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稲富博士のスコッチノート

第108章 ボーダー・リーヴァーズ その(1)トラクエアー・ハウス

写真1.トラクエアー・ハウス。12世紀から続くこの古い城館はスコットランドの波乱に満ちた歴史を存分に吸い込んで今に至っている。場内のツアーで見学者はその歴史を体現できる。

昨年の5月のことである。IBD(Institute of Brewing and Distilling:英国醸造・蒸溜学会)のスコットランド・セクションの主催で、スコットランドとイングランドの国境地域のビール工場や蒸溜所を巡るツアーがあったので参加した。名づけて“ボーダー・リーヴァーズ(Border Reivers)”。スコットランドとイングランドの国境は首都エジンバラから南方約75㎞のベルイック・アポン・ツイードとグラスゴーから南へ130㎞のグレトナ・グリーンを結んでいる。この国境の周辺地帯は、14世紀から17世紀までイングランド、スコットランド両国のどちらからも統治が行き届かず、言わば無法地帯であった訳だが、その無法地帯を荒しまわっていたならず者集団がボーダー・リーヴァ―ズで、今回のツアー参加者はそのならず者にならってボーダーズのビール工場や蒸溜所を訪ね荒すという主旨である。

訪問先を図1に示す。出発地はエジンバラの西、ハーミストンの駐車場である。そこから、最古の邸宅と言われるトラクエアー・ハウスのビール設備、すこしイングランドに入った荒野にあるヘップル・ジン蒸溜所、イングランドの湖水地方の町コッカマウスとその周辺のビール醸造所とウイスキー蒸溜所を訪ね、最後はスコットランドのアナンデール蒸溜所を訪問した。

図1.ボーダーズとノーサンバーランド地方と訪問先

トラクエアー・ハウス

エジンバラ南東南約45㎞のトラクエアー・ハウス(Traquair House:Traquairの発音は‘Track-air’に近い)は、古くは12世紀にスコットランド王室が狩猟に出かけた時に滞在する城館として建てられ、以後何回も改修され現在に至っているが、900年間一度も空き家になったことはなく、英国で最も長く住み続けられた住居、と言われている。所有者は、アレキサンダー三世(1241-1286)以降、王室関係者の間で度々変わったが、1491年にジェームズ三世類縁のジェームズ・スチュワートの手に渡り、以後スチュワート家が治めている。家格も、15世紀にはレイアード(Laird:大地主で男爵の次の順位)、17世紀には伯爵に上った。

王室との関係から、トラクエアー・ハウスを訪れた歴史上の人物は並みではない。1566年にはスコットランドのメアリー女王が、夫と赤ん坊の後のジェームズVI世(後にイングランドのジェームズI世)を伴って滞在、1745年にはジャコバイトの乱を率いたボニー・プリンス・チャールズが、1932年には英国王ジョージV世が訪問している。

写真2.王の間:1566年に、スコットランド女王のメアリーと夫のダーンレイ候、二人の間に生まれ、後にスコットランド国王のジェームズVI世とイングランド・アイルランドの国王ジェームズI世になる赤ん坊が 泊まった寝室。ジェームズが使った揺りかごが今も置かれている。

トラクエアーのスチュワートは、歴代スチュワート王朝への忠誠と、カトリックの信仰を守ってきた。16世紀にヨーロッパで起こった宗教改革は、プロテスタントとカトリック間の紛争にとどまらず、政治も巻き込んだ激しい社会変革とそれに伴う混乱ももたらした。スコットランドでは、1560年にカトリックは非合法化されたが、トラクエアーのスチュアート家はファミリー伝統のカトリックの信仰と、スチュアート王朝に忠誠を変えず、以後200年以上に亘って非常に困難な時代を送った。それでも、トラクエアーではある時期は密室でミサを上げ、いざという時には司祭が脱出できるように秘密の通路まで設けてカトリックの信仰を守り通した。なんだか、日本の隠れキリシタンを思わせるような話である。英国内におけるカトリックに対する法的な制限が解除されたのは1829年であった。

以前も述べたが(スコッチノート第88章及び104章)、近代社会になると、トラクエアーに限らず貴族が所有するエステートの維持管理は非常に難しくなった。エステートの賃貸や農場からの上がりだけてはとても維持して行けなくなったのである。トラクエアー・ハウスでは1960年代からこの課題に取り組み始め、現在は観光、イベント、エール醸造、貸会場、結婚式、レストラン等の事業を行っている。

