リーヴェン・バラック:18世紀初頭にジャコバイト反乱勢力の南下を防ぐため英国政府軍が建てた兵営基地。キンユーシーの町のシンボルになっている。
The Speyside 蒸溜所:30年かかって1人の石工が昔からのスコットランドの石積みで建てた。
スコットランド中央高地の町、キンユーシー(Kingussie)の名所は、幹線道路からも良く見えるリーヴェン(Ruthven)・バラックの廃墟である。ジャコバイトの反乱を押さえる目的で、1715年に英国軍が建てたバラック(兵舎)の跡で、すぐ近くに新興蒸溜所の1つ、1990年から操業を始めた The Speyside蒸溜所がある。
1990年以降新しいモルト・ディスティラリーの建設が相次いでいるが、その一方で、1980年代以降閉鎖やモス・ボール化(Mothball, 防虫剤を入れてしまっておくことから、長期の休止を意味)に追いこまれた蒸溜所は30数ヶ所に上る。とりわけ閉鎖が集中的だった80年代は「蒸溜所大粛清」の時代であった。
この背景は、大手ウイスキー会社の合併・買収等による合理化策の一環として、ブレンド用のモルトを生産していた蒸溜所のなかで生産性の低い小規模蒸溜所の多くが閉鎖されたことによる。いくつかの蒸溜所は他社に譲渡されて再開され、又モス・ボール化されたものは将来再開の可能性がのこるが、多くが取り壊された。それでもスコッチ・モルト蒸溜所全体の操業度は80%程度と言われているので、中堅や大手の会社は余剰能力が無くなるまで新設はもとより再開にも慎重と言われている。
一方で、最近新設された蒸溜所は、大手グランツ社のKininvie(キニンヴィー)と小メーカーミッチェル社のGlengyle(グレンガイル)以外は個人が建設したものである。ウイスキー・ビジネスを新規に始めるにはかなりの資本と時間が必要でリスクを伴う。製品になるまで長年の貯蔵熟成が必要で、その間ウイスキーの売上が無い中、蒸溜所の建設費用だけでなく、原酒や樽、貯蔵庫に多額の投資が必要となる。さらに数年後に製品ができたとしても、今度は販売に関わる経費も発生してくる。これらのリスクに果敢に挑戦している新興蒸溜所のいくつかを紹介したい。
新しい蒸溜所ができる背景には、何といってもシングル・モルト・ウイスキー製品の販売が伸びていることが上げられる。図1の通り、過去20数年間ブレンデッド・ウイスキーの販売は伸びが見られないのに対し、シングル・モルトは着実に生長し、1981年の97万ケースから2004年には560万ケース、スコッチ・ウイスキー全体の販売に占める比率も1.2%(1981年)から6.6%(2004年)に拡大した。これは数量ベースの数字なので、販売金額では価格の高いシングル・モルトの2004年の売上は17%にまで上昇したと推定されている。シングル・モルトは将来も明るいと見られている。
消費者側にとってシングル・モルトは、その高品質と個性、明確なアイデンティティーとロマンを持った‘新しい価値を持った商品'として受け入れられていて、まさにに多様化時代にぴったりといえる。最近のインターネットの普及から、小さな会所や個人でも全世界に情報を発信できるし、ネット販売で旧来の流通チャネルによらない販売も可能になってきた事も大きい要因と思われる。最近のウイスキー関係のサイトの数をみれば頷けよう。
資金面では、小さく簡素なモルト蒸溜所を建設して、モルト・ウイスキーの事業に乗り出すのに必要な資本は数億円程度を言われているので、少しお金の有る人や、資金調達が出来る人にとっては不可能な金額ではないということもあるだろう。
スペイサイド蒸溜所(The Speyside Distillery)
トロミーの水車小屋:スペイサイド蒸溜所は300年続いたこの水車小屋の隣に建っている。水車と石臼はいまでも使用可能だそうだ。
ポット・スティルと醗酵槽:蒸溜釜(初溜釜と再溜釜 各1基)、醗酵槽4基、それと醗酵槽の奥にマッシュ・タンが置かれているシンプルな設計である。
取締役工場長のシャンド氏:後ろの水車小屋跡を改造した事務所が仕事場。“草刈をしていたので短パンで失礼"と現れた。手前に家があり通勤距離は10mだが、冬は丈余の雪かきをしないとオフィスに行けないという。
ここでいうスペイサイド蒸溜所は、一般的に言われるスペイサイドの蒸溜所のことではなく、1990年に操業を始めた一つの蒸溜所のことである。
