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稲富博士のスコッチノート

第73章 イングリッシュ・ウイスキー-その2 アドナムス・コッパー・ハウス蒸溜所

1.サウスワルドの灯台:1890年から使われているこの灯台は、衛星航法が普及した今も現役で使われている

前72章でご紹介したノフォーク州のセント・ジョージ蒸溜所から東南方向へ車で約1時間、北海に面したサフォーク海岸にサウスワルド(Southwold)という小さな町がある。人口わずか900人のこの町は、瀟洒な灯台と美しいビーチで知られ多くの観光客が訪れる町である。

この町に、ビールとウイスキーを同じ工場で作っている稀有な醸造所がある。それが今回ご紹介するアドナムス・ソール・ベイ・ビール醸造所(Adnams Sole Bay Brewery)とその中にあるコッパー・ハウス蒸溜所(Copper House Distillery)である。

1.アドナムス・ソール・ベイ・ビール醸造所の沿革

2.アドナムス・ソール・ベイ・ビール醸造所:この建物には仕込み関係の設備がある。建物の外壁は以前のまま残したが、内部の設備には最新の技術を導入した。

この地でビールがつくられていた歴史は14世紀まで遡るが、ジョージとアーネスト・アドナムス兄弟がそれまであった醸造所を買い取り自分たちのビールつくりを始めたのは1872年である。今では140年間この町でビールを造っている老舗ということになる。年間の生産規模は約16万ヘクトリッターというから500ml缶換算で約32百万缶の中規模醸造所である。造っているビールは上面発酵のイングリッシュ・エールで、製品の一つ、高濃度のプレミアム・ビター、 ‘ブロードサイド’は多くの賞に輝く有名ブランドである。瓶製品のアルコール度数は6.7%あり、英国風のシチューやソーセージに良く合う。

2000年に入り、アドナムス社は増加する注文に対応するためこの伝統的なビール工場を全面改装した。改装に当たっては、品質、生産量への対応と効率化は当然として、街並み保存や環境問題等への対応をすべて考えての設計にした。

2003年には発酵設備が、2008年に新しい仕込み設備が導入され、ウイスキー、ウオツカ 、ジンを製造する蒸溜設備が追加されたのは2010年である。ウイスキー等の蒸溜酒の仕込み、発酵はビール工場の設備を使って行われるが、原料や製造条件はビールとは異なる。

2.製造プロセス

3.アドナムスの仕込み設備:手前がマッシュ・タン、左が麦芽のホッパーで下部に湿式粉砕機がある。奥の方には、ラウター・タン(麦汁の濾過槽)、ワール・プール(沈殿物除去槽)、麦汁にホップを加えて煮沸するケトルと続く 。

原料
前72章でも述べたが、アドナムス醸造所のあるイースト・アングリア地方は英国でも有数の穀倉地帯で、製麦工場も多い。アドナムスはこの地方で収穫された穀類を原料に使用する。ビール用は大麦モルトだけであるが、ウイスキーやウオツカ には大麦モルト、小麦モルト、オート(Oat=カラス麦)モルト、ライ(Rye)モルトを単独で、また混合して使用する。又アドナムスはビールを蒸溜したオード・ヴィー・ド・ビエール(Eau de vie de biere)も製造している。

仕込み
新しい仕込み装置は, ビールの仕込み設備のトップメーカーのドイツのハップマン(Huppmann)社のものを採用した。原料の粉砕は湿式粉砕である。この方法は、一回の仕込みに使用する5トンの麦芽を18klの温水に浸漬してハスク(穀皮)に水分を与えてしなやかにしてからローラー式の粉砕機にかけるもので、こうすることでハスクが粉砕されることなく保存されるので後の濾過工程がスムースに行く利点がある。これで、エキス分の回収効率の向上と濾過時間の短縮が図れる。

通常の仕込みは麦芽が5トンで、これから25klの麦汁が得られる。

ビール用の麦汁を製造するときのホップ・ボイルは、麦汁煮沸時に臭気を含んだ大量の蒸気が発生し、そのまま大気に放出するとエネルギー・ロスと臭気公害になるが、アドナムスではケトルから発生してくる蒸気をコンデンサーで凝縮させて熱エネルギーを回収し、又臭気問題が発生しないようにしている。これで熱エネルギーの効率は35%向上したという。仕込み工程で製造された麦汁は15℃に冷却して発酵工程に送られる。

