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稲富博士のスコッチノート

第25章 アイラとラフロイグ物語

ラフロイグ蒸溜所:蒸溜所はその名前の‘美しい湾に面した窪地'のとおりの佇まいである。年間の蒸溜能力はバーボン樽の樽数で約16,000丁である。

近年シングルモルトウイスキーの人気が世界的に上昇している。ウイスキーマーケットが世界的に縮小傾向にある中、直近5年で15%以上伸びというから、この消費不振の時代ではこれはもうブームに近い。飲用層も、年齢、性別、飲酒暦に関係なく幅広い。色々の理由が考えられるが、何と言っても商品の基本である品質が極めて高く独自性に富んでおり、この事が嗜好も価値観も多様化した消費者に歓迎されていると考えられる。今回は、独自の高品質という意味では右に出るものはないといわれるラフロイグ・アイラシングルモルトと、それを生み育てた背景をご紹介します。

1.アイラ島 (Isle of Islay)

Isle(アイル)は島、IslayはEye-la(アイラ)と発音する。以前、スコッチウイスキーにそれほど詳しくなかった頃、スペイサイドモルトは知っていたが、アイラというグラスゴーから西方の小島が有名なモルトウイスキーの生産地と聞いて驚いた記憶がある。位置はグラスゴーの西120km、北アイルランドアントリム州から35kmにある。面積は日本の淡路島とほぼ同じ。大西洋に面していて、沖合いを流れるメキシコ暖流の影響で気候は温暖湿潤、年間気温の変動が小さい。 グラスゴーから飛行機なら30分少々だが、車ならキンタイヤー半島のケナクレイクまで行き、そこからフェリーで行くのでその場合は6時間が必要となる。 人口は1830年頃は15,000人に達していたが現在は約3,500人。今も減少が続いていて過疎化が懸念されている。最近は島の魅力である豊かな自然と歴史遺産、伝統の農業、漁業、ウイスキーとこれらをリンクした観光に力を入れている。

2.アイラの歴史

アイラの大印章:14-15世紀のLord of the Islesが用いた。‘ドナルドとアンガスの子孫'とあり、バイキングの乗った船が長年ノルウエー領だったこの島の歴史を語る。

アイラの古い歴史をすこし述べる。この地の歴史が分かり始めるのは起源後数世紀で、北アイルランドのダルリアーダ王国の一部だったと考えられている。スコットランドにキリスト教と蒸溜技術をもたらしたのも彼らである。8世紀には造船と航海に長け、その凶暴さを恐れられたノルウエー・バイキングの侵攻が始まった。地元のケルト人との間で戦いと融合を繰り返しながら彼らの支配は13世紀まで続く。最初のアイラの支配者サマーレッド(Sommerled)はノースマン(Norseman, ノルウエー人)とアイルランドケルトの混血であった。その後200年以上の間、サマーレッドの子孫はアイラを含むスコットランド西方の島々と本土の一部をスコットランド国から独立したかたちで支配し、Lord of the Isles (島々の君主)と言われていた。Lord of the Islesはアイラ島北部のFinlagganで行政を取り仕切った。

日本でもハンバーガーでお馴染みのマクドナルド(McDonald又はMacDonald)はスコットランドの有力氏族でその子孫は世界に広がっているが、その出自はこのアイラ島である。マクドナルドのMc、Macは息子の意味で、アイラの支配者サマーレッドの孫のドナルド(Donald)に始まっている。マクドナルドによるアイラとスコットランド西方の支配は、これらの地方がスコットランドに併合された1493年迄続いた。

3.アイラのウイスキー

ピート層と切出し跡:ピートは水苔、水草、へザーなどが湿原に堆積し炭化したもの。アイラのピートは燃えると強い薬品様の香りをもった煙を発生する。

アイラ島でどのようにしてウイスキーの蒸溜が始まり、なぜ現在のような主要な生産地域になったのかは次ぎのように考えられている。 その一は地理的要因で、アイラはアイルランドに極めて近い。アイルランドからもたらされたと考えられている蒸溜の技術が、このアイラに早い時期に到達したと考えるのは自然である。

その二に、ウイスキーつくりに必要な大麦、水、燃料のピートが容易に手に入った。 その三は、これも地理的要因なのだが、エジンバラやグラスゴーから極めて遠隔のアイラには、ウイスキーに対する課税が導入されてからも徴税官は不在、大量のウイスキーが密造されていた。貧しい農家が生きてゆく手段でもあり、アイラでのウイスキー密造はスコットランドの他の地方より長く19世紀半ばまで続いた。この間ウイスキーつくりはアイラ人のDNAに刻み込まれていった。 その四、何と言っても品質につきる。19世紀後半から盛んになったブレンデッドウイスキー用にグラスゴーやエジンバラのブレンダーはアイラモルトを重用した。そのピーティー、スモキーで力強い性格は伸びが効き、ブレンドの特色を出したり、また隠し味の素としても必須モルトであり続けた。シングルモルトが膾炙するようになった現在は、その独特の個性が愛好家を増やしているのである。

1880年代に英国全土の蒸溜所を訪ねて記録を残したバーナード(Barnard, A.)はアイラで9つの蒸溜所を訪問しているが、今日でもその内の7蒸溜所が稼動している。前回ご紹介したキャンベルタウンでは、バーナードが訪問した 21の蒸溜所中現在まで存続できたのは2ヶ所だけだったことを考えると、‘アイラは立派'と言わざるをえない。

