クレゲラキー(Craigellachie) 辺りのスペイ川:中央の橋は車の増加で狭隘になったため今は使われていないがそのすばらしいデザインは今も訪問者をひき付けている。
スコッチウイスキーにおいてスペイサイド(Speyside)の地位は高い。スペイサイドで産出するモルトウイスキーは、その香り高く、華麗でデリケート、洗練された品質の名声高く、百数十年以前から多くのブレンダーに重用されて来た。最近はシングルモルトとしても人気が高い。スペイサイドにある蒸溜所数は数十といわれていてその数や生産数量面でも他の地域を圧倒していて、モルトウイスキー生産の最大地域である。
スペイサイドの蒸溜所が数十といささか曖昧な言い方をしたが、これはスペイサイドの地域が厳密に規定されていないことによる。言葉は「スペイ川沿い」を意味するのだが、スペイサイドは必ずしもスペイ川沿いだけではなく、西はフィンドホーン川(River Findhorn)、東はデヴェロン川(River Deveron)、北はモレ-湾(Moray)、南はグランタウン・オン・スペイ(Grantown on Spey)から東西に延ばした線に囲まれる範囲を指している。しかしながら、法的な規定はなく、フランス、スペイン、ドイツのワインやババリア、ピルゼンなどのビール産地と異なり、スペイサイドは厳密な地理的表示ではない。
ドラムアハッタ-峠:River Speyの源流はここから更に数十Km写真の右奥に入ったところにある小さな湖である。 スペイ川の上流部はこのような荒涼とした山地を流れている。
Spey川 での鮭釣り:スペイ中流アバロア(Aberlour)付近の風景。このおじさんはフランス東部からやってきて1週間頑張っているがまだ釣果なし。 今年はまだ水温が低く鮭の遡上が悪いと言っていたが、釣れないことを気にする様子は全くなかった。
スペイサイドはスペイ河畔だけでなく、その周辺の広範な地域を含んではいるが、スペイ川がスペイサイドのバックボーンであることには異論がない。スペイ川は延長約150Km、スコットランド第二の大川である。グランピオン山地に源を発し、そこからほぼ東北に向って流れてモレー湾に注ぐ。その大半は大きな町のない山中を流れていて、源流から河口までの高低差は約300mあり、ヨーロッパ第1の急流である。そのため産業と交通手段としての利用はかつて木材を流したこと以外は限られていて、このことでスペイ川は自然の清流が維持され、その水が流域のウイスキー産業を産み、素晴らしい景観、名物の鮭釣りとこれらを求める人々の観光産業を支えることになった。
釣り人にとってスペイ川といえば別格の存在で、2月の解禁とともに世界中から多くの釣り人が訪れる。釣りといっても、スペイ川のサーモン・フィッシングは非常に高級な趣味(スポーツ)である。料金は季節と場所で変わるが、3日間ロッジに泊まり、決められたスポットで釣りをして22万円くらいという。それで釣れる保証は一切なく、どうも‘ぼうず'に終る人が多いようだが、大自然の中で魚と駆け引きをする事が主な楽しみなので、釣れないことをくよくよする人はいない。釣りの一日の後、ロッジやホテルでシングルモルトを飲りながら釣り談義するのも大きな楽しみである。
旧グレンリベット蒸溜所跡:1823年、ジョージ・スミスは密造が当然だったこの地方で正式免許を取ってここに最初の蒸溜所を建てた。 今は荒野の中のこの小さなモニュメントが往時を偲ばせる。
スペイサイドに多くの蒸溜所が建設されたのは19世紀後半である。以来長年この地域はスペイサイドではなくグレンリヴェット(Glenlivet)と言われていた。グレンリヴェットは、スペイ川の支流のアン川(River Avon、アンと発音する)上流の地域だが、そこのグレンリヴェット蒸溜所の名声があまりにも高かったので、多くの蒸溜所がそれにあやかろうとグレンリヴェットを名乗り、次第に産地や品質のスタイル意味するようになっていった。これに危機感をいだいた本家グレンリヴェット社は他の蒸溜所によるグレンリヴェットの名称使用の差止めを要求、1880年の裁判でグレンリヴェット蒸溜所以外の蒸溜所がグレンリヴェットの名称を使用する時は自社の蒸溜所名の後にハイフンを付けてからグレンリヴェットと表示することが義務付けられた。例えば○○-Glenlivet, XX-Glenlivetである。一時はこのような表記をする蒸溜所が28に上ったが、現在では各蒸溜所はグレンリヴェットを外し、堂々と自蒸溜所名だけを表示するようになっている。
