スコットランド最小の蒸溜釜:ハイランド地方Pitlochry近くのこの蒸溜所は180年前農家がウイスキーを造っていた当時のままである(Edradour蒸溜所)
1823年の税法改正によって、それまでの密造業者の中に正式に免許を取ってウイスキーを蒸溜する者が増えた。正式といっても始めは小さな蒸溜所だった。当時の蒸溜所でそのまま現存するものはないが、原型をとどめている蒸溜所にEdradour蒸溜所がある。1825年に数人の農家が協同で建てたこの蒸溜所は、夏目漱石が滞在した事でも有名な観光地Pitlochry近くにあり、スコットランド最小、現存する唯一の“農場蒸溜所(Farm Distillery)"である。現在の生産は、1回の仕込量は麦芽1トン、週に5仕込、許可される限度ぎりぎりの小さな蒸溜釜で蒸溜し、1週間の樽詰は 12樽である(年間で約540樽)。1825年当時は、大麦は低品質で少ししかアルコールが取れない、蒸溜は大麦が収穫後に休眠から醒める11月頃から次年度の農作業が始まる3月までの15週間ぐらいだけ行われたので、 年間の生産量は150樽程度と思われる。その頃のハイランドの蒸溜所の標準的な規模であった。
(1)1800年後半の発展
Dallas Dhu蒸溜所:1899年建設のこの蒸溜所は現在は操業していない。蒸溜所全部をHistoric Scotlandが管理する博物館になっていて、当時の蒸溜所の様子がよく分かる
19世紀後半にウイスキーブームが起こる。そのブームに乗って多くの蒸溜所が建設された。現存するモルト蒸溜所の約8割が1824年から1899年までに建設されている。スコッチウイスキーがこの時代に産業として確立した時代である。当時の標準的な蒸溜所は一回の麦芽の仕込量が2-3トン、年間2-3千樽を生産した。当時の蒸溜所の面影は今は蒸溜所全体が博物館になっているダラス・デュー(Dallas Dhu)蒸溜所に見ることが出来る。
(2)蒸溜方法の確立
Piggot,J.R., Sharp,R. and Duncan,R.E.B. The Science and Technology of Whisky,1989, page127より作成
初溜釜と再溜釜を備え2回蒸溜するやり方は当時に確立され、現在のモルト蒸溜所の原型が出来上がった。蒸溜は次のように行われる。まず醗酵を終えたもろみを初溜釜で蒸溜する。溜出してくる初溜液の液量が釜に入れたもろみ容量の三分の一程度になった時点でアルコール分がゼロになるので、そこで蒸溜を打ち切る。2回目の再溜では溜分は3つの区分に分けられる。始めに出てくる前溜は色々な成分が過剰にふくまれ強烈な匂いがするので別の受槽に取り分けておく。次に溜出してくる中溜分は色々な香気成分がバランス良く含まれているのでこれを製品にする。溜液のアルコール分が60度くらいに落ちてくると不快な香り成分が出だすので、以後は後溜として別タンクにとる。前溜と後溜は次の初溜と合わせて次回の再溜原料になる。製品になる中溜分のアルコール度数は大体70度である。
蒸溜釜の直火炉:このように石炭を炊いている蒸溜所は非常に少なくなった。この写真は灰の出し口で、石炭は炉の反対側から供給される。(アライド社 Glendronach蒸溜所)
蒸溜釜内部の蒸気コイル:蒸溜時はここにもろみを張込みコイルに蒸気を通して加熱する。(アライド社 Toremore蒸溜所)
ワーム(Worm=みみず)式の冷却装置:大きな木桶の中に銅の蛇管が浸してあり、ウイスキーの蒸気はこの蛇管を通る間に冷却されて液体に戻る。冷却水は下から供給される。(Dallas Dhu蒸溜所)
コンデンサー:円筒の中には細い銅のチューブがぎっしりと入っていて、その中を冷却水が流れる。ウイスキーの蒸気はチューブの表面で冷却される(アライド社 Glendronach蒸溜所)
検度器(Safe):アルコールメーターと温度計が入っていて蒸溜釜から出てくる溜液のアルコール度数を計る。盗飲出来ないように厳重に錠が掛けられている(アライド社 Miltonduff蒸溜所)
19世紀後半から現在迄に、蒸溜にも色々の変化が起こった。それらの主たるものは次の通りである。
(1)大規模化
