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稲富博士のスコッチノート

第55章 アイリッシュ・ウイスキー その5.ブッシュミルズと旧コールレーン蒸溜所

ブッシュミルズ村のパブに描かれたフィン・マックール:この絵では巨人マックールが、飛び石にしたジャイアント・コーズウェイの六角柱の上に立っている。背景の海の向こうがスコットランドである。

北アイルランド東北部のアントリム(Antrim) 州は、スコットランドとの関わりが深い。その東北端のトール(Torr) 岬からスコットランドのキンタイヤー岬までは23kmしかなく、視界の良い日には遠望できる。6-7世紀にはアントリムとスコットランドの中西部、現在のアーガイル・ビュート州はダルリアーダ(Dalriada あるいは Dal Riata) 王国を形成していた。ここの住民はスコッティー(Scottie) と呼ばれ、これが現在のスコットランドの起源であるという説が有力である。

ウイスキー蒸溜の技術はアイルランドからスコットランドへ伝わったといわれているが、その時期や経路は不明である。地理や人々の行き来を考えると、アントリムからスコットランドへという可能性は高いのではないだろうか。


ブッシュ川と水車小屋の廃墟:ブッシュミルズ村には、ブッシュ川の豊かな水量を活かしてかつては何軒かの水車小屋があり、穀物を挽いた。製粉とウイスキー作りはずっと関係が深かった。

この地域は、ケルトの民話の豊富なことでも知られている。多くの英雄や美女伝説があるが、英雄、あるいは巨人伝説のフィン・マックール(Finn McCool 、IrishではFionn mac Cumhail) の話もその1つである。北アイルランド屈指の景勝地、六角の石柱で有名なジャイアント・コーズウェイ(Giant Causeway) は, アイルランドからスコットランドへ飛び渡る時に足が濡れるのを嫌ったフィン・マックールが飛び石用に作ったとか、ある時フィンはアイルランドの土地の一部をスコップで掬って敵方に投げつけたが、的を外してアイルランド海峡に落ちた土がマン島になり、スコップで掬った跡がブリテン諸島最大の湖のロッホ・ネイになった等である。


ブッシュミルズ

オールド・ブッシュミルズ蒸溜所:現存する蒸溜所では世界で最も古い時代にライセンスを受けたという。写真に見られるパコダ(麦芽の乾燥塔)は、19世紀に活躍したスコットランドのエンジニア、チャールス・ドイグ(Charles Doyg)の設計である。

アントリム州西部にブッシュミルズ(Bushmills) という、人口が1300人くらいの小村がある。名前は、‘ブッシュ川のミル(製粉場)'で、村内を流れるブッシュ川の水量を活かして何軒かの製粉所があったことに由来する。村を散策しているとブッシュ川を渡る旧い橋の袂に、今は廃墟になった製粉所の1つが悄然と残っていた。

ここからすぐ近く、徒歩でも10分くらいの村はずれにあるのが、オールド・ブッシュミルズ蒸溜所である。現在操業している3箇所のアイリッシュ・ウイスキーの蒸溜所の1つで、現存するウイスキー蒸溜所としては世界で最も古く1608年に製造免許を受けたと言われているが、当時現在のところに蒸溜所があり、その蒸溜所が免許を受けていたということではない。


オールド・ブッシュミルズ蒸溜所のアイコンとキルン:アイコン中の1608は、この年にこの地方を治めていた総督が蒸溜酒の免許を受けたことに由来する。

イングランドによる北アイルランドのプランテーション(植民地化) が始まったのは16世紀、イングランドはエリザベスI世の統治下にあった。プロテスタントであったエリザベスにとって我慢ならなかったのは、カトリックの強国スペインが同じくカトリックのアイルランドと組んでイングランドの安全を脅かすことであり、強力な軍隊をアイルランドへ送って制圧を試みた。1601 年、イングランド軍はアイルランドとスペインの連合軍に勝利し、アイルランドの首長達はヨーロッパに逃亡した。不安を残したのはイングランドによるアイルランド支配に最も頑強に抵抗したアルスター(Ulster) と呼ばれた北アイルランド地方で、ここは植民地とすることにし、イングランドとスコットランドのプロテスタントが入植者として送り込まれた。首長がいなくなった土地は入植者に分配された。


オールド・ブッシュミルズ蒸溜所の発酵室:2008年に改造され写真のように最新式に生まれ変わった。蒸溜所の歴史は古いが、生産のテクノロジーは進化する。

この地方の統治に当たったのは英国から派遣されたトーマス・フィリップス(Thomas Phillips) で、彼は1608年にこの地方における蒸溜酒の免許をダブリンにいたアイルランド総督から与えられた。免許は、蒸溜酒(aquavite, usquabagh) および混成酒(aqua composita) の製造、出荷、販売などを含む幅広いもので、フィリップスはこの権利を自分の統治下の住民に再交付した。オールド・ブッシュミルズ蒸溜所が、現存する蒸溜所で最も古くに免許を受けた、というのはこの事実に拠る。ブッシュミルズ蒸溜所自体が最初に免許登録されたのは1784年である。

何度もご紹介しているアルフレッド・バーナードだが、1885年の北アイルランド旅行の時 * に当然ブッシュミルズ蒸溜所も訪問している。彼の記録によると、当時は43klの発酵槽が4基、11klと6.8klのポット・スティルが各1基で、推定すると年間能力2-300klのごく小さなモルト蒸溜所であった。ポット・スティルが2基しかないのでこの時代は2回蒸溜だったのかもしれない。2008年に出版されたピーター・マルライアン(Peter Mulryan) の本に1904年の蒸溜室の写真が掲載されている。ラメジャー(攪拌機) のついた初溜釜1基にあと2基の釜が写っているのでこの時は3回蒸溜が行われていたと思われる。


