1.アロア・ガラス工場(Alloa Glass Works):この地でガラス瓶の生産が始まったのは1750年と言われている。現在この工場は、アメリカのオウエンス・イリノイ(Owens Illinoi) 社の傘下に属し、規模はヨーロッパ最大である。
ウイスキーはガラスのボトルに入っている。ガラス以外の陶磁器や最近はペット・ボトルも使われるが、これらはガラスのボトルに比べると極めて少ないと言ってよい。
液体用の容器としてのガラスの長所は多い。気密性が高く気体でも出入りがほとんどない(キャップと瓶口の隙間から多少の出入りはあるが)、他の物質と反応しにくく中味の品質への影響はほぼないという特性は、特にウイスキーやブランデーのように瓶詰めされてから完全に消費されるまでの時間が長い製品にはもってこいである。また、形がしっかりしている、多様な形状に制作できる、透明性があり着色が可能で製品イメージに沿った選択ができるなどの形質があり、コストも高くない(標準的なウイスキー瓶の価格は一本20-30円)、リサイクルが可能などの実用上の利点も高い。一方で、重い(普通の空のウイスキー瓶の重量は500グラム前後)、衝撃を受けると破損しやすいという欠点もあるのだが、現在ガラスに代わる容器はないと言ってよい。
そのウイスキー用のガラス・ボトルを製造しているヨーロッパ最大の製瓶工場が、グラスゴーから車なら小一時間のほどのアロア(Alloa)にあり、幸い見学が許されたので訪問した。
工場のあるアロアの町は、クラックマンナン州Clackmannanshire)の行政都市で、現在の人口は2万人弱、位置はエジンバラのすぐ北に北海から西に向かって入り込んでいるフォース湾の一番奥の北岸にある。18世紀には、近郊で採掘される石炭、織物、ガラス工業、ビール醸造と、グラスゴーから運河を使って運ばれてきた産品の積出し港として大いに栄えた。このうち現在もメジャーな産業として残っているのは今回のテーマのガラス工業だけである。
2.アロアの塔:主としてアースキン家由来の肖像画、家具調度や備品を展示しているが、アロアのガラス産業の歴史やアースキンとガラス工業の関わりを示す展示も多い。
アロアのガラス産業の発祥は、伝説では1750年に当地を支配していた第6代マール伯爵、ジョン・アースキン(John Erskine)の妻だったレディー・フランセス・アースキンが、チェコのボヘミアからガラス職人を招いて始めたと言われる。史実かどうかの確証はないようだが、アースキン家は出資や土地の提供でアロアのガラス工業に深く関わっていたことは間違いなさそうである。
15世紀から19世紀にかけてマール伯爵(Earl of Mar)の地位にあったアースキン家は、スコットランドの貴族の中でも名門貴族で、幼少のクイーン・メアリーをはじめ歴代ステュワート家の後見人、スコットランドの摂政を勤めた家柄である。そのアースキン家の居城が、14世紀から続くアロア・タワーで、今はアロア一番の観光名所になっている。タワーに近接して建てられていた館は1800年に火災で焼失したが、強固に作られていたタワーは難を逃れた。修復の後現在は博物館として公開されている。
工場は、アロア市の繁華街からやや西、フォース湾岸にある。海岸にあるのは、原料、燃料や製品の輸送に便利だったからである。工場を案内してくれたコーリン・メイソンさんは、新製品開発のマネージャー。メイソン氏によると、親会社のOI社は売上が6.8兆円、世界に81工場を持ち、24,000人の従業員がいる大会社である。このアロア工場の年産は8億本、一日で2百万本以上を生産するという。工場内には炉が4基あり、最大のものは炉の容量が600トンで透明瓶を生産する。透明瓶の炉はあと200トン炉が一基、同じくグリーン・ボトルと茶瓶用の200トン炉が各一基ある。生産されるボトルの90%はウイスキーやウオツカ、ジンなどのスピリッツ用で、流石スピリッツ王国スコットランドではある。
3.カレット置き場:グリーン瓶を製造する炉の近くに、回収されたグリーン瓶のカレット置き場があった。透明瓶と反対に使用済みのグリーン瓶はヨーロッパから輸入されるワインの瓶が多いが、英国国内ではグリーン瓶の需要がすくないのが課題という。
