Ballantine'sBallantine's

Menu/Close

稲富博士のスコッチノート

第85章 アナンデール蒸溜所-90年後の復活

1.復旧されたアナンデール蒸溜所

昨年の11月15日のことである。スコットランド南西部にソルウェー湾に面しているダンフリース及びガロウェー(Dumfries and Galloway)州にアナン(Annan)という古い港町があるが、この日この町の北外れにあるアナンデール蒸溜所の開所式が行われた。蒸溜所は1924年からウイスキーを製造していないので90年ぶりに復活したことになる。

蒸溜所は、建設されたのは1830年というから、スコットランドの蒸溜所の中でも古い部類に入る。建設したGeorge Donaldは元税務官で、40年間蒸溜所で寝食を共にした。1883年にJ. S. Gardnerが蒸溜所を賃借して大幅な改造工事を施して近代化した。Gardnerは1887年にアナンデール蒸溜所を訪問したAlfred Barnardを自ら案内している。1893年、蒸溜所はJonny Walkerの所属になったが前述のように1924年に閉鎖された。

1923年に蒸溜所を買い取ったのはロビンソン氏であるが、彼は蒸溜所をいつか復活したいと思っていた訳でなかった。彼は、オーツ・ポレッジの有名ブランド、‘Provost’のオーナーで、アナン市内の製粉所でポレッジの製造をしていたが、蒸溜所の発芽床、キルンをオーツの貯蔵や乾燥に使用した。これはまあ許せるとしても、ウイスキーの貯蔵庫が牛小屋に転用されたのは長い歴史を誇る蒸溜所にとって屈辱的だった。その他の蒸溜設備は荒れるままに放置されていた。

トムソン夫妻の夢と情熱

2.開所式で挨拶するトムソン教授:2007年から2014年まで7年を要したアナンデール蒸溜所再建の経緯を語った。多くの困難な問題の解決に力を貸してくれた協力者への感謝も忘れなかった。

長い歴史はあるが、このままでは荒廃してしまうアナンデール蒸溜所をこの地方の有名蒸溜所として再興する夢をもった夫婦がいた。デーヴィッド・トムソン教授(Professor David Thomson)と夫人のテレサ・チャーチ(Teresa Church)である。

トムソン教授は、アナンにすぐ近いダンフリースの出身。レディング大学(University of Reading)の感覚科学の教授であると同時に、世界的な消費者嗜好の研究会社MMR Research Worldwide社の創業者社長でもある。イングランドのオックスフォード、ニューヨーク、シンガポールと上海に拠点を置いて事業展開しているこの分野の世界的トップ企業である。このMMR Worldwideの顧客には、Unilever, Kellog’s, Nestle等の食品会社、ABInBev, Coor’s, Carlsburg等のビール会社、Diageo, Bacardi等の蒸溜酒メーカー、ASDA, Tesco等のスーパー等、世界のトップ企業が名を連ねている。

自分の出身地のダンフリース・ガロウェーとウイスキーに強い愛着を持っていたトムソン夫妻は、アナンデール蒸溜所の復活で次の事を達成したいと思ったそうである。第一は、第一級のローランド・モルトの生産と独自のブランドの実現、第二に、蒸溜所の操業やビジター・センターの運営で雇用を創出し地方経済に貢献すること、第三はアナンの歴史に占める蒸溜所の文化的価値の保存と公開で観光客を呼び込み、更に地域への投資を増やすことである。

協力者

これだけの多岐にわたる内容の仕事を、多くの関係組織と調整しながらある期間内にこなすのは、トムソン夫妻が如何に有能でも自分達だけでは無理だったが、幸いグラスゴー大学の考古学、スコットランド史、文学とコミュニケーション学の一流の研究者が労を惜しまず協力してくれた。

