図1.2009年スコッチウイスキー規則の冒頭部分
1933年のFinance Act(財政法)でスコッチウイスキーが初めて法的に定義されたことは前章で述べた。すなわち、「スコッチウイスキーの呼称は、スコットランド内で、穀物を麦芽の糖化酵素で糖化発酵させて蒸溜し、木樽で最低3年間保税庫で熟成させたスピリッツにだけに適用される」である。この法律によるスコッチウイスキーの定義は十分明確であると思われたが、一件が持ち上がった。
1938年 スコッチウイスキーとアイリッシュウイスキーのブレンド事件。スコッチのモルトウイスキーに、北アイルランド産のグレーンウイスキーをブレンドした商品が、数社からスコッチウイスキーとして発売されたのである。これは、‘スコッチウイスキーでないものをスコッチウイスキーとして販売した’として法令違反に問われたのだが、嫌疑は酒税法ではなく、商品表示法(Marchandize Marks Act)に由った。ブレンドの内容は会社によって異なり、スコッチモルトとアイリッシュグレーンの割合は77:23から38:62と様々であったが、判決結果は、‘消費者が要求するスコッチウイスキーではないものをスコッチウイスキーとして販売した’という事で有罪であった。‘スコッチ’という表現は、地理的表示であって、ウイスキーのタイプや中味の比率で決まるのではなく、商品の中味が完全にスコットランドで生産されたもののみで構成されていないとスコッチという表示は違法であるということを判例で示した。
1952年 関税及び物品税法(Customs & Excise Act 1952)アルコールの強さの基準であるプルーフは、現在の単位であるアルコールの容量度数では57.1%であると規定した。又、1938年の財政法のスコッチウイスキーに関する条項はここに移されている。
1969年 財政法 (Finance Act 1969)1952年の関税及び物品税法で規定されているスコッチウイスキーの定義に、蒸溜時のアルコール度数の上限を166.4プルーフにする規定が設けられた。この度数は、アメリカン・プルーフの190プルーフ、容量度数の95%と同じである。アメリカの蒸溜酒業界から、95%以上で蒸溜したスコッチウイスキーは、味のないニュートラル・アルコールである、という批判がありこれに対応した。それと、後に述べるが、穀類の糖化は麦芽と委員会が承認した天然の酵素で行うとされている。この酵素の使用は、現在は認められていない。
1988年 スコッチウイスキー法 (Scotch Whisky Act 1988)スコットランドで、スコッチウイスキーの基準に合致したウイスキー以外のウイスキーを製造、貯蔵、ブレンドすることは違法である、とした。
2009年 スコッチウイスキー規則(Scotch Whisky Regulation 2009)前章から今まで見てきたように、 スコッチウイスキーに関する法律の歴史は、1644年のスピリッツに対する最初の課税が始まりとすると、現在まで350年以上を経ていることになる。時々の政治、経済、社会、技術の変化に、時には先んじ、時には遅れながら形を整えてきたことになる。
この2009年に制定されたスコッチウイスキー規則は、スコッチウイスキーとその種類の定義、スコットランドで製造できるウイスキー、偽造への対応、バルク輸出の規制、ラベル上表示すべき項目、表示できる地域名、熟成年数、蒸溜所名等の規定、それと法の執行等を規定していて、いままでの集大成と言える。要件を見てゆきたい。
下記のように定義されている。
スコッチウイスキーとは、
(a) スコットランドの蒸溜所で、水と麦芽(全粒の他の穀物を加えても良い)を原料として
(i) 蒸溜所内で仕込み
(ii) 蒸溜所内で、原料に含まれている酵素で発酵性の基質に転換し
(iii) 蒸溜所内で酵母だけを加えて発酵させ
(b) 原料と製造工程に由来する香味を保つよう94.8%以下で蒸溜し
(c) 容量700L以下のオーク樽で
