写真1.桟橋から見たラガヴーリン蒸溜所:アイラの蒸溜所は1カ所を除いて全て海沿いに立っていて、多くが海に面した白壁にくっきりと蒸溜所名を書いている。桟橋は長年小型の蒸気船による原料や石炭の搬入、ウイスキー樽の搬出に利用されたが、1962年に大型のフェリーによるトラック輸送が可能になって物流の役目は終えた。ボクシング・デイ(クリスマスの翌日)に桟橋の先端から海に飛び込む伝統行事があり、1番に飛び込むのは蒸溜所長と決まっている。
写真1.桟橋から見たラガヴーリン蒸溜所:アイラの蒸溜所は1カ所を除いて全て海沿いに立っていて、多くが海に面した白壁にくっきりと蒸溜所名を書いている。桟橋は長年小型の蒸気船による原料や石炭の搬入、ウイスキー樽の搬出に利用されたが、1962年に大型のフェリーによるトラック輸送が可能になって物流の役目は終えた。ボクシング・デイ(クリスマスの翌日)に桟橋の先端から海に飛び込む伝統行事があり、1番に飛び込むのは蒸溜所長と決まっている。
ラガヴーリン蒸溜所は、アードベッグ蒸溜所から西へ約5km、ラガヴーリン湾の岸辺にある。ラガヴーリン(Lagavulin)の意味は「The mill in the valley (谷の中の製粉所)」で、会社のサイトによると1742年にはこの辺りには小さな密造所が10も集まっていた。1816年に農夫で蒸溜もしていたジョン・ジョンストン(John Johnston)がライセンスを取って建物の一つに蒸溜所を設置し、この年が公式な創業年となっている。蒸溜所の歴史の概略を下記に述べる。
ラガヴーリン蒸溜所、史上の主要イベント
1816年:ジョン・ジョンストンがライセンスを取って蒸溜所を建設。
1825年:ジョンストンは、ラガヴーリン蒸溜所に隣接してあったアードモア(Ardmore)蒸溜所を買収(このアードモア蒸溜所は現在アバディーン州にあるBeam Suntory社のアードモアとは無関係である)。
1835年:アードモアの生産終了。
1836年:ジョンストン死去。蒸溜所はグラスゴーのスピリッツ商、アレキサンダー・グラハムが買収。
1837年:アードモア蒸溜所をラガヴーリン蒸溜所に統合。
1862年:ジェームズ・ローガン・マッキー(James Logan Mackie)がラガヴーリン蒸溜所を買収。
1889年:ジェームズ死去。甥のピーター・マッキー(Peter Mackie)が継承。
1890年:社名をMackie&Co.に変更。ブレンデッド・ウイスキーのホワイト・ホースを国内と輸出市場に投入。
1908年:ラフロイグ蒸溜所がMackie&Co.のラフロイグ・モルトの販売代理店契約を解除。ラフロイグとの水争い。マッキーはラガヴーリン蒸溜所内にモルト・ミル(Malt Mill)蒸溜所を建設。
1924年:ピーター死去。社名をホワイト・ホース・ディスティラーズに変更。
1927年:ホワイト・ホース・ディスティラーズ、DCLに編入。
1941年:第二次世界大戦により生産中止。
1948年:蒸溜所へ給電が始まる。
1951年:火災により蒸溜所は大被害を被るがDCLにより再建。
1962年:モルト・ミル蒸溜所閉鎖、ポット・スティルはラガヴーリン蒸溜所に移設。
1969年:Malt Millのポット・スティル撤去。1組のラガヴーリン・タイプのポット・スティルを追加。加熱を蒸気加熱に変更。
1974年:フロアー・モルティングは閉鎖し、麦芽はポート・エレン製麦工場から搬入することに。
1998年:旧モルト・ミル蒸溜所のフロアー・モルティングをビジター・センターに改装。
2012年:映画、「エンジェルス・シェアー」(The Angel’s Share)制作・放映。
歴史上の主要イベント
ピーター・マッキーの登場
ラガヴーリン蒸溜所の歴史の中で良くも悪くも多くの重大事を起こしてきた人物はピーター・マッキー(Peter Jeffrey Mackie、1855‐1924)である。父親はスターリング近くのSt.Ninianの蒸溜業者だったがピーターは叔父がやっていたJames L.Mackie&Co.のラガヴーリン蒸溜所で働くようになり1889年に叔父の後を継いだ。長身痩躯、心底からスコットランドの保守派でよくタータンを着用し、休み知らず、大胆不敵で直情径行、歯に衣を着せぬ発言はよく物議を醸した。スコットランド人で英国の外交官、シークレット・エージェント、ジャーナリスト、スコッチ・ウイスキーの本も含んで多くの著作を残したブルース・ロックハート卿はピーターの事を“1/3は天才、1/3は誇大妄想狂、1/3は奇人”と評したという。後にピーター・マッキーは会社をスコッチ・ウイスキーのBig 5の1つにまで育てた貢献により準男爵を授けられている。
