今回はウイスキーでなくジンの話である。世界で最も良く飲まれているジンは、イングランドで生まれたドライ・ジンであるが、そのドライ・ジンの中で、独特の品質、長い歴史と多くの逸話を持つプリマス・ジン(Plymouth Gin)の話をしたい。
ドライ・ジンの原型はオランダ・ベルギーのジェネヴァ(Jenever)で、ジンという言葉の語源でもある。イギリスに伝わったのは16世紀終わり頃。当時オランダで戦っていたイギリス兵が持ち帰ったというが、1688年にオランダのオレンジ公ウイリアムがイングランドのウイリアムIII世として英国国王に即位した頃からイングランド、特にロンドンで大いに飲まれるようになった。18世紀前半は「狂気のジン時代」(Gin Craze)と言われた。
オランダのジンは、Juniper(杜松)、その他の草根木皮、砂糖を大量に加え、濃厚で甘い香味だったが、これは当時のスピリッツが粗雑でその雑味や辛味を隠してなんとか飲めるようにするためだった。イングランドのジンも19世紀前半は同じようなスタイルだったが、19世紀のカフェーによる連続式蒸溜機の発明以後、この蒸溜機を使った精溜度の高いスピリッツが使用されるようになると雑味が大幅に減って大量のボタニカルや砂糖を加える必要がなくすっきりしたドライ・ジンが出来上がった。
そのシャープな切れ味がイギリス人に受けたのだが、特にインドに駐留していたイギリス兵はマラリア予防のために摂取していたキニンの強い苦みを和らげる為に、支給されていたジンにキニン、炭酸水、砂糖、ライムと混ぜて飲む事を覚えた。これが、ジン・トニック(Gin and Tonic)の始まりである。インドから帰任したイギリス人が英国本土でジン・トニックを広めたが、ジン・トニックは今でもジンの飲み方として最も人気がある。
2.プリマス・ジンのラベル:ラベルは何回か変更されているが、現在の絵柄は1620年にプリマス港から出港したメイフラワー号が描かれている。
プリマスは、ロンドンの西約300㎞、車なら4時間半ほどの大西洋に面した都市である。デボン州の州都で現在の人口は約25万人である。古い港に沿った旧市街バービカン(Barbican)の中に200年の歴史を持つジンの蒸溜所、プリマス・ジン蒸溜所がある。小さな蒸溜所だが、歴史上のエピソードに富み、その柔らかな風味は昔からカクテル・ベースとしてバーテンダーの人気が高い。又、プリマス・ジンはイギリスのジンの中で唯一EU(ヨーロッパ連合)の規定の中で地理的表示が認められているジンでもある。
プリマスは南ヨーロッパやアイルランドに近く、大西洋を越えればアメリカやアフリカにも行きやすく古くから海上交易が盛んだったが、交易と並んで、あるいはそれ以上に重要だったのが軍事上の理由である。特にフランスとの百年戦争やスペインとの英西戦争の時には英国海軍の最も重要な軍港であった。1588年にスペインの無敵艦隊を迎え撃ったイギリス艦隊はプリマスから出港した。
そのイギリス海軍と縁が深かったのがプリマス・ジンである。18世紀頃からイギリス帝国が世界に覇を唱えたのは海軍力を背景にしていたが、最大の軍港であったプリマスから出港した艦艇はこのジンを大量に積み込んで行った。‘ジンを積まずに出港する軍艦は無かった’、‘ジンが英国海軍を支えた’と言われるほどであるが、海軍はこのジンを世界に広めるのに大きな働きをした。海軍が好んで積んでいったのは100プルーフ(57%)のジンだが、これは‘誤って火薬の上に溢しても火薬は十分に発火するから’という言い訳もあった。今でもプリマス・ジンにはこの57%のNavy Strengthがある。
3.プリマス・ジンの古いポスター:黒のマントを着た修道僧がジンのボトルとグラスをもっている。BLACK FRIAR DISTILLERY PLYMOUTHとあり、蒸溜所の起源が修道院にまで遡る由緒を語っている。
