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稲富博士のスコッチノート

第111章 ボーダー・リーヴァーズ その(4)ザ・レイクス蒸溜所

写真1.ザ・レイクス蒸溜所の外観:蒸溜所は、元畜牛農家の牛小屋を蒸溜所、レストランや売店に改造した。国立公園内の建物の改造は、外観を景観にマッチすることを求められ、大変な工事だったが、出来栄え、内容の素晴らしさから「死ぬまでに必見の8つの蒸溜所*の一つ」に選定されている

ザ・レイクス蒸溜所(The Lakes Distillery)は、前回のジェニングス・ビール醸造所から東へ距離にして約8㎞、車で10分程、湖水地方国立公園(Lake District National Park)に中にある。湖水地方国立公園は、英国最北西のカンブリアにあり、面積の2,362㎞2は東京都の2,187㎞2より広い。国立公園に指定されたのは1951年、2017年にはユネスコの世界遺産に認定され、年間の訪問者は1,600万人を超えるという。

従来からウイスキーの蒸溜所はスコットランドと決まっていた感があるが、これはイングランドのウイスキー造りが、1903年にロンドンのリー・ヴァレー蒸溜所が閉鎖されて以来100年間、2003年にコーンウォールのヒーリーズ・リンゴ園でウイスキーの蒸溜が再開されるまで行われなかったことに由る。しかしながら、ここ数年のクラフト蒸溜所ブームもあり、昨年9月のフィナンシャル・タイムス紙の調査によるとその時点でイングランドには21のウイスキー蒸溜所があるという。

レイクス蒸溜所の発祥

写真2.ダーウェント川:蒸溜所から約150m離れた場所には、レイクス蒸溜所が水源としているダーウェント川が流れている。この清流は、湖水地方の最高峰スカーフェル山塊に源を発し、約90kmを流れて西方のアイリシュ海に注ぐ。

創業者のポール・キャリー氏が、160年前のヴィクトリア時代に建てられ、20年前から使われないで放置されていたこの農家の廃屋を買ってウイスキーの蒸溜所にしようと着想したのはもう10年くらい前である。ポールの父親はかってシバス・ブラザースの役員で、退任後誰も考えなかったアラン島に蒸溜所を建て成功させたハロルド・キャリー氏で、ポール・キャリー氏もウイスキーへの思いと創業者精神を受け継いでいた。たまたまホリデーで湖水地方に来ていた氏はこの農家と立地を見て、ここは立派な蒸溜所に出来ると直感した。近くにはダーウェントの清流が流れ、建物も蒸溜釜を備えるのに十分な高さがあった。

建物の改造は出来るだけ外観を残し、また景観と調和させるため、解体して立て直す場合は使われていた石材に全て番号をつけて保管しておき、復元する時は元の位置に戻して使ったという。不足する石材は同じ色調のものを調達し、違和感が出ないように気を配った。費用は新しく建てるよりはるかに高額であった。

クォーターフォイル(Quatrefoil)

写真3.建物の壁に残されていたクォーターフォイル:160年前にこの牛小屋を建てた畜産農家は、このシンボルが意味する“Luck(幸運)”や“Prosperity(繁栄)”を願って、建物の各所に26ものこの四つ葉のマークを残していた。

クォーターフォイルは、四つ葉のクローバーのことでヨーロッパでは幸運の象徴であるが、通常三つ葉のクローバーの葉の中で、四つ葉のクローバーが見つかる確率が1万分の1でしかない事に由来する。ヨーロッパでは最も親しまれてきた象形で、各葉は幸運(Luck)、希望(Hope)、信頼(Faith)、愛(Love)を表す。蒸溜所では、このクォーターフォイルを蒸溜所のロゴに採用した。

製造プロセス

写真4.仕込み・発酵室:奥にマッシュ・タン、その手前の二つのタンクは発酵槽である。清澄麦汁の発酵なので、発酵中激しく泡立ち、スウィチャーでの泡消しが必要である。洗浄は全て自動化されて非常に清潔である。