ガラスの原料の基本は、シリカ(珪土)が68-73%、ソーダ(重炭酸ソーダ)が10-13%、ライム(石灰)が10-15%、それに着色材が1.5-2%である。現在は、古瓶のリサイクルが盛んになっているので50%はリサイクル瓶を粉砕したカレットを使用している。カレット使用の利点は、資源のリサイクルでごみの廃棄が減るだけでなく、瓶製造工程での熱エネルギーの消費が減ることである。ただ、スコットランドで透明瓶のカレットを使用する悩みは、ウイスキーに使われる透明瓶は輸出されて帰ってこないので不足することである。原料とカレットは、原料用のホッパーで混合されてから、長いコンベアーで溶解炉のある建物の最上部に運ばれ、炉に投入される。
4.溶解炉:混合された原料はこの炉の手前部分へ連続的に供給され、加熱・融解して後方部から下の階にある成形機へ重力で供給される。
案内してもらったのは工場内で最大の600トン炉で、炉は建物の最上部にあり、この炉で溶解されたガラスは下の階の成形、冷却、表面処理、包装の工程へと流れてゆく。原料は、写真4の炉の手前から供給され、溶解しているガラスの表面に吹き付けるガス・バーナーの炎と炉内の反射熱で1,500度の高温で溶かされる。炉内で平均約丸一日滞留したガラスは、炉後方部の底部から出て、下の階の成形機に供給される。製品品質の安定性と経済性の両面から出来るだけ長期間連続的に運転することが望ましく、需要がある限り何ヵ月でも止まらず操業される。
5.成形機から出てきたガラス瓶:二番目のモールドで完成品の瓶に仕上げられた瓶が出てきたところ。まだ高温で赤く輝いている。瓶型と圧搾空気の圧力だけでこれら瓶の形がつくられる。
長年職人による手作業で行われていた瓶つくりを自動化したのが、アメリカ人のマイケル・オーエン(Michael Owen)で、1899年のことである。アロア・ガラス工場は1917年には自動化を取り入れ、以後も技術の向上を図り、現在のアロア工場の製瓶工程は完全に自動化され ている。
炉の出口からパイプを通って出てきた柔らかいガラスの生地は、ゴブ(gob)と呼ばれる瓶一つ分の分量が切り取られシュートを通ってまず一番目のモールド(mould =瓶型)に入る。ここで瓶口の形を作り、大よその瓶型に膨らませる。これを製造する瓶の外形と同じ型の二番目のモールドに入れ、瓶内に空気を吹き込んで仕上げる。
一つの炉から数ラインの製瓶ラインにガラスの生地が供給され、種々の形や容量のガラス瓶が同時に製造される。
6.パレット包装された瓶:出来上がった瓶はパレットに積み付け、ビニールのシートで覆い、そのまま出荷するか、倉庫で保管される。
成形機から出てきたボトルは、まだ熱いうちにアニーリング炉(Annealing furnace=焼なまし用の炉)の中でゆっくり冷やされる。急に冷やすとガラスの中で歪みが残り、ちょっとした衝撃でも割れやすくなるためである。アニーリング炉に入ったボトルは、チタンか錫の化合物をコーティングし温度を550度まで上げ、出口まで1時間半ほどかけて一分間に30㎝のゆっくりした速度で移動しながら60度まで冷却される。この時点で、オレイン酸、シリコン、ワックスなどで二回目のコーティング行う。コーティングの目的は、ボトルの新鮮なガラス表面は摩擦係数が高く、瓶詰ラインで瓶同士が接触すると引っ掻き傷が出来やすいのでこれを防止するためである。
こうして出来上がった瓶は、最新の電子光学を駆使した検査器で厳重な検査を受け、合格品はパレットに積まれる。(写真6.パレット包装された瓶)
7.ノーザン・コーン:1825年につくられたガラス溶解炉の自然通風装置である。中央に炉があり、炉を加熱した熱風は高さ24mのこのコーンを上昇し、回りから新鮮な空気が炉に吹き込む。1973年まで操業した。
工場の一角にノーザン・コーンと呼ばれている昔の炉が残っている場所に案内してもらった。ノーザン・コーンは“北側の円錐炉”と言えばよいだろうか。北側があるのだから南側もあると思うが実はあったのだが、残念ながらこのSouthern coneは取り壊され北側だけが残ったのである。
この装置でのボトル生産は職人の手作りで、職人は炉内の溶解したガラスを手吹き用のパイプの先に付けて取り出し、必要量を鋏で切り取ってから息を吹き込んで成形した。この形のガラス溶解炉は全英国で3ヵ所しか残っていないそうで、アロア・ガラス工場のコーンはスコットランド政府からA級の歴史的建造物に指定されている。
ガラスのボトルは、中味のウイスキーに負けない古い歴史を持つ伝統産業でありながら、近代的な技術で大きく発展してきたし、現在でも軽量化、カレットの回収率の向上、省エネルギーなどの多くの技術開発課題に挑戦中である。又、ウイスキーとガラスの関係はボトルに終わらない。スコットランドでは昔から種々のデカンターやグラスが作られてきたし、芸術的にも優れたものが多い。いつか調べてみたいと思っている。