ケネットパンズ蒸溜所跡:この蒸溜所が閉鎖されてから180年以上になるが、フォース湾奥の海岸縁に巨大な石造の廃墟が残っていた。岸の朽ちた木杭は以前の船着場跡である。
スコッチ・ウイスキーの最初の地理的分類は、1784年に制定された「もろみ法」(Wash Act)でローランドとハイランドを区分し、それらの地域にある蒸溜所に異なった免許制度と税率を適用した時に遡る。このハイランド・ラインと呼ばれた線引きで、ハイランド地方で出来るウイスキーがハイランド・ウイスキー、ローランドで蒸溜されるウイスキーがローランド・ウイスキーと言われるようになった。後に「もろみ法」は廃止され、この線引きの法律上の意味合いはなくなったが、地理的分類として今でもよく引合いに出される。
現在、スコッチ・ウイスキーといえば「ハイランド」と相場が決っているような印象があり、「ローランド」の影は薄いが、18世紀後半のスコッチ・ウイスキーの産業化は、スコットランドにおける産業革命の進行と期を同じくしてローランドで始まったのである。スコッチ・ウイスキー史家のMossとHume両教授の「スコッチ・ウイスキーつくりの歴史」(The History of Making of Scotch Whisky)に、スコットランドの蒸溜所を建設年代順にリスト・アップした表が掲載されているが、それによると1689年から1788年にかけて建設された31蒸溜所のうち、ローランドが25蒸溜所、ハイランドが5、アイラが1で、この時代ウイスキーと言えばローランドであった。当時のスコッチ・ウイスキーの90%はローランドでつくられていたと推定されている。しかしながら、この31蒸溜所のうち現存している蒸溜所は、ハイランドが Glenturret、Strathislaの2つ、アイラの1つはBowmoreでローランドは皆無である。
史上ローランドにはポット蒸溜と連続式蒸溜合わせて220以上の蒸溜所があった。その内、モルト3蒸溜所とグレーン5蒸溜所以外はすべて閉鎖され、建物跡が残っているものも多くはない。今回、そのいくつかを尋ねてみることにした。いってみればローランド・ウイスキーの産業考古学である。
ケネットパンズ蒸溜所のミル・ストーン:蒸溜所跡の建物には蒸溜所を思わせるものはなにも残っていなかったが、隣の民家(かっての蒸溜所の一部と思われる)の壁際には石臼が残っていた。水車と後には蒸気エンジンで駆動した。
エジンバラの北側, 北海から入り組んでいるフォース湾の最奥に、過って重要だった港町アロア(Alloa)があり、ケネットパンズはそのすぐ東にある。1777年以前にスティーン(Stein)が建設し1825年まで操業した。この地方は原料の大麦と燃料になる石炭を産し、海に面していて船による輸送に便利であった。ポット・スティル2基、蒸溜所の動力に最初に蒸気エンジンを導入し、地元の人の話によるとウイスキーの他スコットランドで最初にジンを製造したという。
大麦畑からキルベーギー蒸溜所を遠望:ケネットパン蒸溜所跡の前には収穫直前の大麦畑が広がっていた。遠景に見える鉄塔のさらに奥にはキルベーギー蒸溜所があった建物が遠望できた。この二つの蒸留所は小さな運河で結ばれていた。
ケネットパンズのすぐ北、車なら数分のところにある。ケネットパンズとほぼ同時期に同じくスティーンが建設、生産規模は当時スコットランド最大で、ウイスキー3000キロリットルと、副産物を利用して牛7000頭、豚2000頭以上を飼育したという。最初はポット・スティル蒸溜所だったが、1845年にはカフェー・スティルを導入してグレーン蒸溜所に転換した。1852年閉鎖。その後肥料工場、製紙工場に変わったが、最近は古紙からパルプを再製している。
ハットンバーン蒸溜所跡:キンロスのすぐ北、ミルナソート(Milnathort)村の外れにあった。地道のさらに奥にあり探すのに苦労したが、近隣の人に聞いて分かった。壁が残っているだけの廃墟になっていて、どのようにして‘最悪の品質'のスピリッツが出来たのか予想はつかなかった。
エジンバラから北へフォース橋を渡って10分程の町キンロス(Kinross)のすぐ北にある。1780年頃から1828年まで操業した。Moss、Humeの本によると、‘ハットンバーンのウイスキーはその品質の粗悪さで有名だった'とある。そう言われるとどんなウイスキーだったか是非飲んでみたい気がするが、これも‘歴史は何事もロマンに変える'からだろうか。
ローズバンク蒸溜所跡:フォルカーク市キャメロンの運河沿いに建っている。ローズバンクはローランド・モルトのなかで品質No.1と評価が高かった。運河は、フォース湾とクライド川のダンバートン近くを繋ぎ、全長56kmで着工から22年をかけて1790年に完成した。
