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稲富博士のスコッチノート

第87章 クラフト蒸溜所-その2 キングスバーンズ蒸溜所

1.キングスバーンズ蒸溜所

ホーム・オブ・ゴルフ、セント・アンドリュースから東南へ約10㎞、北海の海岸に沿って行くと、キングスバーンズ(Kingsbarns)という小さな村がある。キングスバーンズという地名は、14世紀頃にはここに何棟かのバーン(Barn = 穀物庫)があり、ここから西方約35㎞のフォークランド宮殿に穀類を供給していたことに由来する。

見どころは、村の中心にある17世紀に建てられた教会、距離数百メートルにある白砂の海岸、2kmばかりの所には早春に咲くスノードロップの見事な群生と庭で知られるカンボ(Cambo)宮殿、そのすぐ海岸寄りのゴルフコースは2000年完成で新しいが、早くもスコットランド屈指のコースとの評価が高い。そのキングスバーンズ村の近くに、今年2月に新しくキングスバーンズ蒸溜所がオープンし、もう一ヶ所見どころが加わった。

ダグラス・クレメント氏

2.ダグラス・クレメント氏(38才):キングスバーンズ蒸溜所の生みの親の一人で、現在はキングスバーンズ蒸溜所広報担当役員。195㎝の長身。一時はプロを目指したゴルフのハンディキャップはロー・シングル。背後の壁の銘板には「Kingsbarns Distillery. Opened by William Weymss and Douglas Clement. 30th November 2014」とある。

キングスバーンズ蒸溜所は、ごく小規模のクラフト蒸溜所である。その建設には二人の立役者がいた。セント・アンドリュース近くの農家の出で、長じてキングスバーンズ・ゴルフ・リンクスでプロのキャディーをしていたダグラス・クレメント氏と、もう一人はスコットランドでもっとも古い歴史を持つ貴族、ウィームス(Weymss)・クラン(氏族)のウィリアム・ウィームス氏である。キングスバーンズ蒸溜所は、言わば農民と貴族の合作であるが、まず嚆矢を放ったのは農家出身のダグラスであった。

蒸溜所の発想についてダグラスの言である。“世界100傑に入るキングスバーンズ・ゴルフ・リンクには世界中から腕自慢のゴルファーが来る。その多くのゴルファーから、スコットランドへ来たからにはウイスキーの蒸溜所が見たい、どこかへ案内してくれないか、と頼まれるのだが、一番近くのアーベルフェルディー蒸溜所でも70㎞以上離れていて簡単ではなく、多くの場合諦めてもらうしかなかった”。

更にダグラスは回想する。“確か2009年の事だった。地球の反対側から来てくれた常連のゴルファー達と、何時ものようにラウンドが終わってクラブのラウンジで19番ホールをやっていたのだが、だれともなく近くに蒸溜所がないなら皆で金を出し合って一つ作るか、となり必然的に自分が世話役になって発足したのが、Kingsbarns Distillers Co. Ltd である”と。

蒸溜所を建てるとなると、まずは用地が必要になるが、地元を熟知していたダグラスがここしかないと思ったのが、キングスバーンズ村の外れにあった古い農場、イースト・ニューホール・ファームの廃屋である。19世紀中頃に建てられたこの農場は、1980年からしばらくは小中学生の教育施設として色んな種類の家畜-牛、馬、豚、羊、山羊、ウサギ、鶏、アヒル、鳩などを飼育展示していたが、それも1988年に閉鎖され以後荒れるままに放置されていた。この農家の廃屋を修理して蒸溜所にしようという訳である。

農場のある土地は、カンボ・エステート(Cambo Estate)の所有だが、交渉の結果、期間100年でリースすることが出来た。土地と蒸溜所を入れる建物は決まったが、蒸溜所の建設となると、製造免許の申請、史跡指定になっている農場の改造は制限があるがその中での蒸溜所の設計、環境問題、作ったウイスキーの販路、資金計画等全てダグラス一人の肩に掛かってきて大変だった。プロジェクトが、立ち上げた会社の容量を超えていたのである。

ウィームス・クラン

3.ウィームス城:フォース湾を南に見下ろす崖の上に立っている。現在のウィームス・クランのチーフ、マイケル・ウィームスと夫人のシャーロットが暮らす。城の裏側、すこし離れたところにあるウォールド・ガーデン(壁で囲まれた庭園)は、クレマチスの収集で著名である。

ダグラスの夢から始まったプロジェクトだが、実務の勘に長けていたダグラスはここで方向の転換をはかる。ファイフの有力クランで貴族のウィームスにプロジェクトに参加するよう声をかけたのである。結果的にこれは大成功だった。ウィームス一族は色々な事業展開をしているのだが、その一つにウィームス・モルトというウイスキーのボトラーを経営していて、出来るだけ早期に自前の蒸溜所を持ちたいと思っていたところだったのである。

ウィームス・クランの家系は一千年にも及び、スコットランドのクランの中でも最も古い歴史があるクランで、スコットランドの多くの歴史的場面に登場している。14世紀にはロバート・ブルースと共にイングランドと戦い、1320年のアーブロース宣言(Declaration of Arbroath)では、宣言書にシール(印章)を付けたスコットランド貴族の一人であった。