プリマス・ジンの蒸溜所の建物の古い部分は、1431年にドミニコ会が建てた修道院の一部で、蒸溜所はイングランドで現存するジンの蒸溜所として最も古い。プリマス・ジン蒸溜所は別名、ブラック・フライアー蒸溜所(Black Friar Distillery)と言はれるが、これはローマ・カトリックのドミニコ修道会の修道士(Friar)が黒のマントを羽織っていたことに由っている。因みに、カルメル修道会はWhite Friar、フランシスコ修道会はGrey Friarである。
この蒸溜所の蒸溜に関するもっとも古い記録は1697年だが、本格的にジンのビジネスを始めたのは1793年に蒸溜所がCoats & Co.となってからである。
19世紀、英国海軍御用達であったこともあってプリマス・ジンは順調に発展し、1900年にはイングランドのジンの最大のブランドにまで成長した。第二次大戦中プリマスは軍港ということでドイツ空軍の激しい攻撃対象になり、プリマス・ジン蒸溜所も焼夷弾5発を受けて事務所や資料が焼失したが幸い蒸溜設備は無事だった。これを聞いた海軍本部は早速全世界に展開している英艦隊に向けて「蒸溜所は被弾したが蒸溜設備は無事!」と打電した。これを受けたマルタ島の艦隊の司令官は、旗下の艦隊の射手に「敵機を撃墜するか、敵艦を沈没させたらプリムス・ジン1本を褒賞に与える」と伝えたという。
第二次大戦後蒸溜所は、良質の原料が手に入らない、オーナーが頻繁に変わり方針が一定しない、事業に関心のない経営陣がいて半ば忘れられた時期もあり多難な時期を送ったが、2009年にペルノ社の傘下に入り経営は安定した。
4.プリマス・ジン蒸溜所の蒸溜室:蒸溜釜が3基並んでいる。一番右がジン・スティルでグレーン・スピリッツにボタニカルを浸漬し蒸溜する。前溜と後溜をカットした余溜は中央の釜で精留しアルコールを回収する。左のスティルは以前スピリッツの精製に 使ったがスピリッツの品質が上がった現在は使われていない。
ジンの製造は、良質のグレーン・スピリッツに、軟水と200年の伝統を持つレシピで配合されたボタニカルをジン・スティルで蒸溜する。ボタニカルは、ジュニパー・ベリー、アンジェリカ、レモン・ピール、オレンジ・ピール、カルダモン、コリアンダー、オリス(におい菖蒲)の7種。プリマス・ジンはジュニパーや香りの強い果皮・種子を抑え、オリスの根を多めに使っているので香りは穏やかでやや土様の香りがありスムースで深い味わいと長い後味がある。
5.レフェクトリー・バー:僧院の食堂だったこのカクテル・バーは、船底型の天井、深いえんじ色の壁、過度の装飾は無いが歴史の重みの中で最上のカクテルを楽しむのにぴったりの雰囲気がある。
蒸溜所の見学の後、蒸溜所の建物の中で最も古い所と言われているレフェクトリー・バーでジンの試飲をした。レフェクトリー(Refectory=食堂)は蒸溜所がブラック・フライアーの僧院だった時に食堂として使われた場所というから600年前を経ていることになるが、今は素晴らしいラウンジ・バーになっている。
このレフェクトリー・バーには特筆すべき歴史上の出来事がある。英国国教の迫害を逃れてアメリカに渡った清教徒が、メイフラワー号でアメリカに向かってプリマスを発ったのは1620年9月6日、乗船した102名の乗客の内の約半数がイングランドでの最後の夜をこのレフェクトリーで過ごしたのである。その宿泊者の名前は、バーの壁にかけてある掲示板に見ることができる。
6.サボイ・カクテル・ブック2011年版の表紙:このカクテル・ブックの中でプリマス・ジンと指定しているカクテルの数は出典によって少し異なる。2011年版を調べるとプリマス・ジンを指定しているカクテルが33、その他にBeefeaterが2、Gordonが1、Nicolson's が2、Crystalが1であった。