産業考古学

3.発掘された蒸溜釜の直火炉:発掘調査以前、この炉は完全に地下に埋没していて、元の蒸溜室がどこにあるのか不明だったが、ほぼ完全な形で発見された。

産業考古学は、19世紀以降の急激な産業の変化で、かっての産業遺産が失われて、当時の技術、設備などの体系が保存されることなく消滅して行くことを防ぐことを目的としている。ウイスキーも例外でなく、古い時代の蒸溜所やものつくりが保存されている例は多くない。1830年に建設されたアナンデール蒸溜所は、当時のウイスキーつくりを知る上で貴重な遺構であり、蒸溜所の再建に先立って組織的な調査が行われた。

協力したのは、グラスゴー大学の考古学研究所のAtkins博士を中心にしたグループで、蒸溜所に関する文献記録の調査と現地の発掘作業を担当した。その結果、オリジナルの製造設備とレイアウトが明らかになり、現存する建物から予想されるものと大きく異なる事が分かったのである。

元の蒸溜釜の加熱用の炉の発見はその一例である。

「最初に蒸溜所を見た時に、何故煙突が建物から相当離れてぽつんと立っているのか不思議だった」、とトムソン教授は言う。煙を出す炉は煙突のすぐ下にあったのだが、完全に地下に埋没していて見えなかったのである。この結果、今は煙突と主建物の間には何もないが、以前はこの蒸溜室を入れる建物があったことが分かった。

ブランディング

アナンデール蒸溜所は、その歴史的、文化的価値の保全に大きな努力が払われたが、蒸溜所は非営利団体ではなく、その将来は経済的に成功し、20億円の投資に見合う利益が出せるかにかかっている。その意味で、再興されたアナンデールのシングル・モルトに独自のブランド価値を与えるにはどうするか、パッケージ・デザインにどういった表象を使うかというテーマは、プロジェクトの経済的基盤に関わる重要課題である。

このテーマに協力したのはグラスゴー大学の英語とコミュニケーション学のCorbett教授である。ブランドにアナン地域の歴史を反映させるという方針で2018年に発売予定の2種のシングル・モルトに選ばれたブランド名は「Man O’Sword」と「Man O’Word」である。Man O’Sword (剣士)は、スコットランド建国の王、ロバート・ザ・ブルースを表しているが、ブルースの出自は第7代アナン伯爵であった。Man O’Word(文人)はダンフリースで徴税官をしていたスコットランドの国民詩人ロバート・バーンズに因んだ。

地域情報の整備と活用

もう一つの課題は、アナンデール蒸溜所の再建プロジェクトに関連して、アナン地域の歴史・文化に関わる情報を発掘、整理し、蒸溜所を訪れる人はもちろん、地域の博物館でも来場者が手軽に情報にアクセスできるシステムを構築するということであった。これは非常に根気のいる仕事であったが、この仕事に協力したのはスコットランド史が専門のCowan教授であった。

蒸溜所と製法

4.アナンデール蒸溜所の醗酵槽と再溜釜:仕込槽は右手前にあり、初溜釜は最奥に見える2基の再溜釜の左側に配置されている。ワン・フロアーで作業が出来るように設計されている。

トムソン夫妻が荒れ果てた蒸溜所を購入したのが2007年、以後7年幾多の困難に出会いながらも粘り強く解決して新生アナンデール蒸溜所は2014年11月に正式にオープンした。

新装なった蒸溜所は非常にオーソドックスな設計である。蒸溜所の設計・建設には高名なジム・スワン博士がコンサルタントを務め、主要設備のマッシュタンや蒸溜釜はロセスのフォーサイス社に発注した。技術的にはベストの布陣である。