悲劇の女王クイン・メリーが、将来夫となるダーンリー公(Lord Darnley)と出会ったのは、ウィームス・クランのチーフの居城ウィームス城で、ファイフのカーコーディー市のすぐ東にある。イングランドとの戦いにおいてウィームスは一貫してスチュワート王朝側につき戦った。1745年のジャコバイトの乱では、第5代ウィームス伯爵の長男デービッド・ウィームスはボニー・プリンス・チャーリーとイングランドへ遠征、最後のカローデンの戦いで敗れてフランスへ亡命したが、パリで客死している。現在のウィームス・クランは、伯爵の三男、ジェームス・ウィームスの子孫である。

ウィームスは、スコットランド貴族社会と政治における存在が大きかったが、それだけでなく17世紀の第二代伯爵の時代からビジネスにも力を入れてきた。ファイフの炭鉱の開発、石炭を燃料にして海水を煮詰めた製塩事業、その他港湾の整備等である。

現在のクラン・チーフ、デービッド・ウィームスと弟のウィリアムも商売熱心で、ケニアにおける紅茶栽培、オーストラリアのアボカド農園、不動産、水力発電、酒類ではウイスキーのボトラー(ウィームス・モルト)、フランスのワイナリー、ロンドンのテームズ・ジン蒸溜所と多角的である。キングスバーンズ蒸溜所もこの一族の経営である。

生産施設

4.キングスバーンズ蒸溜所の製造プラント:仕込から発酵までの設備は、全て近代的なステンレス・スティール製である。蒸溜所長兼オペレーター一人で原料の受け入れから蒸溜までをこなし、週一回の樽詰も一人のアシスタントと一緒にやってしまう。生産性には抜け目がない。

蒸溜所は昨年11月に完成、今年の4月から製造を開始した。蒸溜所の諸元は下記の通りである。

●原料:ファイフ産の大麦を使ったノン・ピーテッド・モルト。
●仕込:仕込槽はセミ・ラウター型。一回の仕込量は麦芽1.5トン。仕込時間6-7時間。
●発酵:麦汁7.5klの仕込槽4基。発酵時間は70-90時間。
●蒸溜:初溜釜7.5kl、再溜釜4.5kl。スピリッツのアルコール度数は約72%。
これを樽詰め時は63.5%に度数を下げて樽詰する。
●樽:フレッシュ・バーボン、シェリー樽、ポート樽のリメイク等。
●生産量:現在は年間140kl
(バーボン樽換算で約1,200丁)だが、仕込みと蒸溜能力はこの3倍強あるので、将来需要が増えると醗酵槽を増設すれば約600klまで生産が可能である。

製品のシングルモルトのセールス・ポイントは、地元ファイフ産の大麦、スロー・プロセスによるライト、フルーティー、エレガントな味わいだそうである。

農業遺産とビジター・センター

5.キングスバーンズ蒸溜所に残っているデュコット。約600の巣箱がある。18世紀の農園と当時の人々の暮らしを今に留めている。

クラフト蒸溜所にとって、来場者に心のこもった案内をして蒸溜所とひいては製品の魅力を実感してもらう事は非常に大切である。ウイスキー事業は、蒸溜したウイスキーが熟成して製品として発売され、収益を生み出すまで資金は出っ放しであるが、キングスバーンズは観光面でも相当な投資をしている。

その一つは、蒸溜所の出自、イースト・ニューホール・ファームに残された農業遺産の活用である。冒頭に掲げた写真の中央やや左に見える尖り屋根は、農園時代に穀物を挽いたホース・ミル(馬で曳く石臼)跡で、今は受付に使われている。もう一つのデュカット(Doocot)は英語のダブコット(Dovecot)のスコットランド訛りで鳩小屋である。昔、鳩小屋に住みついた鳩とその卵は人間の貴重な蛋白源であった。

この他、展示室には蒸溜所とその周辺の地質と水脈の説明、古い農具の展示があり蒸溜所の環境と前歴を知ることが出来る。

蒸溜所には大小二つのセミナー・ルームがある。今蒸溜されているスピリッツがウイスキーになるには最低3年後なので、テースティング出来るのはニューメイクだけであるが、ウィームス・グループには既にウィームス・モルトというボトラーがあって、数種のスコッチ・ウイスキーを発売しているのでそれらのテースティングは可能である。

6.セミナー・ルーム:ウッド・フロアリングと同色のテーブルは落ち着いた雰囲気。簡素な中にも気品があり、10人程度のグループならゆったりした気分でセミナーが受けられる。

キングスバーンズ蒸溜所は、スコットランド有数の歴史をもつ貴族が経営する蒸溜所で、そこに‘安上がり’は許されない。設備、コンテンツ、製品の品質とサービスの全てが第一級であることを課されているように思われた。

謝辞:多忙な中、インタビューに応じていただいたクレメント氏と、今回も取材に力を貸していただいた田村直子、宇土美佐子両氏に心から御礼申し上げます。

参考資料
1.http://www.kingsbarnsdistillery.com/
2.http://www.camboestate.com//
3.https://en.wikipedia.org/wiki/Clan_Wemyss/
4.http://www.wemysscastlegardens.com/index.html