を受けるそうだ。ヒスロップさんは、“当然品質であるが、この品質は仕組みや工程すべてにおいて過去からの継続・継承がないと達成されない"と答えているが、バランタインにおけるこの継承について入念な説明がされた。
バランタインはブレンデッド・スコッチ・ウイスキーの名門である。初代ジョージ・バランタインがエジンバラで最初の食品店を開いたのが1827年、1837年には拡張した店を開き、食品だけでなくワインやスピリッツも扱うようになる。彼が何時最初のブレンデッド・ウイスキーをつくり発売したか正確な事は歴史の霧の彼方に消えてしまっているが、1800年代の中頃を少し下がった頃と思われる。ブレンデッド・ウイスキーの開祖とされているアンドリュー・アッシャー(Andrew Usher)が最初のブレンド“Usher's"を発売したのが1860年とされているので、バランタインがブレンデッドを発売したのはほぼ同じ時期にあたる。ジョージ・バランタインは、先駆者であると同時に先見性に富み、長期熟成原酒を使ったブレンデッド・ウイスキーを最初に開発した。
バランタインのマスター・ブレンダーは初代のジョージ・バランタインから現在までで5名を数える。第2代のマスター・ブレンダーはジョージ・ロバートソン(George Robertson)、第3代がジャック・ガウディ―(Jack Goudy)、第4代が我々にもお馴染のロバート・ヒックス(Robert Hicks)そして第5代がサンディー・ヒスロップで2005年にヒックス氏の後を継いだ。(※)
※ バランタインの歴代マスター・ブレンダーの系譜は、創業者のジョージ・バランタインとジョージ・ロバートソンの間に2,3別人の名前が上がることがある。ジョージ・ロバートソンは職能的スペシャリスト・ブレンダーだったが、彼以前はほとんどの場合経営陣がブレンダーを兼ねていたので創業者のジョージ・バランタイン以外は経営者として扱ったと思われる。 (スコッチノート第49章参照)
ヒスロップさんは今年45歳の働き盛り、マスター・ブレンダーとしては新進気鋭だが27年以上ウイスキーつくりの色々の部署を経験し十分な知識、経験を持つ。ヒスロップさんもそうだが、バランタインではマスター・ブレンダーはブレンダーとして20年以上の修業を積んだ上でマスター・ブレンダーに就任するが、品質の継承にはこの仕組みが必須との哲学による。
一般に、マスター・ブレンダーの主たる業務は市場でヒットする新製品を開発することであると思われがちであるが実際はそうではない。開発は非常に重要だし心躍る仕事であるが、ヒスロップ氏は“マスター・ブレンダーの最重要の責務は、ブレンドの継続性と品質を守ること"という。実際、ヒスロップさんの仕事の95%は現在のブランドの品質を守ることに費やされているどうである。実例を挙げると、ヒスロップさんは仕事の時間を半分に分け、半分は北のスペイ・サイドに出かけて傘下のモルト蒸溜所で蒸溜されるニュー・メイクの品質をチェックし、残りの半分はグラスゴー近郊にあるキルマリッドのブレンダー室でブレンドや製品側の品質を視ることに充てているという。全世界で1,000万ダース以上も販売されるバランタイン・ブランドには万が一でもミスは許されないからである。
バランタイン・ウイスキーの品質の特徴のヴァニラやクリーム様の特徴があり、優雅だが複雑な風味は貯蔵熟成にバーボン樽を使用することによるところが大きい。この熟成樽の大半にバーボン樽を使用することはバランタインの長年の伝統である。
ブレンダーからブレンダーへ引継がれる心と技、厳密な品質管理、樽の一貫性など全て伝統的な品質を維持するのが目的である。この品質の証となるのが外部から与えられた種々認証や賞で、バランタインはこの点でも傑出している。1895年、ビクトリア女王の時には王室御用達に指定、1938年にはスコットランド紋章院から紋章の授与、国際コンペでの受賞歴はスコッチ・ウイスキーのなかでNo.1等の実績である。
20世紀始め頃のボトル(左)と現在のボトル(右)
消費者が目にするパッケージも20世紀初頭から100年以上に亘り一貫性を継承している。ラベルに見られるクレスト、ジョージ・バランタインの署名、年数表示、瓶型、シールにいたるまでほとんど変化していないが、これはバランタインが“不朽の名作"であるという事を保障する証明でもある。
ウイスキーの風味のスタイルは品質の最も重要な要素であろう。長きに亘って継承されているバランタイン・ブレンドのハウス・スタイルの特徴は、"エレガント、バランスが良く、ソフトで甘い“と言える。
バランタイン・ブレンデッド・ウイスキーは世界の販売量でスコッチ・ウイスキーの第二のブランドである。特にヨーロッパにおいて人気があり一位、17年物以上のプレミアム・ウイスキーのカテゴリーはアジアでダントツの一位の地位を保っている。ウイスキーでは近年シングル・モルトの人気が高いが、ヒスロップ氏の今回のセミナーは、バランタイン17年のような優れたブレンドにはシングル・モルトとは異なる魅力があることを如実に語った。
