時は1827年。物語はスコットランドの首都、エディンバラから始まる。ジョージ・バランタインはこの時、弱冠19歳。生家の農村を離れ、食料雑貨店で奉公を続けていた物静かで聡明なこの青年は、奉公明けのこの年、自分自身の小さな食料品店を開いた。
あらゆる意味で画期的な時代だった。高い課税を逃れるために横行していたウイスキーの密造は終わりを告げ、正式な認可をうけた蒸溜所が次々とオープン、モルトウイスキーがスコットランド経済の重要な位置を占めるようになっていた。
ジョージの店も食料品を主に扱っていたが、徐々にワイン、ウイスキーの扱いを増やしていった。
26年後の1853年。40代も半ばを迎えたジョージは、ウイスキー商として確固たる地位を築いていた。そんなある日、ジョージの友人のウイスキー商が、熟成期間の違う数種類のモルトウイスキーを混ぜ合わせた製品を発売して成功させる。起業家精神あふれるジョージは、彼の苦心談を聞きながら「これだ!」と膝を打った。穏やかなグレーンウイスキーと個性豊かなモルトウイスキーのブレンドである。新たなる味覚への可能性を感じて、彼の胸は高鳴った。この日から、ブレンディング技術を高めようと奮闘する、ジョージの試行錯誤の日々が始まった。
当時、ブレンディング自体は決して新しい考え方ではなかった。金儲けしか頭にないウイスキー商や宿屋の主人たちは、こっそりとウイスキーに安酒を混ぜて売っていたのである。しかし、ジョージたちが目指したのはそれとは正反対のものだった。彼らは各種のウイスキーを組み合わせることで、個々の原酒に勝る味わいをつくりだそうとしたのである。高度な技術を駆使し、より洗練されたウイスキーを生み出すジョージ・バランタインの商品は、日々評判を高めていった。
ブレンデッド・ウイスキーの未来にさらなる可能性を感じたジョージは、60歳にしてグラスゴーに移り住むことを決意する。ウイスキーのブレンディングを芸術の域にまで昇華させようと没頭していったのである。
70代にさしかかる頃には、ジョージは優れたウイスキー・ブレンダーの一人としてその名を広く知られるようになっていた。その取引先もイングランドのみならず、世界へと広がっていった。スコットランドの一地酒にすぎなかったモルトウイスキーは、ブレンディング技術によって新たな命を吹き込まれ、世界的な名酒へと育て上げられていったのである。
事業は成長を続け、ついに1895年、ヴィクトリア女王によりバランタイン社に王室御用達の名誉が与えられる。大英帝国の元首である女王に認められたことは、その後のバランタイン社の飛躍を大いに後押しすることとなる。