蒸溜所はキンユーシーの町の外れ、スペイ川に注ぐ支流トロミー川畔の農場の中にあり、元はトロミー川の水を引いた水車を動力に300年以上続いた製粉所であった。長年グレイン・ウイスキーの蒸溜やウイスキーの保税倉庫業に携わってきたジョージ・クリスティー(Gorge Christie)氏が、どうしても自分のモルト蒸溜所を持ちたいと発起し30年がかりで完成した。仕込、醗酵、蒸溜を1ヶ所に収めた建物は、たった1人の石工が石と石灰だけを使うスコットランドの伝統的な建築技法で建てたという。
この会社の取締役兼工場長のシャンド氏はスコットランドの蒸溜所で25年の経験を持つ。彼は言う、“工場で働いている人数は自分以下3名。それと猫4匹、アヒルが4羽、鶏が5羽。小さな所帯なので、ウイスキーつくりから設備の補修、草刈から農場の仕事まで皆何でもやる。コンピュータ制御はないが、現場を良く見て丁寧にやっているので手抜きはないし、収率も大手の最新設備の蒸溜所より良いくらいだ"。これで、年間バーボン・バレル4,000樽以上のウイスキーをコンスタントに造っているのは立派である。
試飲させてもらった12年ものはノン・チル(Non-chill filtration, 冷却濾過なし)の46%で、甘草、ややナッツ様のフレーバーがあり、ドライで軽めのボディーだが味わいが豊かであった。今年からもっとピートの効いた麦芽を使い、昔のスペイサイドスタイルを再現するそうでどんなモルトが出来るか楽しみである。
ダフトミル蒸溜所:古い農家を蒸溜所に改造した。手前には立派な庭があり、歴代豊かな農家だったことを思わせる。
ダフトミル蒸溜所の仕込槽:仕込量は1回あたり麦芽1トン。古い蒸溜所のエドラダウアー(Edradouar)と同じ規模である。
ゴルフで有名なセント・アンドリュースのすぐ西、クーパーの郊外の農場に昨年12月に蒸溜を始めた蒸溜所である。蒸溜所をつくったのは、ダフトミル・ファームのオーナー、カスバート(Cuthbart)兄弟。農場のあるファイフ(Fife)は有名な大麦の生産地で、兄弟は1,000エーカーの農場で、じゃがいもや大麦を耕作、100頭の乳牛を飼育していて、毎年500トンの大麦を収穫している。
蒸溜所をつくることになったきっかけは、数年前に兄弟で将来の夢を語っていた時にでたアイディアで、古い農家を改造して小さな蒸溜所をつくることにしたという。蒸溜の免許が下りたのが昨年の11月30日、くしくもスコットランドの建国記念日のセント・アンドリュース・デイだった。麦芽は、昨年は自分の農地で収穫された大麦をある製麦工場に依頼して麦芽にしてもらったが、最近その工場が閉鎖されたので、今年は別の委託先を探すか、自分でやるか思案しているとのことだった。
蒸溜所は1回の仕込が麦芽1トンで、スペイサイド蒸溜所の4分の1の規模。操作も今は兄弟が交代でやっていて、当面の生産目標は20,000L(バーボン樽で160丁)とつつましいが、まだ試験操業の段階と見えた。冬季の農閑期に、自分が栽培した大麦をウイスキーにし、粕は牛の飼料に、牛の糞尿と蒸溜廃液は農地に還元して大麦の肥料にする、という完全循環型の生産様式はウイスキーつくりの原型である。
オーナーの兄弟は、“ここはハイランド・ラインより南にあり、地理的にはローランド・モルトになる。4番目のローランド・ディスティラリーだ"“できたモルトの販売やブランドをどうするかは今からゆっくり考える。まずは最適の工程条件を見つけて安定した生産ができるようにしたい"と、今時めずらしく商売気のない話であった。
消費者が、高品質で独自性に富んだ商品を求めており、シングル・モルトがそれにぴったりの商品であることは確かである。今後の市場の生長も期待できるし、小さな蒸溜所が市場のニッチを見つけて生きて行く可能性は充分あると思われるが、両蒸溜所の話を聞いていると、そういったビジネス志向だけが新蒸溜所を始める動機ではないように思われる。自分で、“好きなようにウイスキーを造ってみたい"という夢が挑戦の大きな原動力になっているようだ。
ウイスキーつくりは面白い。私は時々グラスゴーの地下鉄を利用するが、プラットホ-ムの壁にかかった広告の中からジャック・ダニエルのポスターを探して読む事を楽しみにしている。もう何年も変わらない白黒のモノ・トーンで伝えるメッセージは、上質のウイットに富み、読む者の心を和やかにしてくれる。最近見たポスターは、ウイスキー貯蔵庫の樽の前に数人の貯蔵担当の作業員(Barrel man)が並んでいる写真があり、そのコピーは:
うちのバレル・マンに聞いてみな、どうしてウイスキーつくりが理想的な仕事なんだ?と。連中はきっと言うだろう、
“うーん、それはやっぱりうちは1番のウイスキーつくりだからだな"と。