Dallas Dhu 蒸溜所のパゴダ:パゴダは麦芽の乾燥塔だが、仏塔を思わせるその形からパゴダと呼ばれる。 1899年建設のこの蒸溜所は今は全体が博物館になっている。
スペイサイドを車で移動していると時々「ウイスキー街道」(Whisky Trail)という標識が現れる。景観の良い蒸溜所が多く見られるルートを「ウイスキー街道」として指定しているものである。ウイスキー街道のこれらのウイスキー蒸溜所はパゴダ(Pagoda)と呼ばれる独特の形の尖塔をもっているのですぐ蒸溜所だと分る。パゴダ(元来は仏塔の意味)は製麦工場の麦芽の乾燥塔(キルン)で、その尖塔の形がパゴダを思わせることからそのように呼ばれるようになった。この形の乾燥塔の設計者は、19世紀後半に蒸溜所の設計者として活躍したエルギン出身のドイグ(Charles Doig)で、当時建設された数多くの蒸溜所はドイグの手に拠っている。
ドイグのキルンは、中央部のメッシュの棚に発芽が終了した大麦を広げ、下部に設置された炉でピートやコークスを燃やしてその熱風で大麦を乾燥する構造になっている。乾燥塔の上部の排気口にファンが設置されているが、自然通風がおこる仕組みの優れた設計であった。40年ほど前からのスコッチウイスキーの拡大で、蒸溜所は自前の製麦設備だけでは需要をまかなえなくなり、現在では必要量の95%以上を専門の製麦工場から調達するようになった。今では、蒸溜所内で製麦を行っている所は数ヶ所だけになり、ドイグの乾燥塔の多くは使われなくなったが、その優れたデザイン性は特有の景観を醸し、又蒸溜所のシンボルとして宣伝に多いに貢献している。
醗酵槽の泡立ち:澄んだ麦汁を醗酵させると醗酵中の泡立ちが盛んになる。 このようなもろみを蒸溜するとすっきりしたフルーティーなウイスキーが出来る。 (The Macallan 蒸溜所)
スペイ川河口(Spey mouth):150kmを流れ、素晴らしい景観、世界一の鮭とウイスキーを育てたスペイ川はここでモレイ湾に注ぐ。 この荒地はまた野鳥やかわうそなどの自然の宝庫である。
スペイサイドモルトの品質の特徴は、スモ-キーは軽度、又はほとんど感じられない、重苦しくなくすっきりしている、フルーティー、若草、クリームを思わせる軽い香気が豊か、それでいて香味は複雑で深みがある。前回ご紹介したアイラモルトのLaphroaigやArdbegとは対極にある。それでは、どのようにしてこのようなスタイルが出来上がったのだろうか。スコッチのエキスパートの意見と、私なりの見解を入れて纏めると次ぎのようになる。
1. 麦芽の乾燥に使用されたハイランド・ピートは干草を燃やしたような軽快なスモ-キーを付け、アイラ・ピートの海草様、ヨードやクレオソートのような薬品臭、タール様のような重厚なスモ-キ-さはもたらさない。
2. 19世紀後半から、麦芽乾燥用の燃料にピートではなく当時盛んになった石炭ガス生産の副産物であるコークスを利用するようになり、スモ-キーさが大幅に減少した。現在では麦芽の乾燥にピートを全く使用しないNon-peated maltでウイスキーを造る蒸溜所も多い。
3. 醗酵は、よく澄んだ麦汁を醗酵させることでフルーティー、若草様のフレーバーを、長時間醗酵でもろみの酸度を上げることですっきりさを出す手法を用いた。スペイサイドはエジンバラやグラスゴーから遠く、19世紀半ばまで密造の大中心地だった。酸っぱいもろみを蒸溜する伝統は、この密造時代に税務官が立ち去るまで蒸溜出来ず、その間にもろみに乳酸菌が増殖して酸度が上ってしまった時代に遡るのではないだろうか。
終わりにスペイ川がモレイ湾に注ぐ河口に行ってみた。かってはスペイを流されてきた木材を使った木材産業、木造船の建造と漁業が盛んだったそうだが今はその影は無く、ウイスキーと鮭を育んだ水の終点には暴れ川スペイの荒涼とした中州が広がっていた。