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稲富博士のスコッチノート

第46章 ロッホ・ローモンド(Loch Lomond)とリーヴェン(Leven)川

ロッホ・ローモンド

ロッホ・ローモンド:湖の南端、リーヴェン川の流れ出し口から北に広がるロッホ・ローモンドを見たところである。遠く雲が掛っている山はベン・ローモンド(Ben Lomond)で、標高3,192フィート(973メートル)である。

リーヴェン川に架かる堰:ロッホの水量調節用に建設された。ゲートの開閉で水面をコントロールする。今年は雨が多く、湖面が高いのでゲートは全開されていた。

“By yon bonnie banks and by yon bonnie braes, where the sun shines bright on Loch Lomond"(この美しい湖岸と丘の傍ら、ローモンド湖は陽光に輝き・・・)で始まるこの歌は世界中で最も良く知られ、また我々日本人にも馴染みのスコットランド民謡である。そのロッホ・ローモンドはグラスゴーの西方、都心からでも1時間足らずで行ける風光明媚な景勝地でロッホ・ローモンド及びトロサックス(Trossachs)国立公園の中心である。

ロッホ・ローモンドは英国で最大の淡水湖で、南北約38km、東西は最も幅の広い所で約7km、面積の71平方kmは洞爺湖とほぼ同じ、最大水深は湖面から198m、海面から189mである。スコットランドのほとんどの湖(Lochといわれる)と同様に、氷河の浸食で出来た深い谷が、氷河期が終わって陸地が上昇したので内陸湖になったものである。ロッホの中には小さなものまで数えると30以上の島があり、農場があって人が居住している島や、かってウイスキーの密造が行われていた島もある。周辺の多くの山々、渓谷、森林、湿地は自然生物の宝庫である。

このロッホ・ローモンドから流れ出している川がリーヴェン川(River Leven)で、湖南端の流出口にあるバロッホの町から河口のダンバートン(Dumbarton)までわずか6.5kmの短い川であるが、一年でロッホ・ローモンドの総水量の半分、6億トンを流出するといわれるだけあって水量豊かで流れも速い。

ロッホ・ローモンド蒸溜所

ロッホ・ローモンド蒸溜所:ロッホ・ローモンドから南へ約2kmのアレキサンドリアにある。元染色工場を改装して蒸溜所にしたが、写真の増設部分は近代的である。

ロッホ・ローモンド蒸溜所の蒸溜室:種々の蒸溜設備を備えて品質の多様化を図っている。一番奥は通常のポット・スティル、手前側の円筒形のネックをもつ蒸溜釜は、ネックには棚が、上部には冷却器が設けられていて、還流を調整できる。別にモルト・ウイスキーを蒸溜する連続式の蒸溜塔をもっているのはこの蒸溜所だけである。

このリーヴェン川沿いの地域は、18-19世紀にかけて27もの繊維工場が操業した。リーヴェン川の豊富な水を活かした晒しや染織の工場であったが、新興国の追い上げで衰退し今は残っていない。その染色工場の一つがウイスキーの蒸溜所に改装されて操業している。その名もロッホ・ローモンド蒸溜所である。蒸溜所は独立系のウイスキー会社で、名前はあまり知られていないが年間350万打を生産し、スコッチ・ウイスキーの会社の中で上位にある。

この会社の生産方式の特色は、この1蒸溜所でモルトもグレーンも自社に必要な原酒はほぼ全てを生産、樽工場と貯蔵庫も持ち自給体制を敷いていることにある。ブレンドに必要な異なるフレーバーのモルト・ウイスキーは、麦芽のピート度、発酵時間、それと多様な蒸溜方法の組み合わせで生産される。

蒸溜方法の多様性は特に入念で、通常のポット・スティル1組(初溜、再溜各1基)、還流棚のついたポット・スティル2組(初溜、再溜各2基)、それと非常に珍しいがモルトを蒸溜する連続式蒸溜機(もろみ塔と精溜塔各1基)を使い、種々の原酒をつくり分けている。多くのモルト蒸溜所を持たないため、このような技術をベースに原酒の多様化を図るやり方を採っているが、スコッチ・ウイスキーの伝統である多くの蒸溜所で生産される多彩な原酒をブレンドする方法との勝負は将来どのようになるか興味深かった。

キルマリッド・ボトリング・プラント

リーヴェン川とバランタインのキルマリッド工場:ロッホ・ローモンド蒸溜所からリーヴェン川に沿って約2kmほど下流に向って歩くと、川向こうに Ballantine'sのロゴも鮮明な大きな建物が見える。キルマリッドのボトリング・プラントは、ヨーロッパ屈指のブレンド・ボトリング工場である。

このロッホ・ローモンド蒸溜所からリーヴェン川に沿って2kmほど下流に行くと対岸に、Ballantine'sのロゴが壁面にある大きな建物が見えてくる。バランタインのキルマリッド・ボトリング工場である。バランタインのボトリングは、リーヴェン川河口のダンバートン工場で行われていたが、販売の増加にともない能力が不足してきたため1977年このキルマリッドに最新の設備をもつブレンド・ボトリングの工場が新設された。現在の生産能力は700ml瓶 12本入りに換算して年間約1400万ダース、英国内はもとより世界でも屈指の瓶詰プラントである。

バランタイン旧ダンバートン工場

リーヴェン川と旧ダンバートン蒸溜所:リーヴェン川がクライド川に合流する地点から数百メートル上流の風景。中央の褐色の建物は、旧ダンバートン・グレーン蒸溜所の蒸溜塔の建物である。蒸溜所は、その歴史的使命を終えたが、建物は外観はそのままに州政府のオフィスに改造され、栄光の歴史を残す。