レイクス蒸溜所はモルト蒸溜所である。地理的にはイングランドにあるので、言わばイングリッシュ・ウイスキーで、その製法はスコッチ・ウイスキーに課せられる規制は受けず、EUの規定**に従えば良いが、スコッチ・モルト・ウイスキーと同じく麦芽のみを原料として、ポットスティルで蒸溜する製法を採用している。製造プロセスは、伝統的というより最新の科学と技術も活用できる弾力的なシステムと言える。

写真5.蒸溜室:左側の写真はウイスキー用のポットスティルで、初溜、再溜各1基。手前が初溜、ポット自体は良く見えないが、コンデンサーを挟んで奥に再溜釜が配置されている。初溜釜、再溜釜それぞれに銅製とステンレス製のコンデンサーが設けられていて、それらをつなぐ導管の所にダンパーがあり、切り替えできる。右側はジンスティル。ジュニパー、コリアンダー、アンジェリカ、レモンとオレンジのピール、リコリスをニュートラル・スピリッツに1日浸漬しておいてから蒸溜する。ジンスティルのネックには冷却水を通せるジャケットがあり、還流率を調整する

●原料麦芽:イングランドの大麦をヨークシャーの製麦工場から購入し使用。
●仕込み:マッシュ・タンはマスク社(Musk Engineering)製。一仕込み当りの仕込み量麦芽1トン。サイクルタイム6時間。麦汁は清澄麦汁で、一仕込み当り約5,000リッター。仕込み回数は1日一仕込みで週に7日毎日仕込む。こうすることで発酵時間を一定にできる。
●発酵:容量5,000リッターのマスク社製ステンレス・スティール発酵槽4基。スウィッチャ―(泡消し)付き。酵母はアンカー社の乾燥酵母。約96時間の発酵時間でアルコール8%の発酵醪が得られる。
●蒸溜:ポットによる2回蒸溜。蒸溜時間は5時間サイクル。初溜釜、再溜釜共銅製とステンレス製の2基のコンデンサーがあり、どちらを使用するかはコンデンサーの入り口の所で切り替える。スピリッツのタイプは、その成分がウイスキーの蒸気がコンデンサーで凝縮する時の銅との反応の多少で決まるので、フルーティーですっきりしたスピリッツを製造する時は銅の、ミーティーで重めのスピリッツを造りたいときはステンレスのコンデンサーを使用する***。蒸溜室にはウイスキー用とは別にジンスティルがありジンの製造もおこなっている。

写真6.レイクス蒸溜所の貯蔵庫:使用する樽の約80%はスペイン材、ホワイトオーク、フランス材を種々のシェリーでシーズニングしたシェリーウッド、残りはバーボン・ホッグスヘッドを使用する。蒸溜所は狭隘なのですぐ近くのコッカマウスに大きな貯蔵庫を持っている。

●貯蔵・熟成:ニューメイク・スピリッツの貯蔵には、大半をシェリーウッドに、それに多少のバーボン樽のホッグスヘッドを使用する。レイクス蒸溜所の生産担当の役員で、ウイスキー・メーカーのデュヴァール・ガンディー氏は、マッカランの出身で樽と貯蔵に造詣が深く、小規模生産の利点を生かし大きな蒸溜所では出来ない、それこそ一樽、一樽入念な管理をしているが、一方でバーボンやコニャックの熟成も研究して樽の選定から熟成管理まで従来のスコッチ・ウイスキーのやり方に拘らない新しいやり方も取り入れようとしている。原酒の生産から樽の選定、貯蔵管理全体を俯瞰した総括的な物造りは、小規模蒸溜所の特質を生かしたやり方である。

発売

レイクス蒸溜所が蒸溜を開始したのは2014年の12月である。3年半後の2018年6月に最初のシングルモルト製品のジェネシス(Genesis)99本をオークションで発売した。ウイスキーは、オロロソ・シェリーのホッグスヘッドで熟成させ、アメリカ、フランス材の樽、アンダルシアのオレンジワインの樽でフィニッシュしたという手の込んだ造りである。樽出し原酒で度数は58.3%、干し生姜の生き生きした香り、バニラ、乾燥した果実、オレンジ・チョコレート等の複雑な風味という。そのNo.1ボトルは£7,900(当時のレートで約110万円)で落札され、新蒸溜所の製品の値段としての世界記録であった。残りの98本も平均で一本£900の値で落札され、ウイスキー・ブームの中とは言え、蒸溜所のマーケティングの上手さが光る。