現在の蒸溜所は2009年に改装され完全にモダンな蒸溜所に生まれ変わった。1回の仕込み量10トンの最新式の仕込槽、ステンレス製の発酵タンク8基、蒸留釜10基で年間能力4500klの大規模蒸溜所であり、蒸溜は3回蒸溜である。

旧コールレーン蒸溜所跡

旧コールレーン蒸溜所のゲート:この蒸溜所は1978年に閉鎖されたが、建物、外壁の一部とこのゲートが残っている。1885年にこの蒸溜所を訪問したバーナードは、“立派なゲートから蒸溜所に入った"と記述した。

ブッシュミルズから西方へ約15km、車で20分ほどのところにコールレ-ン(Coleraine) の町がある。鮭釣りで有名なバン川(River Bann) 沿いのこの町は、現在人口約24,000人の瀟洒な町であるが、起源は17世紀のプランテーションの時で、当時前出のトーマス・フィリップスの統治はここから行われていた。

コールレーン蒸溜所があったのはこの町を流れるバン川の東岸で、蒸溜所は1820年に始まり1978年に閉鎖された。 1885年にバーナードが訪れた時のコールレーン蒸溜所の主要設備は、32klの仕込槽が1基、27klの発酵槽6基、蒸溜は3回蒸溜で、11klの初溜釜1基、7klのローワイン・スティル(2回目の蒸溜を行う中間釜) 1基、3回目の蒸溜を行う1.5klのスピリッツ・スティルが2基で、極めて小さな蒸溜所であった。


コールレーン蒸溜所で使われていたポット・スティル:このポットスティルは1875年にグラスゴーで製作され、モルトの蒸溜が終わった1964年まで使われた。現在はオールド・ブッシュミルズ蒸溜所のビジター・センターに展示されている。

19世紀中頃には、コールレーン蒸溜所のウイスキーの品質の評価はすでに高く、ロンドンの英議会下院のバーにも置かれた。古いボトルのラベルには、「Coleraine Whisky, Pot Stills Only, Absolutely Unblended, Pure Malt」等の表記に混じって、「H.C, Supplied to House of Commons」と記されている。「H.C」はHouse of Commonsのイニシャルである。

1933年に当時ブッシュミルズ蒸溜所のオーナーであったボイド氏はコールレーン蒸溜所を購入、コールレーンとブッシュミルズは兄弟蒸溜所になる。コールレーンにとって不幸だったことはこれ以降常にブッシュミルズというビッグ・ブラザーの陰で補完的な役割を果たさざるを得なかったことで、状況の変化で経営は安定しなかった。

モルト・ウイスキーの蒸溜は1964年に、製品のボトリングは1968年に、グレーン・ウイスキーの生産は1978年に終了した。1954年に連続式蒸溜機が設置され、ブレンデッド・ウイスキー「オールド・ブッシュミルズ」のブレンド用のグレーン・ウイスキーを生産していたが、ブッシュミルズがアイリッシュ・ディスティラーズ社に併合された後グレーン・ウイスキーの生産は新設されたミドルトン蒸溜所へ集約された。

このようにして、コールレーン蒸溜所は姿を消した。理由の1つは経済的なもので、小規模なコールレーンは競争力がなくなったということであるが、2つ目は町の中心にある土地が狭隘なこと、輸送や環境問題もあって拡張の余地がなかったということであった。

現在、蒸溜所の跡地には旧蒸溜所のゲートの他、外壁や建物も残っているが、中心部はペット・ショップになっている。ブッシュミルズ蒸溜所のゲスト・ルームに、コールレーン蒸溜所で使われていたポット・スティル1基がおかれている。名蒸溜所追憶の碑である。


1. Peter Mulryan, Bushmills, Appletree Press, 2008.
2. Alf McCreary. Spirit of the Age. The Old Bushmills Distillery Company Ltd, 1983.
3. Alfred Barnard. The Whisky Distilleries of the United Kingdom, Birlinn Limited, 2008.
4. Brian Townsend, The lost distilleries of Ireland, Neil Wilson Publishing, 1997.
5. County Antrim :Wikipedia-The Free Encyclopedia
6. Ireland Geographical Facts, Figures and Physical Extremities
7. Dal Riata :Wikipedia-The Free Encyclopedia
8. Fionn mac Cumhaill :Wikipedia-The Free Encyclopedia
9. Bushmills IRISH WHISKEY / The Old Bushmills Distillery

*バーナードは、1885年から1887年にかけてスコットランド、アイルランドとイングランドのすべてのウイスキー蒸溜所を訪問した。彼の著作‘The Whisky Distilleries of the United Kingdom'は、当時のウイスキー産業の実情を記録に残した産業史的価値の高いものであるが、不思議なことに日時の記載が全くなく、ブッシュミルズをいつ訪問したかも不明である。蒸溜所は1885年の11月に火災で全焼し1888年に再建されているが、バーナードはこのことに全く触れていないことと、蒸溜釜の数がバーナードの記述とマルライアンの本に掲載されている写真と異なるので、バーナードの訪問は1885年11月以前と推定される。蒸溜方法は火災後に再建された時に2回から3回に変更された可能性が高い。