リーヴェン川沿いを更に2kmほど下るとダンバートンの町に入る。ダンバートンはリーヴェン川がクライド川に合流する地点のやや上流周辺に、古くは市の立つ町として、18世紀からは造船の町として発展した。あの有名な高速帆船カティー・サーク(Cutty Sark)は1869年にこの町のスコット・リントン造船所で建造された。

1938年、バランタイン・ウイスキーのオーナーであったハイラム・ウォーカー(スコットランド)社はダンバートンにグレーン・ウイスキー蒸溜所を建設した。ハイラム・ウォーカー(スコットランド)社の親会社はC.Cの愛称で知られるカナディアン・ウイスキーのトップ・ブランド、カナディアン・クラブのオーナー、ハイラム・ウォーカー社である。ハイラム・ウォーカーはアメリカで禁酒法が廃止された直後の1935年にバランタイン社を買収、1936年にはミルトンダフ(Miltonduff)とグレンバーギー(Glenburgie)両モルト蒸溜所を購入していたが、ブレンドに必要なグレーン・ウイスキーの蒸溜所も自前で建設することにした。

ダンバートン蒸溜所は設備や製造方法にスコッチのグレーン蒸溜所と異なる新しい方法を採用した。茶色のレンガつくりの工場は、カナダにあるハイラム・ウォーカー社のウォーカー・ヴィル工場にそっくりだし、工程でも仕込後の粕の分離を円盤式の分離機で連続式に行うことや、スコットランドで伝統的に使われてきた角型のカフェー・スティルに代えて、円形の蒸溜塔を設置した。アメリカン・スティルとよばれた。ダンバートンは、グレーンの蒸溜だけでなく、その貯蔵やブレンドと製品の瓶詰も行うコンプレックス(Complex)となり、バランタインの発展の原動力であったが、需要の増大による能力不足、設備の老朽化、合理化の必要性などからブレンド・ボトリングは1977年からキルマリッドへ移転、グレーンの蒸溜は2002年に幕を閉じた。

ダンバートン・ロック

ダンバートン・ロック:写真の左側から流れてきたリーヴェン川が右側に見えるクライド川に合流するところに屹立している。クライド川もここまでくるとクライド湾といったほうがよく、水際には海藻が繁茂していた。

旧ダンバートン蒸溜所の南約500m、リーヴェン川最下流の左岸にピークが2つある険しい岩山ダンバートン・ロックがある。ロッホ・ローモンドから発したリーヴェン川はここでクライド川に流入する。ダンバートン・ロックは高さ72m、岩山全体が城塞でダンバートン城ともいわれ、現在はスコットランドの歴史文化の保存に当たっているヒストリック・スコットランド(Historic Scotland)財団が管理している。

ダンバートン城は、その急峻な地形に加えて、その位置がクライド川口を見下ろすところにあり、古くから戦略的に重要であった。それだけに、過去1600年に亘って多くの民族、王国、部族の抗争の舞台となってきたところである。登場する名前だけあげても、この地方を支配していたストラスクライド王国のブルトン人、ノルウエーのバイキング、ピクト人、スコット人、スコットランドを独立国家として統合したステュワート王朝、イングランドなど数多である。悲劇の女王メアリー・ステュワートも1548年にフランスへの逃亡の途中と、13年後にスコットランドへ帰還したときにこの城に滞在した。時代は下って18世紀のジャコバイトの反乱の時は、政府軍の基地となった。ダンバートン城の戦は1941年、ドイツ空軍がここを爆撃した時が最後であった。

ダンバートン・ロックの頂上へは狭く急な石段を登って行くことができる。頂上からは、東はクライド川の上流を、南は対岸のクライド・ポートを、西はクライド湾と西方の半島や島々が、北は眼下に旧ダンバートン蒸溜所跡を、遠くはロッホ・ローモンドやローモンド山が見渡せる。

冒頭にご紹介したロッホ・ローモンドの歌は、18世紀のジャコバイトの反乱のとき二人のスコットランド兵がイングランド軍に南のカーライルで捕われになっていた。この二人はローモンド湖畔で共に育った幼馴染だったが、このうちの一人の兵士が、処刑される前日に、スコットランドへの帰還を許されたの兵士に送った歌と言われている。歌の中に有名なリフレイン“Oh ye tak' the high road and I'll tak' the low road, An' I will be in Scotland before ye'"(君はhigh roadを行き、私はlow road行くので自分の方がスコットランドへ早く着く・・・)がある。このhigh roadは現世の道、low roadは黄泉の国の道で、自分は魂だけがスコットランドへ帰るという意味であろう。

ローモンド湖から7km弱、リーヴェン川に沿った散策はダンバートン城で終わった。

1. Slack, Harry D., Studies on Loch Lomond I, Blackie & Son Limited, 1957.
2. Mitchell, John、Loch Lomondside, HarperCollinsPublishers, 2001.
3. West Dumbartonshire Council, Leaflet, River Leven Heritage Trail.
4. West Dumbartonshire Council, Leaflet, Street Map with Index of Alexandria & Dumbarton.
5. Mantle, Jonathan, The Ballantine's Story, James & James, 1991.
6. The Loch Lomond Scotch Whisky Distillery
7. ザ・スコッチ ― バランタイン17年物語:サントリー株式会社
8. Dumbarton Castle :Undiscovered Scotland