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稲富博士のスコッチノート

第117章 アイラ島蒸溜所総巡り−2.ブナハーヴンとアードナホー蒸溜所

ブナハーヴン(Bunnahabain)蒸溜所

写真1.ブナハーヴン蒸溜所の桟橋とパップス・オブ・ジュラ:1883年の操業開始から100年以上、スコットランド本土から運ばれてきた大麦やその他の資材、蒸溜所から積み出されるウイスキー樽の搬入・搬出にはこのような蒸溜所に直結する桟橋*が使われた。運搬船はパッファー(Puffer)と呼ばれていた小型の蒸気船である。アイラ海峡の向こうに見えるのはJura島のPaps of Jura(ジュラのオッパイ山)である。

蒸溜所の経緯
蒸溜所の発祥は1879年にRobertson & Baxter(現Edrington)がGreenlees Brothersと組んでIslay Distillery Companyを設立した時に遡る。1881年に蒸溜所の建設に着手し1883年に稼働した。蒸溜所名のBoo-na-Havinの意味は“河口”である。

当時の蒸溜所の様子は1887年に蒸溜所を訪問したAlfred Barnardの記録によると、場内の製麦工場の麦芽の乾燥には100%ピートだけを燃料にしていたというから間違いなくHeavily peated maltであり、近年蒸溜所の主力製品がNon-peatedで知られていることの真逆であった。年産は約350キロリッター、50〜70人が働き、蒸溜所内には彼等の子弟の教育の為の小学校と図書館があったという。

蒸溜所は、オーナー、設備、操業とも起伏が大きかった。1887年にはEdringtonグループに入るが、大恐慌による不況で1930年に閉鎖され、再開されたのは7年後であった。第二次大戦中の1942年から2年間は生産が行われず、スコッチ・ウイスキーの急成長時代の1963年に能力を2倍に拡張したが、1982年にはウイスキー不況で閉鎖され、2年後に再開されたが生産レベルは長年低迷した。2003年に蒸溜所はBurn Stuart社に売却され、2013年にはBurn Stewart社本体が南アフリカのワインとブランデーメーカーのDistellに吸収された。

蒸溜所の生産関連の主な出来事としては、1960年に一車線ながら道路が出来、本土からの大型フェリーとトラックでも原料の搬入が可能になったこと、1963年に新しく6基の発酵槽と2基のポット・スティルが入り生産能力が倍増されたこと、製麦を止めて麦芽を外注するようになったこと、それまでのLaphroaigやLagavulin並みのヘビリー・ピーテッドモルトからノン・ピーテッドへ転換したことが上げられる。1963年当時シングル・モルト市場は未発達で、ブナハーヴン蒸溜所のモルトは急成長していたEdringtonのFamous GrouseやCutty Sarkのブレンドに使う為にスペイサイド・スタイルを目的としていた事による。

現在のブナハーヴン蒸溜所
ブナハーヴン蒸溜所は、1963年の拡張以来、新しい技術の導入はなく伝統的である。工程の諸元は以下の通りである。

  • ● 原料麦芽:主としてノン・ピーテッド、約20%はヘビリー・ピーテッド。

  • ● 粉砕:ポーチャス社製2段のローラー・ミル。

  • ● 仕込み:マッシュ・タン。一仕込み12.5トンで、サイクル・タイム11時間のスロー・プロセスで約67キロリッターの清澄麦汁を得る。

写真2.マッシュ・タンの外観(左)と仕込み中の内部(右):ボディーや撹拌機はステンレス製であるが、伝統的なマッシュ・タンである。仕込みは最大15トンまで仕込むことが出来、Islayで最大である。

  • ● 発酵:容量約100キロリッターの木桶発酵槽6基、発酵時間は53時間と110時間の2種、発酵終了醪中のアルコールは約8%である。

写真3.発酵槽(左)と発酵が終了した醪(右):清澄麦汁の発酵は非常に高泡が立つ。仕込まれる麦汁量は発酵槽全容量の70%で30%のヘッド・スペースがあるが、それでも泡を抑える為にはスイッチャー(泡切用の回転ブレード)を駆動する必要がある。スイッチャーは発酵槽の上に置かれているモーターで駆動する。

