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稲富博士のスコッチノート

第99章 ジェニーヴァ(オランダ・ジン)

英国はジンが大ブームである。ワイン・アンド・スピリッツ・トレード誌によると、昨年10月までの1年間の売り上げは前年から19%アップ、数量も330万ダースを超えた。ジンの蒸溜所も、これは昨年11月末までの1年間であるが、40の蒸溜所が新設された。テレグラフ紙によると2015年末に全英で233のジンの蒸溜所があったそうなので、閉鎖や廃業がなければ昨年末には280近く、今はもっと増えて300くらいの蒸溜所がジンを作っていると思われる。新しい蒸溜所は全て小規模のクラフト蒸溜所で、ビール醸造所やウイスキー蒸溜所で作られているものも多い。因みに、スコットランドといえばスコッチ・ウイスキーであるが、英国で生産されるジンの70%はスコットランドで生産されており、ウオッカの巨大ブランドもスコットランドで蒸溜・瓶詰めされているので、蒸溜酒王国と言って良い。

写真1.オランダ、ロッテルダムの近郊、スキーダム市の風景:スキーダムはかつてジェニーヴァ生産の大中心地であった。市内、運河が縦横に走り、所々に古い風車が見える。風車はジェニーヴァの原料を挽くのに欠かせなかった。

前書きが英国における最近のジン・ブームの話になったが、本章で述べるのは英国風のドライ・ジンではなく、元祖であるオランダ/ベルギーのジェニーヴァについてである。ジェニーヴァは英語読みで綴りはgenever、オランダ語はjeneverで発音はイェネーフェルである。

歴史

ジンの語源はジェニーヴァで、そのジェニーヴァはジン特有の香りのもとである杜松の実(juniper berry)のラテン語、ジュニペルス(Juniperus)に由来する。杜松の木は檜の仲間で、その学名はJuniperus communisである。

そのジェニーヴァの発祥は現在のオランダではなく、ベルギーのフランダース地方である。現在のオランダ、ベルギーとルクセンブルグ地方はロー・カントリー(Low country=低地国)、オランダ語でネーデルラント(Nederland)と言われていた一つの国であった。15世紀からスペインのハプスブルグの支配下にあったが、1568年にスペインによる重税と宗教上の対立から、現在のオランダを中心とするネーデルラント北部地方はスペインからの独立を求めてオランダ独立戦争を起こした。80年戦争を経てオランダが独立を果たしたのは1648年であったが、さらにベルギーがオランダから独立するのは182年後の1830年であった。

ジェニーヴァがイングランドへ伝わった由来は、オランダ独立戦争を支援するために送られたイギリス兵が、共に戦ったオランダ兵が戦の前に携行しているフラスコからジェニーヴァを‘ぐびっと’飲み、勇猛果敢に戦う姿を見て自分たちも覚え、戦後ロンドンに持ち帰ったとされている。ジンに‘オランダの勇気(Dutch courage)’という綽名がついた来歴でもある。

杜松の薬効が記された最初の記録は13世紀半ば、酒との関わりで言えば1552年にアントワープの医師が「蒸溜の本」の中で、「ジェニーヴァ・命の水の処方」を記している。当時、葡萄が不作で糖度が足りず、酸っぱくてとても飲めた代物でなかったワインを蒸溜したブランデーが人気であったが、より安い原料を求めた蒸溜業者は、酸敗したり、濁ったりしたビールを蒸溜してこれをモルト・ワインと呼んだ。16世紀末には蒸溜業者は、安定した生産とコスト・ダウンのためビールを経ずに直接穀物を発酵させて蒸溜するようになった。コストは下がったが品質も低下し、その荒々しい風味をカモフラージュする為に種々の草根木皮を加えた。中でも効果的だったのがジュニパー・ベリーであった。フランダースで生まれたジェニーヴァは、すぐに近北のオランダ南部に伝わった。

オランダでジェニーヴァの蒸溜が最も盛んに行われた町がスキーダム(Schiedam)である。ロッテルダムの西に隣接するこの町では17世紀からジェニーヴァづくりが盛んだったが、18世紀末には250、最盛時の1800年頃には392の蒸溜所があったという。スキーダムには折からの産業革命と輸出の増大、屈指の貿易港のロッテルダムを控え、原材料の調達や製品の輸出が至便という恵まれた条件があった。ところが、その後の十年でスキーダムのジェニーヴァ産業は急速に衰弱し、蒸溜所は19世紀末には143、1920年には14を残すのみになった。衰退の主因は、1818年にブルーメンタール(Cellier Blumenthal)によって発明された連続式蒸溜機で安価な原料からアルコールが量産されるようになりジェニーヴァに使われるようになったこと、多くの蒸溜所が小規模で競争力がなかったことである。