ブレンデッド・ウイスキー 「ホワイト・ホース」
1890年にMackie&Co.のオーナーになったピーター・マッキーはブレンデッド・ウイスキー「ホワイト・ホース」を投入し成功を収める。ブランド名の「ホワイト・ホース」は、マッキー家がエジンバラの旧市街に所有していた旅籠屋の「ホワイト・ホース・セラー」から取った。「ホワイト・ホース・セラー」は、19世紀に鉄道が出来るまでエジンバラ〜ロンドン間の駅馬車のターミナルだった。現在の製品ラベルには書かれていないが、昔のラベルには次のような記述があった。「ロンドンと途中の町へ旅行する人は『ホワイト・ホース・セラー』におもむかれたし。そこから毎月曜と金曜に駅馬車が出て、全旅程は8日間(もし神が許したまえば!)、出発は午前5時、手荷物は各人14ポンド(6.4㎏)まで、超過料金は1ポンド当たり6ペンスである」。旅費はラベルには書かれていないが、1人£4、現在に換算すると£400(約56,000円)であった。
ラフロイグ蒸溜所との水争い
1908年の事である。ピーター・マッキーのMackie&Co.は、長年ラガヴーリン蒸溜所のすぐ隣のラフロイグ蒸溜所の代理店であったが、この年ラフロイグ蒸溜所のオーナーに就いたイアン・ハンター(Ian Hunter)は、この代理店契約はラフロイグ蒸溜所にとって非常に不利と考え代理店契約を破棄することにした。これを不当と考えたピーター・マッキーは裁判に訴えたが敗訴、この判決に持ち前の気質でかっと来たマッキーはラフロイグ蒸溜所へ水を供給している水路に石を投げ込んで塞いだためラフロイグ蒸溜所は操業不能に陥った。なんとも乱暴な話で、ラフロイグ蒸溜所は当然裁判に訴え、今回も勝訴した。
モルト・ミル蒸溜所
ラフロイグを失ったピーター・マッキーは、人気を得つつあったブレンデッド・ウイスキーの「ホワイト・ホース」のブレンドにラフロイグ蒸溜所のモルトが必要と考え、ラガヴーリン蒸溜所の製造建屋に隣接してラフロイグ蒸溜所のコピーを作る。それがモルト・ミル蒸溜所で、フロアー・モルティング、発酵槽2基とポット・スティル2基を新設したが、仕込槽はなく、麦汁はラフロイグ蒸溜所から供給した。ラフロイグ蒸溜所の製造ノウハウを手に入れる為に、ラフロイグ蒸溜所の仕込みの主任をヘッド・ハントした。それでも出来たスピリッツはラフロイグでもラガヴーリンでもなかったという。モルト・ミルの製造部門は1962年に閉鎖され、ポット・スティルはラガヴーリン蒸溜所に移設された。フロアー・モルティングはポート・エレン製麦工場が完成した1974年に閉鎖されたが、建物は1998年にビジター・センターに改造された。
写真2.レセプション・センター:1998年に旧Malt Mill蒸溜所のフロアー・モルティングをレセプションに改造した。左の写真は外観で、入り口ドアにはMalt Mill、ドアの上の壁にはMalt Mill Barと書かれている。右は旧発芽床のスペースを改装したホール。
写真3.Malt Mill Barのメニュー:メニューはウイスキー、カクテル、ティー、コーヒー等。有料で、ウイスキー25ml当たりの価格は最も低価格のLagavulin 8yoが£4(約560円)、最高値はPort Ellenの第15回リリース32yoが£200(約28,000円)だった。
エンジェルス・シェア
閉鎖以来、モルト・ミル蒸溜所は人々の記憶から消え去っていたが、2012年のケン・ローチ(Ken Roach)監督の大ヒット映画「エンジェルス・シェア」(The Angel’s Share)の中で、架空ではあるがモルト・ミルのシングル・モルトの樽が要となってストーリーが展開したことで、モルト・ミルの名前と由来を知る人も増えた。ケン・ローチはカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した英国が誇る大監督で、社会派と云はれているように、現在社会の繁栄の裏に残る貧困、労働者階級、ホームレス等の重い社会問題を提起している。「エンジェルス・シェア」はコメディーではあるが、取り上げているのはグラスゴーの貧困問題である。19世紀には「大英帝国第2の都市」といわれて重機械工業、造船、タバコ、繊維、製糖等で栄えたが、同時に少数の富裕層と圧倒的に多数の貧困層を生み、現在でも貧困に起因する短命、疾病、薬物、不就学児童、犯罪等の問題は英国の他都市と比べて深刻である。