需要が高まるにつれて、蒸溜所の生産能力が増強された。最近の大型蒸溜所では1回の仕込み量が麦芽15トン程度、フル操業時には週に20仕込以上行うので、その能力はEdradour蒸溜所の60倍に相当する。醗酵槽も大型化されたが、蒸溜釜は、形、大きさ等はそのままにして基数を増やす方法が取られている。蒸溜釜の形や大きさ等がモルトの品質に大きな影響を与えるからである。「ある蒸溜所で長年使用した蒸溜釜が老朽化したので、全く同じ形、大きさの新品と入れ替えたが、蒸溜を始める前にまずやったことは大きなハンマーで新しい蒸溜釜を力一杯叩き、古い蒸溜釜にあったのと同じ凹みを造ることだった」、はディスティラリーが蒸溜釜の形に如何にこだわったかを伝える逸話である。
(2)蒸気加熱の導入
伝統的な蒸溜釜の加熱方法は釜の下で石炭を炊く方法であったが、現在では蒸気で行われる事が多い。釜の中にパイプや加熱装置を置き、そこにボイラーで発生させた蒸気を通す。この方法は設備費が安いこと、熱効率が良いこと、操作が容易で自動化しやすいこと、環境、ファイヤーリスク面で優れているの等の利点があり、多くの蒸溜所で採用されている。しかしながら、昔ながらの直火による加熱方法を変えないでいる蒸溜所も数箇所はある。
(3)コンデンサーの導入
ウイスキーの蒸気を冷却して液体に変える冷却装置は長年蛇管式であったが、今ではコンデンサー・タイプが主流になっている。コンデンサーは、太い銅の円筒の中に100本以上もの細い銅管が入っていて、内部を冷却水が流れる構造になっている。ウイスキーの蒸気は銅管の表面で冷やされ液体に戻る仕組みである。冷却面積が大きく、冷却用の水の使用量が少なくて済み、回収される冷却水の水温が高いので熱の再利用の効率が高い、等の利点がある。
(4)コンピュータ-の導入による自動化
近年いくつかの大型の蒸溜所でコンピューターを利用した自動化が行われている。原料麦芽の受入れから蒸溜までオペレーターが1人という蒸溜所も出現している。原料の品質が安定して工程の標準化が可能となった、設備の信頼性が向上した、それとコンピュターの進歩による。一方で、Edradourや他の幾つか蒸溜所では、昔ながらのやり方を守っている所もあり、極めて対称的である。
スコッチモルトウイスキーの魅力は風味の多彩さにある。個性が際立ったもの-おとなしいもの、重厚なもの-軽快もの、エステリーなもの-穀物様のもの、干草様のもの-油っぽいもの等である。これらの違いがどうして出来るかは長年の神秘であり、蒸溜所の立地や仕込水が原因と考えられていた。現在でも全てが解明された訳ではないが、経験の積み重ねや近年の研究から、個性の多くは蒸溜工程に起因することが分かって来た。それらの主たるものは下記の通りである。
1. 蒸溜釜の形、大きさ-蒸溜スピード、泡の立ち方、釜内の還流比、飛沫の上がり方等が品質に影響を及ぼす。
2. 加熱方法-直火では釜に当る炎の温度は1000℃にもなる。釜内の一部でもろみや再溜液の焦付きが起こり、香ばしさ、焦げ臭、全体的な厚みがつくと言われている。蒸気加熱ではウイスキーの香味はスッキリ・軽めになる。“薪で炊いたご飯"と“電気釜で炊いたご飯の違い"といったところであろうか。
3. 冷却方法-ワーム型の冷却装置からは重厚なウイスキーが出来、コンデンサータイプでは軽く、エステリーなモルトが出来る。ウイスキーの蒸気が冷やされて液体に戻る時に、コンデンサー型の方がウイスキー中の硫黄化合物を除去する化学反応が起こりやすい為である。
4. 操作条件他-色々な影響を与えるが、再溜の前溜から中溜、中溜から余溜への切替えのタイミングが重要である。
スコッチのモルト蒸溜所の蒸溜設備や操作条件は二つとして同じものはなく、さまざまである。なぜそのようになったかだが、実は造りたい品質との関係で理論的に決まった、と言う訳ではない。19世紀後半から20世紀前半に蒸溜所を建設したオーナー達が、自分の好みや、隣の蒸溜所の真似はしたくないので何としても違う形にした、既存の建物に入るように造った、などの“偶然"による。この“偶然"が結果としてモルトに個性を与え、そのモルトを用いたブレンドに又個性や深みを与える事になったのである。