Ballantine'sBallantine's

Menu/Close

稲富博士のスコッチノート

第10章 Pot蒸溜-その1

現在の蒸溜室 銅製の蒸溜釜がずらっと並んだ光景は圧巻。蒸留室は蒸溜所の心臓部であり、醗酵を終えたもろみはここで“スピリッツ"へと変身する。(バランタイン社Glendronach蒸溜所)

モルト蒸溜所を見学すると醗酵室の次に案内されるのが蒸溜室である。現在の大型蒸溜所では数基以上の蒸溜釜を持っており、赤銅色に輝く異色、異形の釜がずらっと並んだ様子、アルコール、エステル、油っぽさ等が入り混じった不思議な匂い、サウナのような熱気等、我々の日常生活からは相当かけ離れた世界に何だか魔界に来たような感じがする。蒸溜技法は中世の錬金術を受け継いだとされているのでその辺りの雰囲気が残っているのだろう。

1.Pot蒸溜の仕組み

蒸溜は英語でDistillであり、語源はラテン語のDistillareで、意味は“滴がポタポタ落ちる"である。Pot蒸溜の最も基本的な仕組みは図1のように

1. 蒸溜する液体を入れる釜
2. 液体を加熱する熱源
3. 蒸発してきた蒸気を冷却して液体に戻す冷却装置
4. 液体の受器

からなっている。いってみれば薬缶に蒸気を液体に戻す冷却装置をつけたようなもので、極めて簡単な装置である。蒸溜の目的は元の液体、ウイスキーの場合なら醗酵の終ったもろみからアルコール分を高い濃度で取出すことにある。もろみ入れた釜を加熱して行くとアルコール分に富んだ蒸気が蒸発してくる。それを冷却器に導き冷却すると蒸気は液体に戻り、冷却装置の下から滴り落ちて来るのでそれを受器に集めるのである。

2.蒸溜の原理

もろみ中には種々多様な物質が含まれているが、主成分は水とアルコールである。蒸溜によってアルコール分が高まる理由はアルコールの方が水より蒸発しやすく、蒸気中のアルコール濃度は液中のアルコール濃度より高くなるという理由による。図2のグラフは液中のアルコール濃度とその液から蒸発してくる蒸気中のアルコール濃度の関係を示している。例えば、矢印で示したように、液中のアルコール分が7%であると、蒸気中のアルコール分は48%になる。Potでもろみを蒸溜する場合、蒸溜の進行に従って液中のアルコール濃度が低下してくるので、全体の約3分の一が溜出したところで液中のアルコール分はほとんどゼロになる。このことは1回の蒸溜でアルコール分を含む溶液の容量が3分の1になり、反対にアルコールの濃度は3倍に高まることを意味している。例えばアルコール分7%のもろみを蒸溜すると回収された溜分(初溜といわれる)のアルコール度数は約21%になる。蒸溜1回ではアルコ-ル度数が低いので、ウイスキーでは最低もう一度蒸溜して70%くらい迄高める事が行われる。

因みに、ウイスキーの蒸溜には多量の熱を必要とする。これは液体状態のアルコールや水を気体に変えるのに必要な熱で潜熱といわれるが、この潜熱を発見したのはグラスゴー大学で教鞭をとっていたJoseph Blackである。この物理化学上の大発見がなされたのは17世紀中頃の事である。

3.蒸溜の起源

人類が何時最初に蒸溜という技法を身に付けたかはよく分かっておらず、諸説が入り混じっている。いくつかの文献から時代の古い順番に列記する

1. 中国で米から蒸溜酒を製造(800年BC頃)
2. ヒポクラテスが医薬の製造に利用(400年BC)
3. アリストテレスが蒸溜の事を記載(300年BC)
4. ローマ人がワインを蒸溜(100年AD)
5. 地中海地方で修行中のアイルランドの僧侶が習得し母国へ持ちかえる(4-500年AD)
6. 6世紀のDalriada王国では蒸溜はケルトの技法として定着、僧院が蒸溜の中心となる

となっている。しかしながら、これらの記述の内明確な論拠を示したものは少なく、又年代のつじつまが合わない等蒸溜の起源はまだ「歴史の闇の中」にある。

4.スコットランドでの蒸溜-18世紀初頭まで

ア.始まりは僧院から?

