写真1.ピットロッホリー・ダムと発電所:タメル(Tummel)川を堰き止めて人工湖(Loch Faskally)を造り発電所を建設した。1950年に完工し今でも使われている。出力15MW。鮭の遡上を妨げないように設置された魚梯が有名で、年間数十万人の観光客が訪れる。
写真1.ピットロッホリー・ダムと発電所:タメル(Tummel)川を堰き止めて人工湖(Loch Faskally)を造り発電所を建設した。1950年に完工し今でも使われている。出力15MW。鮭の遡上を妨げないように設置された魚梯が有名で、年間数十万人の観光客が訪れる。
ピットロッホリーのダムと発電所
電気の無い生活はどんなものか今では考えられないが、エジソンが電気を使って白熱灯の電燈を点したのが今から136年前の1882年である。スコットランドで最初の産業規模の発電所は、1901年にグラスゴーのポート・ダンダスに建てられた火力発電所で、その後グラスゴーに1箇所とエジンバラに1箇所の火力発電所が建設されたが、1950年以前に建設された火力発電所はこの3発電所に過ぎなかった。
写真2.ピットロッホリー・ダムの魚梯: 全長310m、34のプールが高低差50㎝でつながっている。魚はプールとプールの間に設けられたトンネルを通って移動する。
ハイランド地方の電気の普及は遅かった。大きな町が少ない、製造業がない、人口密度が希薄というハイランドでは、需要そのものが少なかった事、石炭も産出しないので火力発電所は建設しても、建設費と操業コストが高く、加えて配電施設をつくる費用を考えると経済的に引き合わなかった。第2次世界大戦末期の1944年になっても、ハイランドでの配電率は44%だった。ウイスキー蒸溜所でも、フォレスの町のすぐ近くで今は博物館になっているダラス・デュー蒸溜所に電気が来たのは1950年、エルギン近くのリンクウッド蒸溜所も1962年まで電気無しだった。因みに、1924年に操業を始めた山崎蒸溜所は、電気は来ていたが供給に限界があったのか、大きな機械の動力には蒸気エンジンを使用していた。
巻頭の写真で紹介したピットロッホリー発電所は、町の中心から徒歩15分くらいで行け、ダムで堰き止められたタメル川を魚(主に鮭)が更に上流に遡上できるよう設けられた魚梯が有名である。環境と自然保護の目的で建設された。段差のある34のプールを繋いで鮭が上れるようになっている。プールの1つはガラス壁を通して中が観察出来、自動計数器で遡上する鮭の数を数えられるようになっている。遡上数は年によって変わるが数千匹程度のようである。
タメル川、ダム、ファスカリー湖、発電所、魚梯などの景観と知的興味に惹かれて訪れる人が大幅に増えてきたので、ダムと発電所を管理している電力会社は昨年ピットロッホリー・ダム・ビジター・センターをオープンした。センターはタメル川の左岸の丘の上にあり、タメル川、ダム、ファスカリー湖を一望できる。ビジター・センターには既に年間で10万人が訪れるという。
写真3.ピットロッホリー・ダム・ビジター・センター:入り口のある上階はショップとカフェー、下の階は学習センターで、訪問者に電気と生活、水力発電の理論、歴史や現状について情報の提供を行っている。
タメル渓谷の発電所
タメル川の上流にはタメルと支流のゲリー(Garry)の二つの渓谷があり、合計で9箇所の水力発電所がある。タメル渓谷は、ピットロッホリー北7㎞くらいのゲリー・ブリッジから、まっすぐに西に向かう渓谷で、全長約46㎞、タメルとラノッホという二つのロッホ(湖)がつながり、ビクトリア女王も大いに気に入られたクイーンズ・ヴィユーの景観もある風光の明媚さで知られている。ゲリー・ブリッジからのB8019 線は、ほぼまっすぐに西に向かってタメル湖の北岸に沿っているが、実際は林間の曲がりくねった急カーブが続く一車線道路なので運転は細心の注意がいる。
東西に約11kmのタメル湖の西端近くの北岸にあるのがエロッホティー(Errochty)発電所である。発電所の北西約10kmの山中に谷を堰き止めて人工湖のロッホ・エロッホティーを造り、そこから10kmのトンネルを掘って水を引いている。発電所の建物は、トンネルを掘削した時に出た岩石で造って自然観を出し景観にマッチさせた。
写真4.エロッホティー発電所:1950年完成。落差186mで75MWの能力があり、タメル渓谷の9発電所中最大の能力がある。建物は、文化財としてB級指定を受けている。
エロッホティー発電所のところでタメル湖は終わり、西からタメル湖に流れ込んでいる川はタメル川になる。川沿いに1kmも行くと、タメル・ブリッジに着くが、ここには1734年に架けられた古い石橋の旧タメル橋がある。17世紀から18世紀のスコットランドは、ステュワート王朝の復活を目指すジャコバイトの反乱で大揺れの中にあったことは前章で述べた。1725年に、当時の英国王からこの反乱軍を鎮圧する政府軍の指揮官に任命されたのがウェード将軍(Field Marshal George Wade)である。スコットランドを視察した将軍は、数か所に軍隊が駐屯できる城塞を設けること、軍隊が速やかに移動できる道路網を整備することを提言した。当時、ハイランドには道は無いに等しく将軍は軍の移動に閉口した。ウェードは、以後12年の間に約390㎞の道路と30の橋を建設している。写真の旧タメル・ブリッジはこの軍用道路がタメル川を渡る橋である。
写真5.旧タメル・ブリッジ:1734年の建設。タメル川は左から右に流れている。橋の幅は車がやっと通れるほどであるが、現在は歩行者専用で、車は手前にある新しい橋を使う。
タメル・ブリッジには1934年に建設されたタメル発電所があるが、今回はパスし、西に向かうことにする。西に向かって行くにはB846号線へ入り15分ほどでロッホ・ラノッホ(ラノッホ湖)の東端に着く。ここがタメル川の基点で、ロッホ・ラノッホはここから西に15km、幅1.2kmで広がっている。湖の西端近くにあるのがラノッホ発電所である。