グラスゴーとエジンバラの間にフォルカーク(Falkirk)という町がある。かっては家畜市場と18世紀後半には製鉄で栄えたところで、スコットランドを東西に横切り、北海と大西洋を繋いだ運河の要衝でもあった。ローズバンク蒸溜所はその町の西部キャメロン地区にある。1840年に建設され1993年まで操業した。ローランドの蒸溜方式である3回蒸溜でつくられたウイスキーは品質の誉たかく閉鎖を惜しむ声が多い。
余談になるが、キャメロンのすぐ西の郊外にはフォルカーク・ホイール(Falkirk Wheel)があり、スコットランドではエジンバラ城に次ぐ観光名所になっている。ここはフォース湾とクライド湾を結ぶフォース-クライド運河と、エジンバラへ向かうユニオン運河の合流点にあたり、かっては2つの運河の高低差24mを11もの閘門(ロック=Lock)で船を上下させていたが、2002年に完成したこのホイールは回転するゴンドラに船を載せて一気に持ち上げてしまう。近代機械工学の成果は一見の価値がある。
フォルカーク・ホイール:フォルカークでフォース-クライド運河からエジンバラに向かうユニオン運河が分岐している。分岐してすぐ24mの登りがあり船は昔は堰をいくつも通って上下したが、2002年完成のこのホイール(回転式昇降機)で一気に運ばれる。
アナンデール蒸溜所跡:スコットランド最南端に近いアナンの郊外にある。蒸溜所内分の設備は残っていないが、建物はこの製麦棟に加えて仕込室、蒸溜室と貯蔵庫がほぼ完全に残っている。地元出身の実業家で大学教授でもあるトムソン(Thomson)氏が蒸溜所を再開する計画である。
ローランドの大半の蒸溜所がエジンバラとグラスゴーを結ぶ中央ベルト地帯にあったが、このアナンデール蒸溜所はスコットランドの南西部、ダンフリース (Dumfries)の町から東へ少し行ったアナンの町の郊外にある。1830年に建設され、1920年頃に閉鎖された。内部の設備は取り去られて残っていないが、建物はほぼ完全な形で残っており、170年前の蒸溜所の設計が良く分かる。この蒸溜所を復元再開する計画がある。
以上見てきたように、ローランド・ウイスキーは滅びの歴史をたどったが、「もろみ法」だけでなく、ローランド・ウイスキーはハイランドに比べてずっと不平等な扱いと受けつづけた。法そのものより、ハイランドは法の執行が不可能という状態で、遠隔さに加えて税務官がハイランドへ行くのは密造業者の襲撃から身を守るのに‘命がけ'であった。
これに比べて、税が容易に徴収されたローランドでは、蒸溜業者は税負担の不利を製造のコスト・ダウンで補おうとした。麦芽への課税には未発芽の穀類の混用し、蒸溜釜への課税には蒸溜スピードをあげて製造量を上げた。当然品質は低下したが、18世紀後半のローランド・ウイスキーは、大半がウイスキーとして飲用されるのではなく、イングランドへ輸出され、イングランドで再度蒸溜の上ジンの原料になったのでそれほど致命的ではなかった。しかし、この質よりコストを重視せざるを得なかったことが、ハイランドは上質、ローランドは粗悪の評価を定着させたのだが、後年‘ウイスキーの品質はウイスキーが蒸溜される土地の気候風土で決る'と曲解されたのはローランド・モルト・ウイスキーにとって不運であった。
19世紀中頃からローランド・ウイスキーはグレーン・ウイスキーに活路を見出した。未発芽穀類の使用と連続式蒸溜法の採用で、コストが安く、軽くておいしく、ブレンドのベース・スピリッツして欠かせないグレーン・ウイスキーを量産する道である。スコットランドには現在操業中のグレーン蒸溜所が6蒸溜所あるが、5蒸溜所はローランドにある。
ローランド・モルトはどうか。現在3蒸溜所が操業している。この残された珠玉のような蒸溜所については次回にご紹介したい。
1. Hume, John R. & Moss, Michael S., The Making of Scotch Whisky, Canongate Books Ltd., 2000.
2. Udo, Misako, The Scottish Whisky Distilleries, Black & White Publishing, 2007.
3. Townsend, Brain, Scotch Missed, The Lost Distilleries of Scotland, Neil Wilson Publishing Ltd, 2000.
4. Whisky et distilleries d'Ecosse:History of Scotch whisky before 1787,
5. Whisky et distilleries d'Ecosse:History of Scotch whisky between 1788 ET 1823,
6. Falkirk area, heritage and culture
7. Seagull Trust, Canal History
8. Falkirk Wheel:Wikipedia-The Free Encyclopedia