1.サンタ・ダッシュ:スタートしてすぐ、セント・ヴィンセント・ストリートの坂を上ってくるサンタ達。相当な坂道なのでもう息を切らしている人が多いが、皆楽しそうである。
例年10月終わりのハローウィンが近づくと、急に日が短くなり、気温も下がってクリスマスが近いことを感じるようになる。スコットランドの中でも西海岸に近いグラスゴーは、大西洋を渡ってくる西風のおかげで、東側にあるエジンバラに比べて暖かく雨が多いのが特徴だが、昨年秋以降のグラスゴーの気候は異常な雨続きで、毎朝‘今日も雨で酷いね’、というのが挨拶になっていた。
その連日の雨が、12月6日は奇跡的に晴れ、気温も15℃くらい、快晴微風と絶好のお天気に恵まれた。この日はグラスゴーの代表的なクリスマス・イベントサンタ・ダッシュ(Santa Dash)の日で、町は赤い服と白い髭のサンタクロースで埋め尽くされた。
グラスゴー市が主催するこのチャリティー・イベントは、距離約5.5㎞のミニ・マラソンで、2015年で9回目を迎え、6000人が参加した。参加者は、大人は一人15ポンド(約2,600円)、16歳以下は5ポンドを払うと主催者からサンタの衣装が支給されるのでそれを纏って走る。車椅子の人、乳母車の赤ん坊や犬も参加可能だがレースでは最後尾のスタートになる。バス会社も協力して、当日は赤いサンタの衣装を纏っていればバス代は無料となる。
2.サンタ・ダッシュの参加者:日本人5名と香港人1名のグループ。左端の女性はサントリーからグラスゴーのBeam Suntory UKに派遣されている塚原真奈美さん。
グラスゴー・サンタ・ダッシュは国際的イベントになっていて、イングランドは元より、スウェーデン、デンマーク、フランスから来た人やアジアから留学でグラスゴーに滞在している学生も多かった。
ダッシュのスタート地点は市の中心部、グラスゴー市庁舎のあるジョージ・スクエアである。午前10時にスタートすると、西に向かってセント・ヴィンセント・ストリートを約2㎞走り、フィニーストン・ストリートで南に向かって左折、クライド川沿いを今度は東に向かって走り出発地点のジョージ・スクエアに帰ってくるルートである。
主旨はチャリティー・イベントだが、普段の運動不足を少しでも埋める事や家族や友人と一緒に参加してこのイベントを楽しむ事もあるので、多くがワイワイ・ガヤガヤ組であったが、中には真剣に走る人もいて一等になった人のタイムは18分12秒だった。ゴールまで時間がかかった人も、5.5kmはきつかった人も多かったが、皆快い疲れと社会貢献に寄与した満足感で幸せそうであった。
チャリティーで集まった10万ポンド(約1750万円)は、新しく建設されたホスピス(The Prince and Princess of Wales Hospice)に寄付されるという。
3.グラスゴー大聖堂:この地に教会を建てたのはSaint Mungoと言われていて、大聖堂の中の地下聖堂には彼の墓がある。宗教改革で多くの教会が破壊されたがグラスゴーの大聖堂は、スコットランド王ジェームズ6世がグラスゴー市に聖堂の保全の為の資金を出すという約束で破壊を免れた。
ジョージ・スクエアにゴールインするサンタ・ダッシュを見終わったあと、グラスゴー大聖堂付近を散策することにした。市庁舎の北側のジョージ・ストリートを東に行くと数分でハイ・ストリートに出る。左に曲がって7,8分行くと右側にグラスゴー大聖堂の荘厳な姿が見える。グラスゴーの町は12世紀後半から建設されたこの大聖堂から発展した。言ってみれば門前町である。大聖堂は16世紀中頃にスコットランドの宗教改革でプロテスタントがスコットランドの国教の地位を占めるまでローマン・カトリックの司教座がおかれていたが、以後はスコットランド教会に属している。
グラスゴー大聖堂はグラスゴー大学の生みの親でもある。1451年にその時の司教によって大聖堂の構内に開設され、以後200年に亘って司教が学長を務めた。グラスゴー大学は、セント・アンドリューズ大学(1410-1413年の設立)に次いでスコットランドで2番目に古い大学である。1460年には大聖堂からハイ・ストリートを数分下がった東側に大学が建てられ、以後1870年に今のギルモア・ヒルに移転する迄ここにあった。移転は大学の発展で手狭になった事と産業革命以後、急増した人口の多くがハイ・ストリート周辺に流入してスラム化し環境が悪化した為でもある。大学界隈には怪しげなウイスキーを売る潜り酒場や売春宿が密集し、‘国の将来を担う若き英才の教育には如何なものか’というのが最も重要な理由だった。現在大学の跡地は鉄道の駅になっている。
4.手前の‘嘆きの橋’とグラスゴー・ネクロポリス:左方のグラスゴー大聖堂から、この橋-Bridge of Neigh-を渡ると‘死者の町’に入る。一番左手に見える高い塔がジョン・ノックスのモニュメントである
大聖堂のすぐ東側の丘にはネクロポリス(墓地)がある。建設されたのは1832年で、やはり急増する人口に伴う死者の増加に対応するためであった。埋葬されている人の数は5万人と言われているが、墓石やモニュメントの数は約3、500基で全ての埋葬者に墓石があった訳ではない。
ひときわ目立つモニュメントは、スコットランドの宗教改革の立役者、ジョン・ノックス(John Knox)のもので、18mの石柱の上に置かれ、大聖堂を向いている。壮大な墓石は富豪や著名人のもので、埋葬者の生前のタイトルが‘Glasgow Marchant’と記されたものがあるが、重工業と並んで交易でグラスゴーを発展させたのは自分たちマーチャントであるという気概が見えるしマーチャントの社会的地位が如何に高かったを物語っている。