複合ビジネス

レイクス蒸溜所の中心はモルト・ウイスキー造りであるが、その他にブレンデッド・ウイスキーやジン、ウオッカの製造・販売も行っている。長年の貯蔵が必要なウイスキー事業は資金繰りが課題となるが、原酒を購入して行うブレンデッド・ウイスキーやジン、ウオッカはシングルモルト事業を支える大切な資金源となる。2018年にこれら製品の販売量はジン、ウオッカを中心に20万本になったという。蒸溜所のビストロは、ミシュランの格付けを持つ21グループのシェフ、テリー・レイボーン氏をコンサルタントに、地元の素材を使った料理で人気が高い。

風光明媚な湖水地方の農家の廃屋をモルト蒸溜所に変え、訪問者にとって魅力的な内容に高めてきたレイクス蒸溜所には10万人もの見学客が訪れるようになった。見学料は最低でも£12.5、ショップとレストランの売り上げは相当な金額に上る。経営の基盤をしっかりさせながら、見学者には素晴らしい環境、蒸溜所の歴史、ウイスキー造りとテースティングの学習、美味しい食事等の提供で、蒸溜所にいる時間自体が価値となる経験経済を実現している。訪問者の事後評価も高く、これは製品の評価を高めることに繋がる。カリー氏の夢は実現しつつある。

*2019年版のWorld Whisky Todayで、Eight distilleries to visit before you dieのリストに選ばれた。スコッチ・ウイスキーの蒸溜所ではAuchentoshan, Bowmore, Highland Parkが選定されている。
**EUのウイスキーの定義は、原料は穀類のみを使用し、94.8%以下で蒸溜するという点はスコッチ・ウイスキーの規定と同じだが、糖化に麦芽以外にも他の天然の酵素を使用しても良く、モルト・ウイスキーもポットスティルで蒸溜しなければならないという制限もない。熟成にはオークの樽でなくても木樽であればよい。尚、スコットランド、イングランドとウエールズ産のウイスキーは、英国のEU離脱(Brexit)以降、定義や各国との通商条約の締結という大課題を抱えている。
***ポットスティルの銅は、ウイスキー成分の硫黄化合物と反応して硫黄化合物を取り除くが、硫黄化合物の多少でウイスキーのフレーバーが大きく変わる。とりわけ、コンデンサーでウイスキーの蒸気が液体に凝縮する時にこの反応が起こるので、コンデンサーでの反応の度合いで蒸溜されたウイスキー中の硫黄化合物の濃度が大きく変化する。ウイスキーに含まれている代表的な硫黄化合物のジメチル・トリサルフィド(DMTS)は、ネギ類や加熱したキャベツのにおいで、ビール中1億分の4の低濃度で識別される。DMTSの濃度が高いウイスキーは、サルフリー(硫黄様)、ミィーティー(肉様)と表現される特徴を持つのに対して、この硫黄化合物の少ないウイスキーの香りはフルーティーとかグラッシィー(草様)と言われる。銅を使用していても、反応の少ないワーム(Worm)型のコンデンサーのスピリッツは重く、銅反応の多い多管式コンデンサー(Shell & Tube Condenser)を使用したスピリッツは軽いが、これは本稿第12章「Pot蒸溜―その3」で述べた通りである。ステンレスのコンデンサーで、銅―硫黄反応を除き、硫黄系のフレーバーが非常に強いスピリッツを製造する試みは、2009年に建設されたDiageoのローザイル(Roseisle)蒸溜所でなされている。レイクス蒸溜所では、どのような組み合わせや頻度で使って行くか試行中のようである。

参考資料
1. https://www.lakesdistillery.com/
2. https://www.worldwhiskyday.com/eight-distilleries-to-visit-before-you-die-2019/
3. Financial Times (08/09/18) Distillers propose toast to the future of English whisky
4. Official Journal L 160 , 12/06/1989 P. 0001 – 0017 Council Regulation (EEC) No 1576/89 of 29 May 1989 laying down general rules on the definition, description and presentation of spirit drinks
5. https://scotchwhisky.com/whiskypedia/1886/roseisle/
6. https://scotchwhisky.com/magazine/latest-news/19874/first-lakes-single-malt-sold-for-7-900/