「エンジェルス・シェア」の中で、グラスゴーのチンピラの主人公(Robbie)は犯した暴力行為の償いに300時間の社会奉仕活動を言い渡される。社会奉仕活動は、補導を受ける数人のグループに補導官(Harry)がついて行われるが、何回目かの奉仕活動の時に補導官は、グループが真面目に奉仕活動を行ってきた事への褒美に全員をモルト蒸溜所の見学に連れていった。蒸溜所見学の中で、ウイスキーは貯蔵中に徐々に蒸発して容量が減って行く事の説明があり、この欠減はエンジェルス・シェア(天使の分け前)と呼ばれる事が映画のタイトルになっている。
Robbieがウイスキーに関心があり又良い香味感覚をもっていることを知ったHarryは、Robbieをエジンバラで開催されたウイスキーの試飲会に連れて行くが、そこでこの世に1樽しか存在せず、オークションに出れば想像もできない価格になっているMalt Mill蒸溜所のSingle Maltについて知るのである。その後の展開は関心のある方はYouTubeでご覧ください(英語版のオリジナルでは出演者の多くがグラスゴーのアクセントで話すのでヒアリングは容易ではない。筆者はエジンバラで見たのだが、英語のテロップが付いていたので驚いた。グラスゴー・アクセントは英国人でも難解なのである)。エンジェルス・シェアのロケが行われた蒸溜所は、ディーンストン(Deanston)、グレンゴイン(Glengoyne)とバルブレア(Balblair)、ウイスキー・ライターの大御所、チャールズ・マクリーン(Charles Maclean)も品質の解説役として出演している。「エンジェルス・シェア」は惜しくもパルム・ドールを逸したが審査員特別グランプリを受賞した。
竹鶴正孝氏
竹鶴氏がウイスキーの勉強をすべく、スコットランドへ着いたのは1918年の12月。モルト蒸溜所での実地研修をさせてくれる蒸溜所を探すのに非常に苦労したが、聴講生として通っていたグラスゴーのThe Royal College of Science and Technology (現University of Strathclyde)のウィルソン教授の紹介で1920年の5月から3か月ほどキャンベルタウンのヘーゼルバーン(Hazelburn)蒸溜所で実習をすることが出来た。この時のヘーゼルバーン蒸溜所のオーナーがピーター・マッキーである。この時代、どの蒸溜所も非常に秘密主義で蒸溜所の製法を他人に知られる事を極端に警戒していたし、前述のごとく神経質で怒りっぽいピーター・マッキーが何故竹鶴氏を受け入れたか分かっていない。
現在のラガヴーリン蒸溜所
ラガヴーリン蒸溜所の2020年3月時点での諸元は下記の通りです。
写真4.仕込み槽:アーベルクロンビー(Abercrombie)社製のステンレスのフル・ラウター型。1仕込み5トン、1仕込み当たり21,500リットルの麦汁を採取。1日4仕込みを行う。
● 麦芽:ポート・エレン製麦工場製のフェノール値約35PPMのヘビリー・ピーテッド麦芽。
● 粉砕機:ポーシャス(Porteus)製2段式4ローラーミル。
● 仕込み槽:写真4の通り。
写真5.発酵室:伝統的な木桶を使用。木桶の上には、泡消し用のスイッチャーを駆動するモーターと、発酵で発生する炭酸ガスを屋外に排出するファンが設置されている。
● 発酵:張り込み容量21,500リッターの木桶発酵槽が10基ある。現在の麦汁濃度は1070‐1080(重量%では16‐17%)、酵母はディスティラーズ・イースト、発酵時間48時間、発酵終了醪のアルコール度数は約9%である。
写真6.蒸溜室:左側の2基が初溜釜、右の2基が再溜釜である。1969年にそれまで使われていたMalt Millのスティルを撤去し、2基のラガヴーリン型のスティルを設置、加熱を直火から蒸気に変更した。ライン・アームは急角度でコンデンサーに向かって下降している。
● 蒸溜:初溜釜(張り込み量20,750リッター)2基、再溜釜(張り込み量11,500リッター)2基。初溜の蒸溜時間は5時間、再溜は10時間である。再溜時の本溜(スピリッツになる区分)の採取度数は78‐61度、余溜へのカット度数が61%と低くしているのは、低い度数で溜出してくるスモーキーの成分のフェノールを回収する為である。本溜のアルコール度数は68‐69%、年間の生産量は約2,700klpa*である。
* klpa (Kilo Liters of Pure Alcohol)は100%アルコール換算で1000リッターである。
● 貯蔵:ラガヴーリン蒸溜所の貯蔵庫の能力は数千丁のみ。蒸溜されたスピリッツのほぼ全量はスコットランド本土、アロア近郊の貯蔵庫で貯蔵される。