墓石やモニュメントは、レニー・マッキントシュやアレキサンダー・トムソンなどの著名デザイナーの手によるものもあり、墓地に独特の雰囲気を持たせている。そのせいもあるだろうが、縁故はなくてもこのグラスゴーの‘死者の町’には国内外から訪れる人が多い。
5.ドライゲート・ブリューワリーの仕込室:クラフト・ブリューワリーといっても設備は最新式である。1仕込み25ヘクトリッター、年間に4,000ヘクトを仕込む
ハイ・ストリートには戻らず、ネクロポリスに沿っているジョン・ノックス・ストリートを下がって行くと数分でドライゲート・クラフト・ブリューワリー(Drygate Craft Brewery)がある。2014年に元製函工場の建物を使ってオープンしたこのクラフト・ブリューワリーはその先端的な経営で非常に注目を浴びている。モットーは、‘何事も恐れず大胆不敵’と‘経験主義’によるビール造りとあり、基本3ブランドのラガー、エール、アップル・エールはいずれもホップ・フレーバーを上手く使い、従来とは一線を画したフレーバーをもつ。ラベルデザインもそれこそ大胆不敵で、サイケか漫画調である。
ドライゲートはビールを醸造するだけではない。120席のレストラン、ビア・ホール、グループ用の個室、イベント会場、ショップ等を併せ持っている。小規模のビール醸造所では、‘出来たその場で飲んでもらう’のが、パッケージや物流・商流コストの節減になり理にかなっている。見学とビア・テースティングや体験醸造のコースもセットされているが、消費者との距離を詰める、あるいは協働する狙いと思われる。
スコットランドの冬の夜は早い。薄暮と思っていたら、すぐ暗くなるので、ジョージ・スクエアに戻ることにした。ジョージ・スクエアは、実質的にグラスゴーの中心点である。(地理的な起点には南東数百mにあるグラスゴー・クロスが使われることが多い。)スクエアの始まりは18世紀後半だが、19世紀中頃に現在の姿になった。スクエアにはこの間にスコットランドの政治や啓蒙運動に功績があった人々、Walter Scott, Robert Burns, James Watt, Robert Peel、Queen VictoriaとPrince Albert等の像が配置されている。
6.ジョージ・スクエアのクリスマス・イルミネーション:2015年は11月15日からクリスマス・ツリーや電飾のトナカイ等と一緒に点灯され、人々にクリスマス・シーズンの到来を告げた。背景は市庁舎の建物
スクエアの東側には1888年に完成したグラスゴー市の市庁舎があり、北側のQueen Street Stationは1842年にエジンバラ―グラスゴー間の鉄道が開設された時にグラスゴー側のターミナルとして建設された。西側のマーチャント・ハウスはグラスゴー商工会議所が入っているし、南側はかって中央郵便局だった建物がある。いずれも、グラスゴーがロンドンに次ぐ大英帝国第二の都市として繁栄した時代に建てられた。中でも、グラスゴー市庁舎はその堂々たる外観、大理石やマホガニーを使った豪華な屋内は英帝国の富とパワーの象徴であった。
スクエアは市の歴史も語る。スクエアではサンタ・ダッシュもそうだが多くの市民集会、政治集会、反乱や抗議、祝祭、パレード、音楽会等が行われてきた。最も有名なものは、1919年の労働条件改善の要求集会で90,000人が集まり、スクエアに入りきれなかった群衆が近くの道路を埋め尽くした。警備の警官との小競り合いは軍隊や戦車も動員される事態に発展したという。昨年のスコットランド独立を問う国民投票では、賛成派、反対派双方が入り混じって集会が行われていた。少しだが小競り合いはあったと報じられていた。ジョージ・スクエアはこれからもずっとPeople’s Squareとしてグラスゴー市民に多くの活動の場を提供し続けるであろう。
7.デュネディン・コンソートによるメサイア:この小編成のバロック合奏団は、1996年の創立だがすでに英国を代表する団体で国際的に活躍、高い評価を得ている。
クリスマスに最もふさわしい曲の一つがヘンデルのメサイアであることに異論はないであろう。その演奏会がクリスマスも直前の12月21日、グラスゴー・ウエスト・エンドにあるケルヴィングローブ・アート・ギャラリー・ミュージアム(Kelvingrove Art Gallery and Museum)の中央ホールで行われた。会場となったこの美術・博物館は、1901年にここで開催された国際博覧会にあわせて建設された。この美術・博物館の詳細は置くとして、演奏会のあった中央ホールは当初から音楽会を想定して設計されていたようで、堂々たるパイプ・オルガンが置かれている。
メサイアの演奏をしたのはデュネディン・コンソート(Dunedin Consort)でエジンバラをベースにしたバロック室内合唱団とオーケストラである。名前のデュネディンは、古いケルト語のDin Eidyn(エジンバラ城)に由来している。近年、メサイアは大コーラスと大きなオーケストラで演奏されることが多いが、デュネディンのこの日の演奏は、ソリストを含む4部のコーラスが各部3名で12名、オーケストラは、弦11名、トランペット2名、ティンパニ1名、オルガン1名、ハープシコード(指揮者が兼任)で、16名の小編成であった。少人数だけに演奏者はいずれもが実力者ぞろい、最高レベルの精緻なアンサンブルを聴かせてくれた。
以上、グラスゴーのクリスマス風景の一端である。グラスゴーは観光の町としてはエジンバラ程著名ではないが、隠れた宝石とも言うべき見所が多数ある。