蒸溜酒用の麦汁を製造する時は麦汁の煮沸は行わず、ケトルを素通りして発酵へ送られる。煮沸しないのは、麦汁中の糖化酵素の活性を残し発酵中も残っている澱粉の分解を進めるためである。

発酵
発酵室は道路を挟んで反対側の建物にある。ここには2003年に新設備に更新された19基の発酵槽がある。すべて液深の浅い横型の発酵槽であるが、これはこの工場で製造しているビールがエールで、発酵に上面発酵酵母を使うことによる。上面酵母は発酵中に液の上面に浮上する性格があり、現在ラガーを造っている多くのビール工場のような高いシリンダー状の発酵タンクではうまく発酵しないからである。

4.アドナムスの発酵槽:アドナムスの仕込み設備:すべてステンレス・スティールの発酵槽で非常に清潔に保たれている。使っている上面酵母はアドナムス社が70年間使用し続けている同社の伝統的酵母で味の秘訣という。

発酵槽に送る麦汁には酸素がほとんど含まれていないが、酵母、特に上面酵母は健全な発酵の為に少量の酸素を必要とするので、発酵タンクに麦汁を送っている間に少量の空気を注入する。

ウイスキー醪の発酵にもビールと同じ2種類の上面発酵酵母を使用する。アドナムス社が70年間使い続けている伝統の酵母である。発酵温度は15℃からスタートし最終約26℃まで上昇する。発酵期間は7日間。スコッチのモルト蒸溜所の発酵にくらべると発酵温度は4-5℃低く、従って発酵期間は3-4日長い。上面発酵では発酵中に酵母が液面に浮揚してくるので、これはバキュームで吸い上げ酵母タンクに貯蔵し、次回の発酵に使用する。発酵終了醪のアルコール度数は7%程度でスコッチの醪に比べてやや低いが、これは原料麦芽の品質特性の違い、やや低い仕込み濃度とディスティラーズ・イーストを使用していないことに因ると思われる。

蒸溜
蒸溜では、スコッチ・モルト・ウイスキーが伝統的なポット・スティルを使用しているのに対し全く異なる方法で蒸溜する。設備はドイツの蒸溜機メーカーのクリスチャン・カール社(Christian Carl Ing. Gmbh)製で次のような構成になっている。

5.アドナムス社コッパーハウス蒸溜所の蒸溜室の夜景:左から連続式醪塔、ポット・スティルと2本の精溜塔。2本の精溜塔は、実は1本なのだが縦に1本にすると高さが高くなりすぎるので2本に分けたが一つながりである

  1. 醪から初溜液を製造する連続式蒸溜塔
  2. 再溜用のポット・スティル‐ポットの上部に3段の精溜棚がある
  3. ポット・スティルにつながる42段の精溜塔(21段の塔が2塔つながったもの)
  4. ウオツカ 用の2次精溜塔(Polishing column)

ウイスキーの蒸溜は、まず連続式蒸溜機で初溜を行う。醪の処理量は1時間当たり1,000リッターで、初溜液のアルコール分は80%である。

次の再溜は、42段の精溜塔付きのポット・スティルで行う。ポット・スティルの容量は800リッターで、多段の精溜塔がついているが、再溜は連続式ではなくバッチ式である。80%の初溜液を50%に希釈してポット・スティルに入れ加熱するとアルコールの蒸気は精溜塔に入り、各棚で蒸発と凝縮を繰り返しながら精留塔の最上部に達するが、すぐ溜液を取り出すことはせず、精溜塔の上部のコンデンサーで冷却したスピリッツを塔へ還流させる。この状態では、ポット・スティルと塔は閉鎖状態に保たれており、時間の経過とともに塔内のアルコール分とウイスキーの成分は一定の分布に安定してくるので2時間ほど経過した時点でまず前溜液を、次いで本溜液、最後に後溜を取り蒸溜を終わる。ウイスキーの本溜から余溜への切替のアルコール度数は75%、前溜からウイスキーになる本溜への切替時点のアルコール度数は公表されていないが90%以上と思われ、これから推定すると本溜のアルコール度数は82-85%と思われる。一回の蒸溜に要する時間は12時間である。