5.アナンデール蒸溜所第一号樽の樽詰め。樽の鏡に01 2014とある。左からテレサ・チャーチさん、トムソン教授、蒸溜所長のマルコム・レニー氏。

麦芽: Non-peatedとPeated(フェノール45ppm)の2種類を使用。
仕込槽: セミ・ラウター(仕込み槽中のギアが上下しない型)。一仕込み当たりの麦芽量2.5トンで、これから12.5klの麦汁が採れる。
醗酵槽: オレゴン・パイン製の醗酵槽が6基で、容量12.5kl。使用する酵母は2種で、醗酵は長時間発酵、醗酵終了時のもろみのアルコール度数は約8%である。
蒸溜釜: 蒸溜釜は銅製で、初溜釜は12.5klが1基、再溜釜は4.0klが2基。再溜釜を小型のもの2基に分けたのは、蒸溜中のスピリッツと銅との直接接触する 面積を増やし、釜内部での還流度を上げてすっきりしたタイプのスピリッツを得るためと思われる。本溜のアルコール度数は約72度で2回蒸溜としてはやや高 い。
樽: 主力はアメリカン・オークのバーボン樽であるが、シェリー樽やヨーロッパのワイン樽も使用する。樽詰め度数は伝統的な63.5度。
貯蔵庫: ダンネージ(Dunnage)といわれる輪木積み。

開所式の当日、新アナンデール蒸溜所で蒸溜されたウイスキーの第一号樽の樽詰め式が行われた。

バグ・パイプ

6.本番に備えてバグ・パイプの調音をするローヤル・バラ・アナン・パイプ・バンド:全奏者が、一つのバグ・パイプに付いている4本のパイプ全部の音を一つずつ調音するのは結構時間がかかる。パイプ一本ずつ、電子式のチューナーで振動数を測って合わせていた。

開所式では、その他多くのイベントが催され花を添えた。スコットランドの大きなイベントに絶対に欠かせないのがバグ・パイプで、この日はアナンのローカル・パイプ・バンドのRoyal Burgh of Annan Pipe Bandが協賛した。

今では、バグ・パイプは音が聞こえると一瞬のうちに、‘あゝ、スコットランドだ’というムードになるほどスコットランドの民族楽器の感があり、実際世界中で、スコットランドで最もよく演奏されている。スコットランドのバグ・パイプは、グレート・ハイランド・バグ・パイプと呼ばれて14世紀頃にスコットランドで生まれたものだが、バグ・パイプそのものの原型は、数世紀頃の東ローマ帝国という説が有力である。

バグ・パイプは、やはりちょっと変わった楽器である。大きな空気袋には5本のパイプが付いている。1本は空気袋に空気を吹き込むもの、1本はチャンター(chanter)という旋律を奏でるパイプ、残り3本はいつも「ア」の持続音を出し続けるドローン(drone)である。音を出すのは蘆を削ったリード(reed)で、空気袋から出た空気がリードのあるチャンタ―を通ると、リードが振動して音を出す。メロディーを奏でるチャンタ―のリードは2枚なので、オーボエやチャルメラの親戚である。

子供展覧会

7.蒸溜所の開所式で行われたちびっこ展覧会で優勝した絵:絵を描いたのは、アナンのベリー・マシュウ君、6歳。絵のタイトルは、「ベルティー牛に大麦をやろう」となっている。

一室では、地元の小学校の生徒が描いた絵の展示会が行われていた。一等賞に輝いた絵を紹介する。

写真7.のタイトルの「Barley the Beltie」の解釈には相当悩んだ。ベルティー(Beltie)は絵のように腰の所が白いベルト状になった牛の品種の一つ。バーレー(Barley)は大麦のバーレーでウイスキーの原料だが、Barley beef (大麦を飼料に与えた肉牛)という言葉もあるので、この絵の場合は「飼料に大麦をやる」となる。しかしながら、蒸溜所では大麦はウイスキーに変っているので、牛は飼葉桶に入ったウイスキーをストローで飲んでいるのである。6歳の男の子の、ユーモアある発想力には脱帽。

アナンデール蒸溜所再建のプロジェクトは、規模から言えば大きなものではないが、産業面だけでなく、大学と協力することで歴史、文化、学術等の面でも豊かな知財開発が出来ることを示した好例である。

参考資料
1.http://www.annandaledistillery.com/
2.http://www.mmr-research.com/
3.http://www.gla.ac.uk/colleges/arts/knowledge-exchange/themes/heritage/annandale/