第二部 ブレンド実習-マスター・ブレンダーに挑戦
料理と同じで、ブレンドも講釈を聞くだけではその幽玄な世界の理解は難しい、という訳で、第二部では参加者全てがマスター・ブレンダーになって実際にバランタイン17年のブレンドに挑戦した。
用意されたグレーンとモルトの原酒はすべて17年以上で、グレーン、モルトはグレンバーギー、ミルトンダフ、ハイランド、スペイ・サイド、アイラの6種、このうちシングル・モルトはグレンバーギーとミルトンダフのみであとはすべて何種類かがバランタインのレシピに従って既に混合されている。とくにハイランドとスペイ・サイドには数多くのモルトが配合されているが、これは今回の実習での作業を簡素化する狙いである。使用するウイスキーが6種であっても配合が正しければ目標のバランタイン17年と同じものをブレンドすることが可能である。
作業は、一つのテーブルに着席している数人で一チームをつくり、メンバーから1名をリーダーにしたチーム作業で行った。作業に先立ってヒスロップ氏から与えられたアドバイスは、難しいモルトとグレーンの比率に関して、通常のスタンダード・クラスのブレンデッド・ウイスキーの場合モルト:グレーン比は約30:70であるがバランタイン17年はスタンダードではなくスーパー・プレミアムなのでその点を考慮すること、アイラはそのスモーキーな個性が強烈なので十分注意して使用すること、の2点だけであった。
作業手順は、目標のバランタイン17年と使用するウイスキーの香味をよく記憶する、イメージを働かせて各種ウイスキーの比率と出来上がりが100mlになるように使用量を決め、順次所定のメス・シリンダーで計ってビーカーに移し入れて行く。ごく少量だけ使用するアイラだけはシリンダーでなくシリンジを使用した。
熱心にブレンドに挑戦する参加者とヒスロップさん:今回使用した原酒は6種類だけだが、それでも組み合わせは無限に近い。目標のウイスキーの香りを理解し原酒の配合を決めるにはスキルがいる。
開始の合図で作業開始。許容時間は30分。・・・・作業の進行はチームで大きな差があり、慎重熟慮派で20分経過してもまだ熟慮中のチームや、あまり考えても分からないと考えてさっさと先ずはやってみる実行派、この中間派など個性が表れて興味深かった。作業中ヒスロップ氏はテーブルを巡りチームからの質問に答え、アドバイスをし、出来上がったブレンドにコメントを与えて回った。
作業終了後のヒスロップさんから、各会場ともバランタインに極めて近いブレンドが2-3ありさすがバーテンダーさんとのコメントがあった。結果はともかくこのブレンド実習は楽しい体験であった。
会の終了は特別に用意されたバランタイン21年物で乾杯。全員起立しスコットランドの原語のゲール語で“スランジ・バー(Slainte mhath)"を大声で発声した。スランジ・バーはスコットランドで親しい仲間が一杯飲むときによく使われるだが意味“健康を祝して"である。ヒスロップさんは日本人の控えめな発声では気に入らず、“もっと元気良く"とやり直し。会を盛り上げるなかなかのエンターティナーでもあった。
番外
ヒスロップさんは今回が初来日で、もっと時間を割いて日本に触れたかったようであるが、多忙なスケジュールでその時間がほとんど取れなかったのは残念である。わずかな時間であったがヒスロップさんが仕事以外で過ごした時を写真で紹介する。
新幹線中のヒスロップさん:噂の新幹線に初めて乗ってご満悦。静かで良い乗り心地に感心。
新開店のThe Whisky Shopにて:サントリー大阪本社の一階に新装されたショップを訪問。ショップはウイスキーについての情報発信センターの役割が期待されている。ヒスロップさんは請われて後ろの真新しいパネルにサインをした。
お好み焼き:大阪といえばお好み焼。ヒスロップさんはこの庶民の味がすっかりお気に入り。バランのハイボールが旨かった。
大阪城大手口の巨石の前で:すこしでも日本文化を理解しようと一時間だけ空いた時間で大阪城を訪問。今から400年前にどうしてこんなおおきな石が運べたのだろうと感嘆の様子だった。
参考資料
1. The Ballantine's Story. Jonathan Mantle, George Ballantine & son Ltd 1991.
2. 『ザ・スコッチ』- バランタイン17年物語 (グレアム・ノウン著/マイケル・ジャクソン序/田辺希久子訳), TBSブリタニカ, 1996.
Website版:https://www.ballantines.ne.jp/story/17yearsold/chp-13.html
3.https://www.ballantines.ne.jp/scotchnote/49/