6.アドナムス蒸溜所の地下セラー:バーボン樽も使われているが、このようなアメリカ材の新樽やウオツカ の熟成には内部を強くトーストしたロシアン・オークも使っている

ウオツカ 用のスピリッツは同様の操作で本溜液を得るが、純度を高めるために前溜と後溜のカット量を増やし、本溜部分は再度蒸溜を繰り返す。この2回目の再溜では本溜は2次精溜塔へ送り最終の磨きをかける。

この蒸溜設備でジンも製造する。ジンのベース・スピリッツには上記のようにして製造したウオツカ である。ポット・スティルにアルコール分を50%に調整したウオツカ を入れて50℃に暖めて草根木皮を投入、一晩浸漬してから蒸溜する。ジンの蒸溜にはポット・スティルだけを使用し、精溜塔は使用しない。

貯蔵
アドナムスのコッパー・ハウス蒸溜所はイングランドにあるイングリシュ・ディスティラリーなので、スコッチ・ウイスキーの法律は適応されないが、EUのスピリッツ法の適応を受けウイスキーになるにはオークの樽で最低3年間は貯蔵熟成する必要がある。アドナムスの蒸溜所の地下はセラーになっていて熟成すればウイスキーになるスピリッツと熟成ウオツカ の樽が置かれている。熟成用の樽はバーボン樽に加えて、スコッチ・ウイスキーではあまり行われていないアメリカ材やフランス材の新樽による熟成も行っている。スピリッツの樽詰 め度数は65%である。

アドナムスのコッパー・ハウス蒸溜所でウイスキーの生産が始まったのは2010年の11月。最低の貯蔵年数3年をクリアしてウイスキーとして発売できるのは今年の12月になる。しかしながら、アドナムス社はそのフレキシビリティーに富んだ蒸溜設備を生かしてすでにウオツカ 、ジン、リキュールの製品を10種以上発売している。

3.見学後の所感

今まで蒸溜所といえばスコッチの蒸溜所ばかり見てきたが、イングランドのこのユニークな蒸溜所を見学して持った所感を下記に箇条書きにします。

  1. ビール工場でウイスキーをつくるという発想。ビール生産の余力に蒸溜酒をつくるのは確かに合理的である。
  2. 大麦、小麦、オート、ライと原料の選択が多様。ビールを蒸溜したスピリッツも製造。
  3. スコッチ・ウイスキーの法律に縛られないので、連続式蒸溜機でモルト・ウイスキーの製造が可能。
  4. ウイスキーを製造する蒸溜設備で高品質・高付加価値のウオツカ を生産して製品化すると同時に、そのウオツカ をベースにジンやリキュールへ展開する高い融通性。

アドナムスは、規模的には地方の中堅企業だが、生産以外にもパブチェーン、ホテル、酒販店などを持ちシナジー効果の高い事業展開を図っている。

4.セント・エドモンド教会

7.セント・エドモンド教会:聖エドモンドは9世紀中ごろのイースト・アングリア地方の王。侵入してきたバイキングにキリスト教を捨てるように強要されたが拒絶し殺害された。教会は殉教した聖エドモンドに奉献されている。

小さなサウスワルドの町の西のはずれに立派な教会がある。セント・エドモンド(St. Edmond’s)教会である。15世紀に建てられたこの教会はサフォークでも指折りと言われ、外観も壮麗だが教会内の内装や付属品も古い歴史を語るものが多い。サウスワルドはビール工場、古い教会、美しいビーチがあり訪れる観光客もリピーターが多いという。これに新しい蒸溜所が加わり観光の魅力がもう一つ加わった。

参考資料
1.http://adnams.co.uk/
2.http://adnams.co.uk/about/some-history/
3.http://en.wikipedia.org/wiki/Adnams_Brewery
4.http://www.geabrewery.com/geabrewery/cmsresources.nsf/filenames/Millstar_E.pdf/$file/Millstar_E.pdf
5.http://en.wikipedia.org/wiki/Southwold
6.http://eur-lex.europa.eu/LexUriServ/LexUriServ.do?uri=CELEX:32008R0110:EN:NOT