  • 写真4.蒸溜室:初溜釜、再溜釜とも高く、肩からネックにかけての縊れが少ないずん胴型である。

    ● 蒸溜:初溜釜は、張り込み量16.5KLが2基、再溜釜は張り込み量9.5Kのものが2基である。加熱は蒸気、冷却はコンデンサー方式である。右の写真のように、液が入るボディー(釜部分)の大きさに比べて、その上のヘッドが大きいが、これは気化したウイスキー蒸気の上昇スピードが緩やかで、ウイスキーの成分とヘッドの内側の銅との反応の度合いが高く、これがウイスキーを軽くしている。再溜時、前溜から本溜への切り替えはアルコール度数72〜74度で行うが、この時溜液の一部を検度器のアルコール度数測定用のジャーに入れ、水を加えて47.5%に希釈しても白濁しないことを確認してから切り替える。製品になるスピリッツの区分に余計な不純物が含まれていないことを確認する古典的な方法である。

    本溜のアルコール度数が64%まで下がったら余流へ切り替え1%まで余流を取る。本溜液のアルコール度数は68%で、これを63.5%まで度数を下げて樽詰めする。

    ブナハーヴンのモルトは、長年Edringtonのブレンデッド・ウイスキー用に生産され、シングル・モルトとしての生産とマーケティングは長年未着手であった。2003年以降努力が始まり、特にDistell社は熱心である。具体的には、モルトのスタイルを、Non-peatedも残すが、オリジナルのHeavily peated maltに注力することで、生産の約20%をHeavily peatedに当て、シングル・モルト用のウイスキーは蒸溜所で貯蔵熟成させる、見学者の受け入れ施設を充実する等である。これらは、アイラでのウイスキー生産の高コストをカバーする為に、“アイラのブナハーヴン蒸溜所ならでは”という高い付加価値を実現する戦略による。

アードナホー(Ardnahoe)蒸溜所

写真5.アードナホー蒸溜所のワーム・タブ:蒸溜所へ着いた時はもう夕暮れ時だった。蒸溜所の入り口横にはポット・スティルのワーム・タブ(蛇管式冷却器)が置かれている。

蒸溜所の経緯

アードナホー蒸溜所は、アイラにある9つの蒸溜所の中で最も新しく、2018年の10月から操業を開始した。蒸溜所を建てたのはグラスゴーに本拠を持つボトラーのハンター・レイン(Hunter Laing)社である。ボトラーのビジネス・モデルは、自社では蒸溜所を持たず、方々の蒸溜所から主としてモルトのニューメイクを購入し、それを自前の樽に詰めて貯蔵・熟成して自分のブランドで販売する。長年家業として、ニッチで高価格の商品、例えば、シングル・カスク、瓶詰前に希釈しない樽出しモルト(Cask strength)やレア物等を扱う例が多い。ハンター・レイン社の前身は、現社長のスチュアート・レイン氏の父親のダグラス・レインが1948年に始めたダグラス・レイン社で、スチュアートはここで兄のフレッドと一緒に働いていたが、2013年に兄弟は各々独立することにした。ダグラス・レイン社は兄のフレッドが引き継いだ。

アードナホー蒸溜所を建てたスチュアートは、若い頃ブルックラディー(Bruichladdich)蒸溜所でウイスキー造りを学んだ経験があり、その時にアイラ島がもつ独特の魅力を心に深く残していて、蒸溜所を建てるならアイラにと決めていたようである。アイラには一度訪れた人を虜にする魅力があり、Islayitis(アイラアイティス=アイラ感染症)という言葉もあるほどである。蒸溜所は2016年に着工し2018年に完成した。

