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バランタイン17年ホテルバー物語

パレスホテル東京 ロイヤルバー

第12回 「春の追憶」

作・達磨 信  写真・川田 雅宏

*この物語は、実在するホテル、ホテルバーおよびバーテンダー以外の登場人物はすべて架空であり、フィクションです。

  黒い扉の前で腕時計を見た。正午にはわずかに間がある。まだ午前ということに驚きもした。夜の街場のバーは行き慣れているのだが、昼間のこんな時間にバーに入るのははじめてだった。
  足を踏み入れると、照明の光度が抑えられた瀟洒で格調高い空間の中でカウンターが眩く黒光りしていた。三月の柔らかな明るい日差しの中を歩いてきたせいなのだろうが、陰影の差に少し腰が引ける。たったひとつの扉を隔てただけで異次元の世界へワープしたかのようだった。
  お堀を眼前にし、象徴的といえるまでの千代田区丸の内1−1−1という住所を戴くパレスホテル東京のロイヤルバーは、それほどまでにコスモポリタンが薫っていた。
  テーブル席にはすでにふた組の客がいた。ひと組は3人のスーツ姿の外国人ビジネスマン。少し離れてもうひと組、ふたりの日本人の品のよい年配のご婦人。日本のようで、日本ではないような。東京で生まれ育ちながら、40代半ばにしてお上りさんのような自分を笑う。
  前日に電話を入れ、11時30分の営業開始時間からの勤務であると確認はしてはいたが、カウンター席へ着いておしぼりを手渡されるときにバーテンダーの名札をチェックした。30歳前後だろうと推測していた通りの人だった。
「宮下さんですね。はじめまして。舘花浩吉の息子の浩市と申します。父が生前、とてもお世話になりました」
  浩市がそう挨拶するとバーテンダーは生真面目に答えた。
「お待ちいたしておりました。宮下でございます。こちらのほうこそ、舘花さんにはとてもよくしていただきました。生まれ変わりましたわたくしどものホテルに、もっともっとお越しいただきたかったのですが、残念でした。こころからお悔やみ申し上げます」

  入試が終わり、新年度を迎える慌ただしい中で、平日に珍しく空白の一日が生まれた。今日だけは大学からの面倒な電話もないだろうから、気にかかっていた父がよく歩いた道筋をたどってみることにした。
  来月2日に生まれ変わる銀座四丁目の歌舞伎座から六丁目の新橋演舞場、そして日比谷の劇場街へとまわり、日比谷通りを北上した。歩きながら父と同じように、クルマの往来の先に佇む皇居の森を眺めつづけた。
  行幸通りに入り、昨秋復刻なった東京駅を背に内堀通りに向かう。父は新しい駅舎を見ることなく逝ってしまった。和田倉噴水公園が近づく。ここには浩市にも思い出があった。結婚前、妻となる彼女をはじめて父に紹介したのがこの公園にあるレストランだ。予約したのは父だった。
「わからんくせに、わかったような顔をして、勉強ばかりしている大学の先生を旦那にするのですか。あなた、ほんとうにそれでいいの」
  デザートを味わいながら発した父の言葉に、妻が笑い転げながら「仕方がありません」と答えた。父はそのひと言で彼女を気に入ったらしい。
  先日調べてみると、公園のレストランもパレスホテルが運営していた。
  噴水公園までくれば、パレスホテル東京はすぐ目の前にある。だが、父とふたりでこのホテルに来たことは一度もない。
  父は悠々自適の隠居生活を送りながら観劇と囲碁をいちばんの楽しみにしていたのだが、昨年夏に天国へ旅立った。家の近所の道を自転車で走っていて、飛び出してきた野良猫をかわそうとして転んだ。打ちどころが悪く、あっけなく逝ってしまった。妻からの連絡に、浩市は「ジョークだろう」と吹き出してしまったほどだ。信じられなくて、悲しみが襲ってくるまでに時間がかかった。
  一段落して遺した日記を読みすすんでいくうち、歌舞伎から宝塚歌劇まで演劇を幅広く愛していたことに驚かされる。そして観劇の後に必ずパレスホテルのバーへ立ち寄っている。
  会社をリタイアした2001年から日記は付けられていた。昨年7月初旬、最後に父がこのロイヤルバーを訪ねた日の頁にはこう記されている。
『昼は蕎麦。新橋演舞場から歩く。雨上がりの皇居の緑が美しい。だが蒸して汗の量はなはだしい。パレス宮下のマティーニよし。いつものウイスキー2杯』
  日記といっても短文で簡潔すぎるほどだった。なかには『鰻屋、宝塚、パレス』とか『吉右衛門、見事。その後、パレス』だけの日もある。ひどい日は『囲碁。キヨダのバカ!』とある。親友の清田さんに囲碁で負けて、よほど悔しかったのだろう。メモのような頁をめくっているうちに、いつの間にか精神状態や行動パターンが読み取れるようになった。