(d) スコットランドで
(e) 最低3年間
(f) スコットランドの保税庫か許可された場所で貯蔵し
(g) 原料、製造と熟成工程に由来する香味を持ち
(h) 下記以外のどのような物質も加えず
(i) 水
(ii) 中性カラメルの着色剤
(iii) 水および中性カラメルの着色剤
(i) 最低40%のアルコール度数のもの
となっている。
この定義の中の3つの大きな要素は、原料が麦芽とその他の穀物であること、蒸溜酒であること、オークの樽で3年以上熟成すること、である。
原料の麦芽(モルト=Malt)は、大麦を発芽・乾燥したものである。スコットランドの寒冷で夏の日照時間が長い気候は、春蒔きの二条大麦の栽培に適し、澱粉質が豊富なのでウイスキー用に好適である。モルトウイスキーは、この麦芽だけを原料にして製造される。麦芽を粉砕して温水で糖化し、得られた麦汁を発酵させてポット・スティルで蒸溜、貯蔵したのがウイスキーで、豊かな香味を持つ。スコットランドは飼料用を含んで、年間約150万トン*の大麦を生産し、スコッチウイスキーが使用する80万トンはほぼ自給できるが、近年世界的なスコッチウイスキー人気で生産量を増やしているので不足気味である。
写真1.麦芽:原料の大麦には、澱粉質を多く含むスコットランド産の二条大麦が使われることが多い。ウイスキーのスモーキー臭は、麦芽の乾燥工程でピートを燻煙することに由来する。(写真:サントリーブレンダー室提供)
麦芽はグレーンウイスキーの製造にも使われる。穀類の糖化用に原料穀類の約10%程度の麦芽が使われるが、この麦芽はモルトウイスキー用と異なり酵素力の高い高蛋白の大麦から製造する。
スコッチグレーンウイスキーの主原料は発芽させていない穀物で、1980年中頃まではアメリカや南アフリカ産のトウモロコシが使われていたが、以後EU域外からの農産物に輸入には関税がかかることになり、現在は主としてスコットランド産の小麦が使われている**。小麦はスコットランドの主力農産物ではなかったが、1980年に入ってから広く栽培されるようになった。スコッチウイスキーは1980年から不況期に入って大麦の需要が低迷していたが、ウイスキー業界がグレーンウイスキーの原料をトウモロコシから小麦に転換したのを機に、穀物農家は栽培を大麦から小麦に切り替えたのである。現在、毎年約90万トンが収穫され、そのうち55万トン*がグレーンウイスキーに使われている。
写真2.小麦:グレーンウイスキーの製造には澱粉の含量が多い軟質小麦が使われる。アルコール生産を重視するグレーンウイスキーの生産に向いている。(写真:サントリーブレンダー室提供)
蒸溜に関しては、蒸溜度数94.8%以下で蒸溜すること、となっているが、さらにスコッチ・シングルモルトウイスキーは、「モルト(麦芽)のみを原料として、一か所の蒸溜所で、ポット・スティルで蒸溜したスコッチウイスキー」と定義されているので、モルト(麦芽)のみから発酵させた醪を連続式蒸溜機で蒸溜されたものはモルトウイスキーとはならず、グレーンウイスキーに分類されることになる。
スコッチ・シングルグレーンウイスキーの定義は、「一か所の蒸溜所で蒸溜されたスコッチウイスキーで、シングルモルト・スコッチウイスキーやブレンデッド・スコッチウイスキー以外のもの」となる。この定義では、グレーンウイスキーの製造にどのような蒸溜機を使用するかは規定されておらず、Pot Stillでも連続式蒸溜機でも良いことになるが、現実はすべてのグレーンウイスキーは連続式蒸溜機で蒸溜されて、‘Pot Distilled Scotch Grain Whisky’は存在しない。
写真3. Glen Keith蒸溜所のPot Still:スコッチモルトウイスキーはポット・スティルで蒸溜することが義務つけられている。この写真は2013年に改装されたGlen Keith蒸溜所 (Chivas Brothers社)の蒸溜室で最高のエネルギー効率を誇る。