ハイランドでの発電の始まりについては拙稿の第84章で述べたが、操業開始が1909年のキンロッホ・リーヴェンと、1929年のロッホアーバーの水力発電所は、発電量の95%をアルミの精錬工場に電力を供給する目的で建設され、タメル川の上流にある1930年代初めに建設されたラノッホ(Rannoch)とタメル(Tummel)の両発電所は広く民生用に電力を供給する目的で建設された発電所である。
写真6.ラノッホ (Rannoch) 発電所: 1930年に稼働した。水源はロッホ・エリッヒト(Ericht)。ロッホを堰きとめたダムから水を引き、後ろの丘から落差156mを導管で落としている。出力44MW。
写真7.ラノッホ駅:まことにこじんまりした駅舎である。グラスゴーとフォート・ウイリアムを結ぶウエスト・ハイランド・ラインの駅で、今は駅員はいない。プラットホームには人気の高いティー・ルームがある。
水源のロッホ・エリッヒトは、スコットランドで11番目に大きい淡水湖で、その南西端と北東端をダムで堰き止めて貯水量を増し、発電所へは南西端のダムから約8㎞のトンネルとパイプで給水している。北東端のダムは、モルト蒸溜所があるダルウィニーの村を保護する為である。ラノッホもタメル・ブリッジのどちらも築後80年を経過しているが現役で稼働しており、建物は、A級指定の文化財である。ここまで来ると、広大なラノッホの湿原や険しい岩山で知られるグレンコーまですぐだが、道は2㎞ほどのラノッホ駅で行き止まりであった。
トム・ジョンストン
現在、ハイランドには48ケ所の水力発電所がある。広い降雨面積をもつ急峻な山岳地帯には多数の湖(Loch)があって年間に降る豊富な雨雪を蓄えることが出来、可能性は大きかったが、ハイランドに多くの発電所を建設する本格的な計画が始まったのは1941年である。1941年といえば、第二次世界大戦で英国がダンケルクから撤退を余儀なくされ、日本軍が真珠湾を攻撃した年で、英国は最大の危機に有った。その時期に、早くも戦後のことを考えてスコットランドの為にこの国家的事業を推進しようと考えた人物がいた。スコットランド選出の国会議員のトム・ジョンストンである
写真8.トム・ジョンストン(1881-1965):グラスゴー大学で哲学と政治経済を学んだが卒業しないで(後年同大学で法学博士号を取得)左翼系の新聞社を手伝い、Red Clydesiderと呼ばれた過激な労働運動にも参画した。労働党の国会議員、スコットランド担当相、北スコットランド水力発電公社総裁としてハイランドでの電力の普及に貢献した。Picture acknowledgement: BBC
ジョンストンはジャーナリスト出だが労働党の議員になり、第二次大戦中の連立内閣時代にチャーチルからスコットランド省担当の大臣に就任を乞われた時に、水力発電のプロジェクトを念頭においた行政組織を条件にして受諾している。水力発電所は、イングランドやローランドに比べて大きく遅れているハイランドに産業を興し、人々の生活を豊かにし、余剰の電力は販売して利益を上げるという先見性に富んだビジョンの持ち主であった。 ジョンストンは政治家として多くの功績があるが、水力発電所建設の仕事は彼のライフ・ワークとなった。彼は、ビジョンだけでなく実際の建設に注力した。大臣を辞めた後は「北スコットランド水力発電公社」の総裁として多くの困難を解決していった。保守的な地主や住民は開発を望まず、資金や技術、過酷な作業に従事する建設労働者の確保や工事現場での住居の準備、頻発する死傷事故等難問は尽きなかったが、これらを乗り越え先に述べた48の水力発電所のほとんどを在任中に完成させている。
建設事業は、多くの労働力を必要とする。ピーク時は12,000人が働いた。労働者の多くはアイルランドやハイランドから来たが、大戦中はドイツ、イタリアの捕虜も動員され、大戦後は復員者に仕事を供給した。彼らはタイガー(Tiger=獰猛な男)と呼ばれ、シャベル一つで危険な作業に就いたが、彼らの収入は普通の農園作業者の十倍だった。
スコットランドのエネルギー事情
スコットランドの2016年のエネルギー資源別の発電量の内訳は、再生可能エネルギー44%、原子力43%、化石燃料13%で、再生可能エネルギーは風力が32%と水力が12%である。風力と水力の条件に恵まれているが、地球の温暖化ガスを排出する化石燃料への依存率が低いのが目を引く。スコットランドは電力の輸出国で、総発電量の約30%を輸出している。
スコッチ・ウイスキー業界も地球温暖化対策には熱心に取り組んでいて、2009年に業界全体の環境戦略を立て、蒸溜所は2050年までに使用するエネルギーの80%を非化石燃料由来にすることを確約している。
参考資料
1. Power from the Glens. SSE2018
2. http://sse.com/media/87078/powerfromtheglens.pdf
3. http://www.pitlochrydam.com/
4. https://en.wikipedia.org/wiki/Pitlochry_fish_ladder
5. https://www.bbc.co.uk/news/uk-scotland-22447168
6. http://www.gov.scot/Topics/Statistics/Browse/Business/TrendElectricity
7. http://www.scotch-whisky.org.uk/news-publications/publications/documents/scotch-whisky-sector-supporting-a-low-carbon-economy/#.W0sUXmeWzIU