蒸溜所は、ブナハーヴン蒸溜所とカリラ蒸溜所の間、アイラ海峡を見渡す丘の上にある。蒸溜所名のArdnahoeは、かつてこの地を支配していたノース人(バイキング)のノルウェー語由来で「窪地の上の高台」を意味する。プロセスの諸元は下記の通りである。

  • ● 原料麦芽:ポートエレン製麦工場製のHeavily peated malt(フェノール値40PPM)。

  • ● 粉砕:中古品のVickers Bobyの2段式ローラー・ミル。設備の中で唯一の中古品である。

写真6.マッシュ・タン:1仕込み2.5トンのセミ・ラウター・タン(攪拌機の垂直方向の位置が固定されていて、上下に動かないタイプ)でスコットランドのKeith郊外にあるLH Stainless社製である。

  • ● 仕込み:仕込みは、一仕込み当たり2.5トンの麦芽を使い、約12.5キロリッターの清澄麦汁を得る。

  • ● 発酵:発酵槽は張り込み容量25キロリッターのオレゴンパインの木桶発酵槽が4基。スコッチのモルト蒸溜所には珍しく、1基の発酵槽に2仕込み分の麦汁が段掛けで添加される。マウリ製のプレス酵母を使い、発酵時間約70時間でアルコール分約8%の発酵終了醪が出来る。

  • ● 蒸溜:初溜釜の張り込み量は12.5キロリッターで4.5キロリッターの初溜液を得る。再溜釜は張り込み量7.5キロリッターで、68%の本溜液が得られる。初溜、再溜とも冷却装置はワーム式でアイラの9蒸溜所の中で唯一である。テースティングに供されたニューメイクのフレーバーは、ピーティー、重いフルーティー、ややオイリー、やや穀物様のフル・フレーバータイプであった。

写真7.蒸溜室:初溜釜(手前)と再溜釜(奥)各一基で、どちらもランプ型。夜で見えないが、昼間なら奥の窓ガラスを通してアイラ海峡とPups of Juraの絶景が見える。

  • ● 見学者用施設:アードナホー蒸溜所は、シングル・モルトを製造・販売する目的で建設された。シングル・モルトの販売には消費者とのコミュニケーションが欠かせないが、その為に最も大切なことは出来るだけ多くの来訪者を迎え、造りの実態を見てもらって理解と好印象を得ることである。アードナホーでは見学順路や最後のテースティング、レストランまで、配慮が行き届いた設計がされていた。

写真8.レストランとバー:見学者の受け入れ設備は、蒸溜所の規模の割に非常に充実している。食事のレベルも高い評価を得ている。

今回のアイラ・ツアーは3月10日〜12日に行われたが、6日後の16日にはスコットランド政府の不要不急の集会を行わないようとの指示を受けて、アイラの9蒸溜所は見学者の受け入れ中止を決めている。アイラ以外の蒸溜所も見学中止を決め、4月のSpirit of Speyside Festivalや5月のIslay Malt and Music Festival等のイベントも中止になった。アードナホーも昨年の10月のオープン以来、製造も来訪者の受け入れも軌道に乗ってきた時期で、中止は非常に残念だった。

  • 参考資料
  • 1. Barnard, Alfred (1969) The whisky distilleries of the United Kingdom, David Charles
  • 2. https://bunnahabhain.com/
  • 3. https://scotchwhisky.com/whiskypedia/1828/bunnahabhain/
  • 4. https://www.forbes.com/sites/joemicallef/2018/01/16/bunnahabhain-islays-hidden-gem-part-i-a-short-history/#1310f9d2a58c
  • 5. https://ardnahoedistillery.com/
  • 6. https://scotchwhisky.com/whiskypedia/12616/ardnahoe/#/

*:Alfred Barnard(1878)の訪問記にあるスケッチや、蒸溜所のサイト(資料1)に掲載されているカラー写真とは構造が異なっている。推測だが写真1の桟橋は1963年に蒸溜所が2倍に拡張された時期に架け替えられたと思われる。