4.ラフロイグ・シングルモルト

蒸溜所内のピート運搬車:製麦工場の外からピート炉までの10mほどを運行するアイラ島唯一の‘鉄道'。 ‘ラフロイグ鉄道会社'と書いてあります。

ピートを燻煙中のキルン:発芽が終了した大麦はこの乾燥塔の中で乾燥する。乾燥には30時間を要する。最初の12時間はピートだけをゆっくり燻す事でラフロイグに必要な高いフェノール値の麦芽が出来る。

ラフロイグを詰められたバーボン樽:シングルモルト用にはバーボンの後の最初に樽詰されたものだけを使う。強いピート香の中に適度のバニラ香、クリーミーさ、甘さを与える。

アイラウイスキーの代表格とといえば何と言ってもラフロイグ・シングルモルトである。ラフロイグ(Laphroaig、La-froygと読む)のスモーキー(煙臭)、海藻や潮の香り、薬品を思わせるヨード様の香り、オイリーで濃厚な味わい、すこし塩っぽくドライな後味の強烈な個性は、‘You either love it or hate it' (惚れ込むか、大嫌いかのどちらかでしょう)と言われている。

ラフロイグ・シングルモルトのつくりの特徴を二つ挙げる。1つは、使用する高フェノールの原料麦芽、もう1つはシングルモルトの熟成にバーボン樽、それもバーボンを熟成させた後のFirst fill(最初の樽詰)のものだけを使用することである。

ラフロイグの強烈で又個性的なピート香は、麦芽の乾燥に使用するピートの質と、どのくらいピートを燻すかで決まる。ピートはアイラ空港近くの自社の湿原で掘り出したものを使っている。アイラ島のピートは、ヒースと苔類、それに一部海藻を含んで生成し、スコットランド本土のものと異なると言われている。発芽した大麦を乾燥する時は、まだ大麦が湿っている最初の12時間はピートだけで燻す。このようにするとピート香の付着がよい。 ピートの強さは麦芽に付着したフェノール化合物の濃度で表される。ラフロイグのような強く燻煙したものは40ppm(100万分の40)*以上の濃度があり、同じアイラモルトでも中程度のボーモアの麦芽は25ppm、軽く燻煙したブルイックラディ(Bruichladdich)は数ppm以下である。

バーボン樽は、ラフロイグにバニラの甘さ、クリームの滑らかさを与え、このモルトが‘強烈だが優しさもある'といわれる所以になっている。

5.ラフロイグを創った人々

ベシー・ウイリアムソン:グラスゴー大学を出て夏休みのアルバイトに来たラフロイグ蒸溜所で一生を過ごすことになった。ラフロイグ最後のオーナー経営者。

1815年の発足以来多くの人がラフロイグの歴史を創ってきたが、その中で特筆すべき人物を2人ご紹介したい。
* イアン・ハンター(Ian Hunter):
1921-1954年のオーナー経営者。創業者ジョンストンの家系最後のオーナー。就任当時、長年続いた隣接蒸溜所との係争(水争い、蒸溜所のコピー事件、買収の企み)に疲弊していたラフロイグを建て直し発展させた功労者。1923年には蒸溜所の増設、現在の製麦工場の建設を行った。禁酒法時代のアメリカの当局に、薬品様の香りのするラフロイグは薬用効果があるとして‘薬用酒'として輸入を認めさせた。バーボン樽での熟成を導入。厳格な秘密主義者だったと言われていて、蒸溜所近辺にジャーナリスト、写真家、ライターは一切寄せ付けなかった。

* ベシー・ウィリアムソン(Bessie Williamson):
1950-1970年代のオーナー経営者。名前の通り女性である。1932 年にグラスゴー大学を卒業した彼女は夏の間3ヶ月だけパート事務をするためラフロイグへやってきたが、結果として以後40年ラフロイグに携わることになる。秘密主義者で誰も信頼しなかったイアンハンターが唯一信頼して全てを教え、遺言で蒸溜所とそれに付属する一切を姻戚関係ではなかった彼女に相続させた。イアンはベシーのラフロイグの品質に対する情熱、誠実さと実行力を見て、ラフロイグを任せられるのは彼女しかいないと判断した。ベシーの在任中ラフロイグの名声は一層上がり、売上げも上昇したが、ベシーは今後の蒸溜所の発展には国際的に事業を展開できる体力をもった会社が必要と認識しラフロイグをロングジョン社に売却。1990年からはアライド社の傘下に入っている。

アイラに一度行くと多くの人が‘嵌る'。アイラの景観、歴史、自然、人々や音楽に接するとこの島が大好きになるが、さらにこの地でアイラモルトを‘ぐっと飲る'ともう完全にアイライティス(Islaitis、アイラ症候群)と言われるシンドロームに罹る。私ももう数回以上行っているので大分症候が出ている。皆さん一緒にアイライティスの罹りませんか。

1. Islay. Biography of an Island. (Margaret Storrie). Henry Ling Ltd. 2nd Ed. 1997.
2. Peat Smoke and Spirit. (Andrew Jefford). Headline Publishing Ltd. 2004.
3. The Island whisky Trail. (Neil Wilson). Neil Wilson Publishing. 2003.
4. The Whisky Distilleries of United Kingdom. (Alfred Burnard). London. 1887. New edition. Newton Abbot. 1969.
5. http://www.laphroaig.com/history/chronology/
6. http://clanmckerrell.50free.net/rulers.htm
7. Argyle and Bute Council Statistics.

* 麦芽1kg中のフェノール、グァイアコール、0-クレゾールなど7種のフェノール化合物それぞれのmg数の合計。