  宮下に父の好んだマティーニを頼んだ。氷を痛めない、ゆっくりとしなやかなステアをして生まれた一杯は、想像していた研ぎ澄まされたシャープな切れ味とは異なるものだった。ジンとベルモットの比率が8対1だというのに独特のふくよかさがある。これが父の愛した味だと思うと、感慨深い。
  ロイヤルバー、伝説の初代バーテンダーで『ミスター・マティーニ』と呼ばれた故今井清が父の好みに合わせてつくった味わいだという。
「この味は、ビターズの加減にあるということに気づくまで、舘花さんに何度も駄目出しされました。わたしを鍛えてくださいました」
「うるさかったでしょう。ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、とんでもありません。いつも優しくニコッと微笑まれてから、宮下くん、まだハード過ぎる、とおっしゃいました。そう言われる度に、絶対に頷かせてみせるぞって。もう意地でしたね」
「父も楽しみだったはずです。若い人が頑張っている姿を見るのが好きでしたから。最後にこちらを訪ねた日の日記に、宮下さんのマティーニよし、と書いてありました」
  浩市がそう言うと宮下は目尻を潤ませた。
「嬉しい。とても嬉しいです。ありがとうございます」
  父が彼を可愛がった理由は、この純粋さなのだろう。
「ところで、父のいつものウイスキーって、何だったのですか」
「ご存知なかったのですか。バランタイン17年です。マティーニの後に必ず2杯。それ以上は飲まれません。だからお酔いになった姿を一度も見せられたことがありません。独特のダンディズムがありました」
  そう言うと宮下は父が好んだグラスでオン・ザ・ロックをつくった。ちょっと小ぶりで、粋なカットが施されている。
「あっ、そういえば、一度だけいつもよりたくさんお召し上がりになられた夜があります。心地良さそうに、珍しく昔話をしてくださいました」
「ほんとうに。よろしければ、その時の話をしていただけませんか」

  パレスホテル東京がグランドオープンしたのは昨年5月になる。生まれ変わるために旧パレスホテルが休館する直前、2009年正月明けのことだったと宮下は言い、父が酔い心地で語った話を教えてくれた。
  旧パレスホテルは日本ではじめてオフィスビルを併設したホテルだった。そこで、外資の東京オフィスの日本人秘書をしていたのが浩市の母になる人で、デートの待ち合わせ場所はホテルロビーか、陽気のいい日は和田倉噴水公園だった。
  一度はロイヤルバーに入ってみたかったのだが、安月給の身では叶わない。結婚後、浩市が生まれて4、5年経ってから、ボーナスを握りしめてはじめてカウンター席に着いたという。
「隣の席のイギリス人のお客様がバランタイン17年を飲んでいて、格好よかったらしいんですね。2度目にいらした時に真似て飲んでみたら、美味しくて、美味しくて、以来一筋、とおっしゃっていました」
  母がこの地で働いていたことも知らなかった。浩市が3歳のときに母は病気で亡くなっている。父は再婚をしなかった。浩市は父と祖父母に育てられ、母がいないからといって淋しい思いをした覚えがあまりない。ただ父は違っていた。淋しかったのだ。母の死後、面影を追うようにパレスホテルに足を運びつづけていたのだ。
  40年もの年月、バランタイン17年を湛えたグラスのカットの煌めきに母を重ね、話しかけていたのかもしれない。
(第12回「春の追憶」了)

*この物語は、実在するホテル、ホテルバーおよびバーテンダー以外の登場人物はすべて架空であり、フィクションです。 登場人物
舘花浩市(大学教授)
宮下彰(ロイヤルバー、バーテンダー) 宮下彰(ロイヤルバー、バーテンダー) 協力 パレスホテル東京 100-0005
東京都千代田区丸の内1-1-1
Tel. 03-3211-5211(代表)

Royal Bar
Tel. 03-3211-5318(直通)
11:30~24:00(金・平日の祝日前日11:30~1:00/土日祝17:00~24:00)

バランタイン17年 ¥2,000
ウイスキー ¥1,470~
ドライ・マティーニ ¥1,500
カクテル ¥1,470~
オードブル ¥900~
(料金には消費税が含まれています/チャージ無し)
サービス料 10%

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