長い歴史をもつプリムス・ジンは、カクテル史の中で顕著な地位を占めている。いくつかをご紹介する。
まず、英国海軍と切っても切れない関係だったプリマス・ジンのカクテルの中で海軍生まれを二つ。いずれも海軍の任務に伴う必然から生まれたものである。
ピンク・ジン:プリマス・ジンにアンゴスチュラ・ビターズを1,2滴加えてシェークするだけだが、このビターズは原料になっているリンドウの根の成分が消化促進、風邪予防、精神安定等種々の薬効があり、特に船酔いに効果があるというので海軍に重用された。ロンドン・ジンと比べて甘口のプリマス・ジンは苦いアンゴスチラ・ビターズとの相性が良かった。
ギムレット:1879年から1913年の間に英国海軍に外科医として勤務したトーマス・ギムレット(Sir Thomas Gimlette)海軍少将の考案である。長期の航海を余儀なくされる軍艦の乗組員にとってビタミンC不足からくる壊血病は大問題だったが、ギムレットを飲む事でライム果汁に含まれるビタミンが自然に補給された。
ドライ・マティーニ:カクテルの王といわれるドライ・マティーニの起源は諸説あるが、一つの有力な説は創作者のMartini Diarma Dittagia の名前に由来するというものである。彼は、ニューヨークのKnickerbocker Hotelの首席バーマンだった1896年に、プリムス・ジンをベースにこのカクテルを考案したという。
サボイ・カクテル・ブック:1889年創業のロンドンのサボイ・ホテルは、超高級ホテルの象徴ともいえるホテルで、その中のアメリカン・バーは1920年代の雰囲気を今に留める世界第一級のカクテル・バーである。このバーのチーフ・バーテンダーだったハリー・クラドック(Harry Craddock)が1930年に刊行したサボイ・カクテル・ブックは今でもカクテル・ブックのバイブルと言われているが、その中のジンを使ったカクテルのレシピのほとんどがプリマス・ジンとブランドを指定している。
7.プリマス港のメイフラワー号出港地の記念碑:1620年9月6日、102人の清教徒と30数人の乗組員はここからメイフラワー号に乗船してアメリカに向かった。
プリマス・ジン蒸溜所を出て10分も歩くと港に出る。埠頭の一角に清教徒が1620年にメイフラワー号に乗り込む時に降りた石段があり記念の門碑が立っている。今はプリマス・ジン蒸溜所になっているブラック・フライアー修道院の食堂で一泊した一行は、ここからメイフラワー号に乗り込んだ。メイフラワー号が大西洋を横断し現在のアメリカのマサチューセッツ州のプリマスに着いたのは66日後であった。一行には非常な難関が待ち受けていたが、アメリカ合衆国の建国はこの時に始まった。
終わりにやや硬い話で恐縮だが、現在のジンの定義について述べておく。EU(ヨーロッパ連合)の定義では、一般的には農産物起源のアルコールにJuniper(杜松)やその他の草根木皮の香味を付加したスピリッツと定義される。この香味の付加の方法で3種のジンが規定されている。条件の緩い順番に言うと:
1.Gin - 農業起源のアルコールに、認可されているJuniper及び他の植物成分の天然物か天然物と同じ香気成分のフレーバリングを付加したもの。どのように香り付けするかは問わない。
2.Distilled Gin - Juniperと他の草根木皮を、農業起源のアルコールと一緒に再蒸溜する。天然物と同じ成分のフレーバーの添加をしても良い。
3.London Gin - Juniperと他の草根木皮を、農業起源のアルコールと一緒に再蒸溜する。フレーバーの添加は認められない。
原産地表示に関しては、 プリマス・ジンが英国のジンの中で唯一原産地表示を許されたジンで、プリマスの旧城壁に囲まれた地域の中で蒸溜されることが必須である。ロンドン・ジンはロンドンで蒸溜しなくてもロンドン・ジンと表示することが出来る。