熟成に関する規定の内容は、「樽はオーク材から作られたもので、その容量は700L以下、貯蔵場所はスコットランド内の保税庫あるいは許可された場所、期間は3年以上」である。樽材のオーク(Oak)の樹種はブナ科、こなら属(Quercus=ケルカス)で約600種があり、バーボンウイスキーの樽に使われているホワイトオークの樹種はQuercus Alba, スペインのシェリー樽はヨーロッパのQuercus Roburから作られている。
貯蔵場所をスコットランド内と定めたのは、スコッチウイスキー独自の高品質に熟成するにはスコットランドの気象条件の下で熟成させることが必須であるという事と、以前は蒸溜したばかりのNew makeを海外に輸出し、海外で樽詰め、貯蔵し、スコッチウイスキーとして瓶詰めしていたケースがあったが、スコッチウイスキーの品質を保証するには、スコッチの会社や税務署の管理下で厳密に管理したいという事がある。
写真4.モルト蒸溜所内の貯蔵庫:古い低層の貯蔵庫で、露地に輪木積みをする貯蔵庫の典型である。現在は大型の貯蔵施設をつくり、ラックやパレットで貯蔵するのが一般的になってこのような昔の貯蔵庫は少なくなった。(Glenmorangie蒸溜所)
この2009年のRegulation で明確に定義されたことに、スコッチウイスキーのカテゴリー(種類)をSingle Malt, Single Grain, Blended Malt, Blended GrainとBlended Whiskyの5つに定めたことがある。図示すると下記のようになる。
図2.スコッチウイスキーの種類:2009年のスコッチウイスキー規則で、スコッチウイスキーの種類をこのように5種類に定め、製品ラベルの表示やバルク取引の品名もこれに従うと定めた。(資料3のSWA資料より)
このうち、Single Malt とSingle Grainは夫々単一の蒸溜所で蒸溜したモルトとグレーン、Blended Maltは二つ以上の蒸溜所で蒸溜されたモルトウイスキーをブレンドしたもの、Blended Grainは同じく二つ以上の蒸溜所で蒸溜されたグレーンウイスキーをブレンドしたものである。モルトとグレーンをブレンドしたものは従来からのブレンデッド・ウイスキーである。
製品の種類を、このように厳格に規定したのには理由があった。2000年の始め頃、ある会社のシングルモルトが大いに売れたのは良いが、原酒在庫の不足をきたし、一計を案じた会社は中味をシングルではなく、他の蒸溜所のシングルモルトも混和したピュアモルト(Pure Malt)に変更した。瓶形やラベルはそのままにし、ラベルの中の一語、Single Maltの‘Single’を‘Pure’に変更しただけであった。味はよく設計されていて、元のSingle Maltと非常によく似ていると言われたが、この行為は社会的な大論議に発展した。特に、瓶は同じでラベルもたった一語が変更されただけのパッケージでは消費者に見分けがつかず、意図的に中味の変更を隠す消費者誤認を狙ったのではないかが問われたのである。
論議は業界内に留まらず、流通、マスコミに政治も巻き込んで大論議に発展、最終的に会社はこの商品を撤回した。Pure Maltという表現は、業界内では複数のモルトを混和したという意味で使われてはいたが、厳密には定義されておらず、社会的通念とは言えず曖昧さを残していた。このような事態の再発を避けるため、2009年のウイスキー規則では、複数のシングルモルトウイスキーを混和したウイスキーはBlended Malt、複数のシングルグレーンウイスキーを混和したウイスキーはBlended Grainとし、Pure MaltやPure Grainという言葉の使用は禁じられた。
歴史的な経過と現行のスコッチウイスキー規則を読むと、特に近年、スコッチウイスキー業界、政府当局とプレスもいかにしてスコッチウイスキーへの信頼と名声を守るかに力を注いできたかが分かる。