歴史を少し端折る。ずっと低迷していたジェニーヴァだが、最近その人気は上昇している。製造から種々の広報活動までオランダよりベルギーが盛んなようで、毎年ジェニーヴァ・フェスティバルがハッセルト(Hasselt)とゲント(Ghent)で開催されており、ハッセルトには1987年開館の国立ジェニーヴァ博物館も置かれている。

スキーダム国立ジェニーヴァ博物館

写真2.スキーダム国立ジェニーヴァ博物館:400年にわたるジェニーヴァの歴史を語る古い蒸溜釜、草根木皮を入れていた木製の大きなキャビネット、ボトル、ラベル、ミニチュア・ボトル、広告ポスターなど多くの展示品と、今でも300年前の方法で行っているジェニーヴァの蒸溜所が見学できる。

今回訪問したのは、スキーダム市のジェニーヴァ博物館である。元ジェニーヴァの蒸溜所を博物館に改造して1996年にオープンした。ジェニーヴァの歴史を語る豊富な収集資料も興味があるが、300年前にどのようにして蒸溜酒を造っていたのかを是非知りたかった。受付で登録すると、自由見学なのでどうぞ見てください、不明なところがあれば後で質問して欲しいとの事、早速蒸溜室に入って見学した。以下、工程の詳細である。

■仕込みと発酵

製造しているのはモルト・ワインといわれる穀物の蒸溜酒で、ここでは麦芽とライ麦を原料としてポットで三回蒸溜して製造する。設備は容量1,100リットルの木桶発酵槽が12基、容量2,200リットルの蒸溜釜が2基である。

驚いたことはこの蒸溜所には仕込槽や冷却器、ボイラーが無い。ではどのようにして穀類を仕込むのか。方法は次の通りである。まず2基ある蒸溜釜の1基で湯を沸かす。67℃程度に沸いた温水、600リットルを発酵槽へ入れ、そこに粉砕した麦芽200㎏とライ麦100㎏を投入してよく撹拌して1時間ほど糖化する。糖化が終わった醪の半量を、対になったもう一方の発酵槽へ移し、水を加えて酵母の発酵する適温まで温度を下げ、酵母を加えて発酵させる。発酵3日でアルコール分約7%の醪が出来上がる。ここでは仕込み、温度調整、発酵まですべて発酵槽でやってしまうのである。

写真3.仕込み・発酵槽。一基1,100リットルの槽が12基2列に配置されている。対面の2基を一組にして、仕込みと発酵を行う。濾過の機能はなく、麦芽やライ麦の粉砕粒が入ったまま発酵させる。

写真4.発酵中の醪。蓋の上に置いてある白いボードは注意書きで、「衛生上、醪に触れないでください」とある。なんとなく、指を突っ込んでどんな味か試してみたい気がする。

■蒸溜

写真5.蒸溜釜:手前が初溜釜、奥が再溜釜で容量は共に約2,200リットル。再溜釜は仕込み用の温水を沸かし、また3回目の再々溜も行う。初溜も再溜も石炭の直火加熱である。蒸溜釜は、ネックの上の方まですっぽり炉内に収められているので、どんな形か分からない。

蒸溜は3回蒸溜である。発酵の終わった発酵槽2基分の醪を初溜釜へ入れ蒸溜し、張り込んだ醪の半量を初溜液として採取する。丁度2倍に濃縮されたことになり初溜液のアルコール分は約15%である。因みに、スコッチ・ウイスキーのポット蒸溜では、初溜液の採取量は張り込んだ醪量の約1/3で3倍まで濃縮されるのに比べると、ジェニーヴァの蒸溜は後半になって溜液のアルコールが非常に低くなってもカットしないで採取していることになる。

2回目の蒸溜ではアルコール分15%の初溜液を蒸溜してアルコール分30%の溜液を採る。ここでも張り込んだ初溜液の半量を採ったことになる。3回目の蒸溜は、この初溜液に前回の3回目蒸溜の時にカットした後溜液を加えて蒸溜する。溜出液のアルコール分が80%になるまでの前溜はカットして廃棄し、80%から30%までのミドルカットを製品として採取、30%以降はアルコールが0になるまで後溜として取って次回の蒸溜にリサイクルする。製品となる本溜部分のアルコール分は約60%である。ジェニーヴァには樽で熟成させる規定はないが、樽熟成させる場合はアメリカン・バレルで3年程度熟成する。

■ジュニパー・ベリー・スピリッツ

ジュニパーの香りはジェニーヴァに欠かせない。その為に、モルト・ワインの一部をジュニパー・ベリーやその他の草根木皮と一緒に小型のジン・スティルで蒸溜したジュニパー・ベリー・スピリッツをモルト・ワインにブレンドする。ジェニーヴァのジュニパーの香りは、ロンドン・スタイルのドライ・ジンに比べてうんと軽微で、ジュニパー・ベリー・スピリッツの添加量は極く少量である。