FifeにあるLindores Abbeyの聖堂跡。12世紀に建てられ、常時30人程の僧侶がいたが、16世紀の宗教改革で破壊された。 Aqua Vitaeが蒸留されたのは、この聖堂から数百メートルほど離れた穀物倉らしい

蒸溜の技術が何時、何処からスコットランドへ伝達されたかは正確には分からないが、アイルランドからスコットランドの西部へ伝わったというのが定説になっている。5世紀に聖パトリックが伝えたと言うのは伝説であるが、15世紀頃までビールやウイスキー造りに僧院がかかわっていた。1494年のウイスキーに関する最初の公式記録では、時のスコットランド王James IV世がAqua vitae(ラテン語で命の水、すなわち蒸溜酒の事)を造らせたのはFifeのLindores修道院の僧侶であった。

現在のBallantine社Miltonduff蒸溜所のある所は、15世紀には近くのPluscarden修道院の領地であって、毎年新年のビールやウイスキーの仕込みの前には僧侶が仕込みに使われる小川Blackburnを清めたと言われている。

イ.普及

Pluscarden Abbey:1230年の創建。16世紀の改革で破壊されたがその後修復され、現在もべネディクト派の大僧院として活動している。かっては僧院の領内で醸造されるビールやスピリッツは品質が良いので有名だった。

16-18世紀の300年間にウイスキーの蒸溜はスコットランド中に広く行き渡り渡り、スコットランド人の国民酒となって行った。その理由として、

1. 原料の大麦が広く栽培されていた。いや、酒の原料として大麦しか無かったと言った方がよい
2. 水や、燃料となるピートは豊富
3. 衛生状態が悪いので生水の飲用は危険、紅茶、コーヒーなどは一部特権階級の飲み物で一般人の手に届かない
4. 自家用に造ったエール(ホップはまだ使用されていない)は原料、醗酵管理が悪いので酸っぱくて相当ひどい味、蒸溜した方がはるかに美味しい
5. 寒冷な気候には体が温まる蒸溜酒が良い
6. 秋に収穫した穀物も保存管理の仕方が悪いのでよく傷んで使い物にならなくなる。ウイスキーにしてしまった方が安全に保存できる
7. 18世紀に入ると、イングランドへの輸出(その多くは密輸)が儲かるようになった

が上げられる。要は生活環境の中でつくる事と利用する事のニーズがぴったり合っていたのである。

ウ.ウイスキーへの課税と密造

密造用の蒸溜釜:18-19世紀に密造用に使われたもののレプリカ。左側の樽には水が流れていて、釜から蒸発してきたウイスキーの蒸気は水中の蛇管で冷却される。(Glenfiddeich蒸溜所展示品)

1707年のスコットランドとイングランド議会の統合で行政の中心はロンドンへ移る。統合といってもイングランドの力はスコットランドに比べて圧倒的に大きかったので、このイングランド中心の政府は、ウイスキーに関してもしばしばスコットランドの実情を無視した行政を行い、スコットランドと大トラブルが連続することになる。以後100年以上にわたって免許、課税、通商、違反の摘発等は強化されたが、強化すればするほど密造、脱税、闇取引が横行した。この頃、もっぱらハイランド地方で闇蒸溜に用いられていた蒸溜器は銅製で、大きさは数十リッター程度。加熱は釜の下で火を焚き、冷却には近くの小川から水を引き、2回の蒸溜も一つの蒸溜釜で行っていた。

*アルコール(Alcohol)の語源はアラビア語のal-koh'lでkoh'lはもともとアイシャドウに使われた特別に細かい黒い粉であったがこれが後にエッセンス、純粋なスピリッツを意味するようになった。酒類に主として含まれていて、我々に酔いをもたらすアルコールは化学的にはエチルアルコール (Ethyle Alcohol)といわれる物質でC2H5OHの化学式を持っている。水より軽く(水の比重1.00に対してアルコールは0.79)蒸発しやすい。1気圧下で水が100℃で沸騰するのに対してアルコールは79℃で沸騰する。