ジョージ・バランタインが世を去ってから、およそ50年後の1937年―。
その日、ずらりとテイスティンググラスが並んだオーク張りのテイスティングルームに、3人の男が集まっていた。バランタイン社の経営を引き継いだジェームス・バークレーの両脇に立つのは、マスターブレンダーのジョージ・ロバートソンと、生涯をウイスキー研究に捧げてきた同志のジェームス・ホーン。バランタイン社の頭脳ともいえる彼らは、貯蔵庫に眠る優れた原酒を贅沢に使った“究極”のブレンデッド・スコッチづくりに取り組んでいた。
3人は、年代の異なる原酒サンプルのテイスティングを進めていった。そして、各モルトが完璧に熟成する酒齢を慎重に検討した結果、究極の年代ものスコッチには17年以上の熟成原酒が最適である、との結論に至る。やがて見本品がテストブレンドされると、社内の専門家たちからもその完成度の高さに感嘆の声がもれた。かくして、待望のスコッチがその姿を現した。この一瓶こそ、今も変わらずスコッチ・ファンを魅了し続ける「バランタイン17年」である。
発売当時、17年にもおよぶ長期熟成ブレンデッドウイスキーは非常に珍しいものだった。「バランタイン17年」には、パッケージもその品格にふさわしいものが採用された。茶褐色のウイスキーボトルが一般的だった時代に、製品が店頭ですぐに目に入るよう、ボトルカラーは緑色とした。また、ボトル肩がカーブを描き、ボトルネックは中ほどをふくらませてモルトウイスキーのポットスチルをかたどっている。このボトルの形は、発売以来ずっと変わっていない。
広告はあまり行われなかった。稀にみる長期熟成品だということや、品薄であることが口づてに広がったので必要がなかったのである。
1950年代初頭まで、日本人で「バランタイン17年」を味わえるのは、海外出張したごく一握りのビジネスマンにすぎなかった。
1953年、エリザベス女王の戴冠式で日本中が英国ブームに沸く中、ついに「バランタイン17年」は日本デビューを果たす。以来、半世紀以上の間、このウイスキーは高級ブレンデッドスコッチとして、日本のウイスキーファンにこよなく愛され続けている。