エール醸造

トラクエアー・ハウスの名物の一つは古いエール工房である。18世紀頃は多くのエステート・ハウスでは自家用と従業員向け(時には賃金の一部でもあった)にエールを造る事は広く行われていた。19世紀に入ると、エール造りが広く行われるようになり、自家醸造は割に合わなくなったことから、トエアクエアー・ハウスでもエール造りは行われなくなり、工房の存在もその内に完全に忘れられてしまった。1960年に入って、エステートの一般公開することを目的として当時の領主のピーター・マックスウェル・スチュアートはハウスの大清掃を行ったがその時に部屋いっぱいのガラクタの下から18世紀の醸造設備がほぼ完全に残っているのが発見されたのである。ハウスに残されたアーカイブ(古文書)を探したところ、当時の醸造法も見つかり、1965年から事業の一環としてエール造りを再開した。

写真3.1738年購入の200ガロンの温水タンク兼煮沸釜:麦芽の仕込みに必要な温水をこの釜で沸かして仕込槽へ送る。18世紀には薪を燃料にしたが現在はガスで加熱している。

写真4.仕込みと麦汁冷却設備:週に2回仕込み、500ガロンのエールを製造する。奥に見える黒っぽい木桶が仕込槽、その下の桶が濾過した麦汁を受けるアンダー・バックである。麦汁は写真3の釜に移してホップを加えて煮沸し、Cooler 1と書かれた木製の浅いトレーと更に右側にある同じようなCooler 2で冷却、発酵槽へ送る。右下に見える銅製の冷却器は後に追加された。

写真5.Memel Oakの発酵槽:Memel(現在のKlaipeda)は、リトアニアのバルト海にある港町で、バルティック地域やロシアのオーク材の輸出で知られていた。25度に冷却した麦汁に上面酵母を加えて7日間発酵させ、別のタンクに移して更に数週間熟成させてから瓶詰めする。

ご覧のような設備や製法は、現在の進んだビール技術から見ると余りにも原始的、特に微生物管理担当の技術者にはぞっとするレベルではないかと思われるが、出来ている製品の品質は優れたのもので、代表的なトラクエアー・ハウス・エール(アルコール分7.2%)は赤みを帯びたダーク・チョコレート色、モルティー、フルーティー、ダーク・フルーツ、ややホッピー、やや甘い香味のストロング・エールである。その他ジャコバイト・エール(アルコール分8.2%)等数種の製品を出している。
エール造りを再開してから最初の数年間は、微々たる生産量であったがそれでも販売には非常に苦労したという。潮目が変わったのは、1971年にイングランドで始まったCAMRA(Campaign for Real Ale)がきっかけである。最も成功した消費者運動といわれるCAMRAで、消費者のエールへの関心が高まり、エール復興の起点となった。現在、トラクエアーは8月以外通年で操業し年間約20万本を製造しその60%を輸出するようになっている。

蒸溜所

トラクエアー・ハウスは歴史遺産の宝庫と言われている。40余の部屋に置かれている家具、絵画、タペストリー、衣服やオーナメントはなにがしかの歴史を語る。保管されている古文書には、スコットランド王が発した許認可状、トラクエアー家が地域や社会、スコットランドや国際政治にいかに関わってきたかを記した文書が多数あり、歴史研究の貴重な資料となっている。ハウスの2階には博物館があり、これらの展示が見られる。その中に、1700年代まで使われていたポット・スティルがある。

写真6.1700年代に使われていたポット・スティル:大きさは直径約50㎝、高さ60㎝である。写真は割愛したが、ポット・スティルのネックとライン・アームはすぐ横に展示されていた。展示の説明によると、1781年まで個人がウイスキーを蒸溜することは許されていた。

葡萄が出来ないスコットランドのアルコール飲料は、麦芽から出来るエールやそのエールを蒸溜したウイスキーであった。もっとも、ウイスキーとは言っても現在の様に樽で何年も貯蔵熟成したものではなく、ほとんどがそのまま飲まれたと考えられているが、保存容器として樽を使っていた場合は時間と共にウイスキーが美味しくなることを発見したに違いない。900年に及ぶトラクエアー・ハウスの歴史と、300年前のエール造りやポット・スティルを見ることはまさにバック・トゥー・ザ・フューチャーであった。

参考資料
1. http://www.bbc.co.uk/legacies/myths_legends/scotland/borders/article_1.shtml
2. https://www.traquair.co.uk/
3. http://www.aboutscotland.com/traquair/history.html
4. http://www.traveller.com.au/traquair-the-house-where-royalty-and-intrigue-sought-refuge-gxcinf
5. http://www.bbc.co.uk/scotland/history/articles/scottish_reformation/
6. http://www.camra.org.uk/what-is-camra