写真6.工程サンプルのノージング:左から初溜液、中間溜液、本溜液(モルト・ワイン)、3年貯蔵したモルト・ワイン、ジュニパー・ベリーのスピリッツで、瓶から突き出ている管に鼻を近づけでゴム・ボールを圧縮して空気を送るとサンプルの香りを嗅ぐことが出来る。

■風味

後述するようにジェニーヴァにはいくつかのスタイルがあり、それによって風味は異なるが、ドライ・ジンの本質がジュニパー・ベリーを中心とした植物の‘精霊’を昇華させたアロマにあるのに対して、ジェニーヴァの本源は穀物の‘土魂’を煮出だした味にあると言ってよいだろう。穀物の全量発酵、直火加熱、長くまで後溜を採る蒸溜法では、スコッチ・ウイスキーのフルーティー、クリーミー、ハニーの甘い感じは出ず、穀類を煮た感じ、モルティー、パン、ビスケット、やや麦藁様の野太い風味になる。乏しいエステリーさは、ジュニパーやその他の草根木皮の軽い香りを乗せて補っている感じである。

ジェニーヴァはどのようにして飲むのか。オランダ人に聞いてみると、伝統的な飲み方は、例の、骨を抜いた生鰊の尻尾をつまんで高く持ち上げ、上を向いて口に落としこみ、玉ねぎのスライスを齧ってジェニーヴァを‘きゅっ’とやるのだそうだ。カクテルのバイブルといわれるサボイ・カクテル・ブックには1点だけオランダ・ジンのカクテルが載っている。ジョン・コリンズと名前がついていて、トム・コリンズのドライ・ジンの代わりにジェニーヴァが使われている。一般的なジョン・コリンズは確かウイスキー・ベースだったと思ったが、ジェニーヴァで作ってみると、ジュニパーの香りはほとんど感じず、しっかりした穀物様の味わいがレモンやソーダに負けずにあって清涼感だけでなく旨みが楽しめるカクテルであった。どうもドライ・ジンの先祖とはいえ、ジェニーヴァをジンの一種と考えるのは間違いでウイスキーと考えた方がよく、サボイ・カクテル・ブックがオランダ・ジンのコリンズをジョン・コリンズと命名した理由が分かった気がした。

■定義

終わりになってしまったが、ジェニーヴァの定義について触れておく。ヨーロッパにおける酒類の定義、ラベル表示、原産地呼称はヨーロッパ連合(EU)の法律で定められている。その中でジェニーヴァは第19項の「ジュニパーのフレーバーを付けた蒸溜酒」に入り、定義は「農産物起源のアルコール又はグレーン・スピリッツにジュニパーの香りを付けたもの、あるいはジュニパー・ベリーをグレーン・スピリッツと一緒に蒸溜したもので、アルコール度数30%以上のもの」とある。なんとも素っ気ないが、主たる原産地呼称とその製法は下記のようになる。

1.ジェニーヴァ:定義はEU法と同じ。ジェニーヴァの呼称はオランダ、ベルギー、フランスの一部とドイツの一部で製造されたものに限る。
2.グレーン・ジェニーヴァ(Graan jenever):穀物だけを原料としたスピリッツを使用したもの。原産地呼称は上に同じ。
3.旧タイプ・ジェニーヴァ(Oude jenever):Oude(Old)となっているが、貯蔵熟成したものという意味ではなく、旧スタイルという意味である。スピリッツ中、モルト・ワインを15%以上含むもの。この表示はオランダ産とベルギー産にのみに許される。
4.新タイプ・ジェニーヴァ(Yonge jenever):Yonge(Young)となっているが、貯蔵年数とは関係なく、モルト・ワインの含量が15%以下のもの。この表示はオランダ産とベルギー産にのみ許される。

ジェニーヴァ人気が高まっているそうだが、この長い歴史をもち、独自の味わいをもつ蒸溜酒に新しい価値を見つけている人が増えているようだ。

参考資料
1. Genever: 500 Years of History in a bottle. Veronique Van Acker - Beittel. Flemish Lion, 2013.
2. The Savoy Cocktail Book. Pavilion Books, 2011, p.190.
3. http://www.wsta.co.uk/press/811-2016-the-year-of-gin
4. http://www.telegraph.co.uk/news/2016/03/28/britains-love-of-gin-sees-number-of-uk-distilleries-double/
5. http://www.bbc.co.uk/news/uk-scotland-scotland-business-38299375
6. http://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=CELEX:32008R0110